高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【127】

妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
無名作家高山のエッセイ「ガーターベルトの女」の
映画化芝居化・・・その他いろいろ作品化できればなんでも
なんて途方もない夢を観ています

2019.8.28~高山とトンネル工事現場の近況:脳梗塞?

まず私事から 姉さんの状態がかなり良くなりました
昨日も意識は戻ったと思ったのですが
まだ確信はありませんでした
それが今朝の状況昨日よもはっきり意識が戻ったと確認できました
声も出ました 笑顔も見せてくれました
今日は担任の先生の往診日でした 脳梗塞にほぼ間違いないという診断で
その経過は土曜日がピークとすれば 2~3日後には脳の圧迫も少し和らぎ
意識状態も改善される さらに2~3日たてばもっとよくなることもあると
今日その話を聞く前に 小さじにほんの1~2滴ほど野菜ジュースをのせ口に含ませました それを何回か繰り返し 次には小さなゼリーを1カップ全部食べてくれました ほんの少しずつでしたが 五日ぶりの口からの摂取 本人はよろこんだと思います 私もうれしかった 姉さんはそのちょっとしたジュースを口全体で味わっているようでした
しかし夕方 同じように少しずつ与えていたのですが 冷やし茶わん蒸しがよくなかったのか その後咳が出て苦しそうです 変ところに入ったのかもしれません 私が少し喜びすぎて急ぎ過ぎた気がします
注意しなくればというのは分かっていたのですが
明日になって落ち着いてくれればいいのですが
これまでにもこういうことが続いて落ち着いたことがありましたので 今回もそれを期待しています せっかく状態が好転してきたのに申し訳ない
高山に関しては 昨日予告してまいたが新作エッセイを今日アップしました
映画雑感です 興味ある方はそうぞお読みください
渥美清主演『拝啓天皇陛下様
https://mumeikon.blog.fc2.com/blog-entry-460.html

高山は政治な問題についてのエッセイも多い
音楽や映画 そして当然本や作家の関するエッセイも多い
他にもこだわりは多いが 高山自身が柔術や剣道をやってや関係で
格闘技 プロレスにもこだわりがあるようだ
自身が小説を書くので小説家に対するこだわりも当然だが
最近 映画雑感が多い
またさまざまなジャンルの音楽雑感もよく書いている
高山の得意分野と言っていいのか Hなエッセイを続けます
私も好きな分野なので次回は
オナニーの季節」を紹介します

