高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【232】

妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
無名作家高山のエッセイ「ガーターベルトの女」の
映画化芝居化・・・その他いろいろ作品化できればなんでも
なんて途方もない夢を観ています

高山の作品から
随筆「
父2

2017/01/02 

父との事をもう少し書きます。

読み返すと前を読んでるかサイトで僕を知ってないと分かりづらいでしょうが、前の父を読んで欲しいですね。


多分今のうちしか書けないからですね。

今は家で寝てますね。起きれないことも無いけど調子が悪いと倒れて人を呼んでます。


大晦日も久しぶりに甥っ子来てたのに、ベッドに寝たままで夜僕が風呂に入ってたらヨーイヨーイ!って聞こえました。


ヨーイ!って呼び方は父の出身の独特な言い方で僕もたまに使います。

おーい!より声が通る気がするんですよね。

大晦日だしゆっくり風呂に入ろうとしてたらそれだから、慌てて出て部屋に行くとひっくり返ってた。


だけど、特に何かあるようでないからちょっと待っててと言い、身体をある程度吹いて服を着ました。


うちは暖房入れてないから寒いんですよ。


風呂から出たら直ぐ着替えないと風邪を引きますからね。

起こしてやろうとしたら色々言うから、お父さん動けるじゃんと言うと怒りました。


もういい!!です。自分自身で動いて何とかベッドに行きました。

いちいち気にしてたら大変なのである程度は放っておくんですよ。


それと母への甘えが酷いから、母と僕はへとへとになりますからね。


兄は同居しててもアルコール中毒鬱で動こうとさえしませんし、父を嫌ってるから冷たいですよ。 

本来はいつも家にいる兄がある程度見るべきなんですがね。


最近はオムツしてて、行けない時は中でしてるせいか腐臭がします。


仕方ないんですが、今度大きく倒れたら救急車を呼んで三ヶ月でも入院させます。

その方が多少の回復はあるだろうし、家より余程行き届いてますからね。


前に大きく倒れた時に入院させたら良かったんですがね。


残酷な事を言うようですが、冬が辛いと思うんですよ。


冬を乗りきるには家ではなかなか難しいですし、色々な検査を断ってるからやるべきですね。

別に卑怯な手段では無くてその為の保険ですし、春までに少しでも回復はしなくても平行線を辿れば良いと思うんです。


そういう父とは小学校の二年で離れて暮らしました。


仕事の為ですね。トンネル掘りを父もしてて、あちこち動くのに子供が転校は無理だろうになったんです。


兄弟の中で六歳離れてる妹だけは連れて行きました。


その前にもあちこち預けられてましたが、本格的に預けられたのが小学二年です。


祖父母の所です。


まだ祖父は働いてて祖母に預けられたといってよいと思います。


僕は特に気にしなかったですよ。

後から寂しくなるけど転校は初めてじゃない、し多分状況が掴めてなかったんでしょうね。


兄は二つ年上で四年生でしたから、これが心の闇に凄くなったようです。


だけど、そんな子供は沢山居るんですよね。


それを何時までも恨んでもねです。


それだけで無くて、会社倒産の時の父が余りに不誠実だったからとも言うけど、それを病気の人を攻めてもねです。

それとこれは、四十代になって母から聞いたんですが父が浮気をしてたらしいです。

それも非常に近い人間とです。

それで祖父がこのままでは駄目になるから子供は預かるからと申し出たようです。

父は浮気とかに縁の無い人でしたし驚きましたね。

会社の全盛期もそういう事には疎かったです。

特にそれを聞いても許せないとか無くて逆に親父も男だったのねですよ。


そうして預けられた先は漁師町です。

最初はカルチャーショックが多かったけど、狭い所だからいやらしいかと思えば、そんな事は僕は感じなかったです。

オープンでしたし転校生を見守ってる感じですよ。

漁師町独特の荒さが有るけどだけど優しかったですね。

僕は生まれは熊本県ですが、その場所に行ったことがないんですよね。

その市には何故か行ってない。

その後後から聞くと、両親と兄とで転々としてます。