高山~マゾ気質な女の思い出

2017/07/02 
「ガーターベルトの女」のMの事を書いたから、この後に付き合った、ある意味腐れ縁の続いてる女性の事を書きます。

腐れ縁と言っても悪い意味ばかりではありません。


僕は、今では美容室で髪を切りますが、この女性と出会ってなかったら散髪屋さんでしょうね。

安い美容室でいつもカットしてます。

Mと別れて、この美容室を親が経営してて、自分自身も手伝いながら水商売に出てる女の子と付き合い始めました。

元々は会社の同僚が付き合いかけてたのを、俺もアタックして良いかと言ってアタックしたんですよ。

考えたらデリカシーないし、当時は同僚に恨まれてかも、ですね。


この女性をRとしますが、Rの従姉妹と最初付き合ってたけどRの方が可愛かったから。乗り換えたんです。


今思えばむちゃくちゃですが、当時はとにかく可愛い女の子を側に置きたかったんです。


RもM程では無いけど、街の飲み屋街では可愛いので有名でした。


しかし、付き合ってみるとMとは全く違うタイプで、最初戸惑いましたね。

Mは、Rの事を見下してましたよ。

Rは本当に可愛いけど、何処にでもいる、元田舎のヤンキーでした。


高校に行ってなくてヤンキーでしたが、当時は美容師の免許、中卒でも取れたんですよね。

ヤンキーでしたが、怖がりで根は優しい女性でした。


父の会社に美容室があって、倒産寸前まで良く行ってました。


今でも交流は有りますね。


Rは付き合ってみると可愛いけど、服とかどうでも良いんですよね。


それとお酒を凄い飲んでたから、かなり失敗もしてました。

男にも非常にだらしなくて、良くいるヤンキー上がりの女の子パターンです。


五つ年が離れてましたし、Mのようなクールさは無くてとにかく寂しがり屋でした。


色々あったんですが、僕が途中で精神的病をやってからしばらくは誰とも会えなかったけど、Rとは会えるようになりました。


Rは庶民的良さが有りましたし、Mのクールな態度は時に僕を苦しくさせたから、Rはそういう意味では楽でした。


それとMには僕が凄く入れ込んだけど、RにはMほど入れ込まなかったから楽だったのでしょう。


Rは、当時は僕は家の敷地内に建てられてた元会社の事務所で寝起きしてました。


トイレは付いててわりと広く、家に何か言わなくても入ってこれたんですよ。


Rは、夜の仕事が終わると家に戻らず、大抵来てました。

Rが良く言ってたのが、死ぬことを考え始めたら止まらなくなって、誰かととにかく居たくなる、でした。

それは今でもあるようで、何かの強迫観念なんだと思いますよ。


だから、僕が病気で休んでたのはRには都合良かったんでしょうね。

何時でも会えるからね。

仕事が終わって来たら、かなり酔っててラーメン作って、とかでした。


僕も隙を見てはRとセックスしたいから、言うこと聞いてましたね。


袋ラーメンを作るけど、必ず固めでねと言いましたね。

それと、脚や肩を大抵マッサージしてあげてましたね。


酔ってて、セックスになることも有ればならない事も多かったけど、Rは生粋のM気質でした。


自分自身から何かを奉仕するのは非常に下手でしたが、縛られたり苛められるの喜びましたね。

本当に痛いのとかハード過ぎるのはダメでしたが、M気質でした。

良く二人で遠出しました。

時には泊まりで行きましたね。


Rはお金は使わないけど、ギャンブル好きでドライブ好きでした。


言われるままに、何処でも行きましたよ。


ある時、泊まりでラブホテルに泊まってセックスになったら、僕が首を吸ったんですよ。

そしたらM気質のRはそれが良かったらしくて、もっともっとになりました。


思わぬ快感だったようで、僕も夢中で首を責めました。

そしたら終わったら腫れてね。


これには参って、慌てて氷で冷やしましたが、手遅れでした。


美容室にも気まぐれで出てて、お母さんの手伝いしてました。


父親は離婚して居なくて、母親と娘だけでした。

Rのお母さんも夜の仕事してたようで、初めて見た時に綺麗なお母さんだなあと驚きましたね。

男関係で酷い目にあってたから、その頃はもう男は要らない、でした。


若い頃は、Rより綺麗だったろうと思わせましたね。

Rは可愛いかったけど、Mのようなキレるような美しさなかったですね。


お母さんは、ざっくばらんな性格で楽しい人でした。

しかし、Rの首に一時的とは言え、腫れと跡が残ったのには怒られましたよ。


うちの娘も手伝いに出るから見える所に余り色々はねえ、です。


いやいや、娘さんがM気質でもっとと言うからですよ、等は言えないからね。


Rは、だんだん僕だけでは厭きたらずに他の男ともセックスしてるのがばれましたが、僕はまだ精神的病をやってたから、Rを手放したく無くて許しましたよ。


ある時、九州の有名な刑務所に用事が有ると言い出して二人で行きました。


元カレが交通刑務所に入ってて、それの面会です。


内縁の妻とか何とか、誤魔化したら会えるらしくて行きました。

この頃になると、Rを好きとかよりも単純に今は手放したくないだけでした。


その日のうちに面会するつもりが、その県に入ってから道に迷ってしまいその日は会えずでした。


仕方ないから、ラブホテルに二人で泊まりました。


Rは生理でしたが、元々生理が非常に軽くて終わりかけだったのでラブホテルでセックスしたけど、途中から言葉で、お前は元カレの所に来てまで他の男にも抱かれてる、と言うと火がつきましたね。


言葉責めに弱かったですからね。


刑務所から出てきたら復縁する、とか言ってたからむちゃくちゃですね。


Rとの日々は、愛してるとかよりも自分自身が弱ってて途中からRを手放したくない、だけになりました。


最初、Rが髪を美容室で切ってくれるって頃はパニック障害もあって、Rだけの時に切って貰いましたよ。

だんだん慣れて、普通に行けるようになりましたね。


Rの所で切るようになってから、何処に行っても大抵美容室で切るようになりましたね。


会社が倒産して数年経って、Rのお母さんの美容室に行って髪を切って貰いました。


その頃は、Rとはたまに電話したりの仲でしたし、友人と言って良いのか分からないけど、腐れ縁は続いてました。


その時にRから相談されたんだと思います。


もしかしたらもう少し前かもですが記憶がはっきりしません。


店の奥で話しが有ると言われて行くと、豊胸手術する、でした。


飲み屋にやはり出てて、一晩寝てくれたら豊胸手術代を出すと言う中年に会ったらしいです。


Rは、片方の胸と片方の胸の大きさが違いました。


付き合うと直ぐ分かりましたが、それを本人は気にしてたけど、僕はそれはやらなくて良いのでは、です。


それと、その中年絶対一晩ではすまないよ、です。


しかし、本人は、自分自身が胸の大きさが違うのがどれ程嫌だったか分からないからだ、と言って手術しましたね。

やはり何度も求められたようで、最終的には店を辞めましたね。


その後、一度結婚して直ぐに離婚しました。

今は子供も居なくて独身です。


僕が、会社が倒産して他の土地に行く時に服の段ボールを一つ預けましたが、戻って見るとしまいかたが悪かったのか虫食いになってました。

しかし、Rは、僕のケータイが通じない場所に居ても手紙をくれたりで、根は優しかったですよ。

金銭的な援助はなかったけど、励ましはありましたね。

書いてて思い出したけど、僕の手紙の便箋が茶色い安いのだったから、一度だけ少しお洒落な便箋を送ってきましたね。

考えて見ると、Rなりの優しさは充分有りましたね。

Rは、三十代半ばからお母さんの応援もあって、街で小さいスナック始めてます。


何度か行ったけど、当時刑務所に入ってたのが良く来ると、僕の事を知ってるんですよね。

相手は相当狂暴らしいけど、Rも僕がそういう状態になったら意地でも引かないの知ってるから鉢合わせたら不味い、で行くのが面倒になりましたね。


数年前に、Rのお母さんの美容室の前を通ったら営業してなくて、Rに聞くと少し前に閉めたとの事です。


Rは相変わらずですが、若い頃の不摂生からか、五歳違うわりには老けたなと思わせますね。

Rもかなり波乱に満ちた人生だったし、十代にはシンナーもやってたようでそういうのが出たのでしょうね。

豊胸手術の後は一度もRの胸を見てないです。


なんだかんだ言いながらも、Rが十年以上スナックを経営してるのは僕の中では奇跡的だな、です。

しかし、Rはなんだかんだ言っても人に優しかったからその辺りの人柄なのかもな、とも思いますね。

それに、僕が精神的病をやった時にRが居て良かった、と今では思えます。


お互いもう四十代ですから、また楽しく思い出話し出来る時が有るでしょうけどね。


二人が、若い頃に良く過ごした美容室が閉まってしまったのには年数を感じるし、寂しくもありますけどね。


おわり

エッセイ「ガーターベルトの女」アピール動画集

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「ガーターベルトの女 外伝」(フィクション編) 1
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