新潟だったり愛知だったり兵庫だったり、細かいの入れたら幾つになるの?ってくらいですよ。

それは良いとして漁師町で育ちました。


広島からの転校生でね。

僕にとっては広島が先ずは元風景で、次がその漁師町でしょう。

中学生まで親と離れてて高校で同居します。

今でも高校に入った頃借家でしたが、春の匂いとか思い出します。

新しい事が始まるんだなです。


高校卒業して福岡に就職して、何故か京都に行きます。

少しフリーのトンネル業をやってから親父の会社に親戚のおじさんに誘われ入ります。


富山県に飛びましたね。

その前に実家に戻って一時的に本社で事務を覚えました。

一ヶ月くらいかな。その時にあー!親父の会社って大きくなったんだですよ。

その後更に大きくなるけど、この頃が良かったかもです。


富山は親父が独立した所で、子供の頃に夏休みには行ってましたね。

そして富山までは飛行機を使ったのは一回位で、ほとんど電車ですよ。


半日かかってました。

何故か駅まで親父が送りに来てくれる事が多かったです。


最初に送ってくれた時に週刊誌は要らないのか?と言われて驚いたのを覚えてます。

本は持ってるし食べ物は車内販売で良いかです。


それと二十代前半の僕には週刊誌を読むって習慣がなかった。


おっさんがする事って感じでした。

しかし、あー!そうだなで週刊ポストと週刊プレイボーイを買いましたね。


多分親父がお金を出してます。


それから何度も電車を使うけど、恒例のように週刊誌買うようになりました。


大抵ポストと何かでしたね。本も読むけど疲れたら週刊誌読んでました。


僕は飲み屋以外では飲まないし、サンドイッチ買ってコーヒー飲んでですよ。


実にくだらない話しですが、そういう旅をする時のパターンは誰かと会社の先輩と一緒の時に、親父そっくりだなです。


しかし、親父と違うのは本を読むって事ですね。

皆ビールを買ったり弁当買ったりするけど、僕は駅弁を電車内で食べるのが恥ずかしいのと嫌でしたね。


会社の先輩と関西に行った時に、お前は似てるなあですが、似てるって言うかそういうパターンを教えてくれたのは親父ですね。


しかし、多分一度も二人で電車で長く移動は無いんですよ。


こういう事を書こうとしてたのでは無くて、もっと強烈な思い出を書こうとしてました。


だけど、書いてたらこうなりましたね。

強烈なの倒産の時に、凄い味わいました。


一つだけエピソード添えますね。


僕は、倒産前に会社の借金をどうにかするのと、資金の調達を任されました。


資金の調達は消費者金融からトイチまでですよ。

しかし、最盛期には年商十億円を越えた会社が、そんなので立ち直る訳はないんですがバカですよね。

あとは行ける所に行って、借金をチャラにしてもらうように交渉しました。


下請け会社ですが、更に下請けが居ましたからそこの五十万円とか百万円位を、かなり無茶な形でチャラにしてもらってました。


手口は書きたくないし、いつか違う形で書くので伏せます。


当時ストレスから食べれなくて痩せてしまって、サングラス掛けてあちこち回ってた。

もう狭い街ですから噂が立つんですよ。


車の車種はこれでこういうタイプってね。


中には相当恨んでた人も居ましたからね。

あのヤクザのような息子はですよ。

ある時に本職のヤクザになってた同級生から忠告されましたね。

あちこちでチンピラがお前を狙うと言ってるとね。

本職は動かないけど建設業ですから、安いお金でチンピラは動いたんでしょうね。


実際に何度か数人に追いかけたりしてたからヤバイなです。


本職のヤクザになった友人は後に亡くなるけど、お前さあ武器を持ってろ、です。


一応沖縄で買った警棒だけを持ってましたが、友人が言うにはそれだけで何人も来たら身を守れるか、です。


剣道二段でしたし、荒事はこの時は得意になってたから自信があったけど、本職の友人に言われてそうだなです。


友人はまだ珍しかったスタンガンやろうか、でしたが断りました。


それならってんので、強力なエアガンと千枚通しをくれました。


ナイフで無くて何故千枚通しか、ナイフなんて使いなれてなかったらダメだよです。


千枚通しなら後ろのポケットに入れてて、一気に太ももを刺せでした。


エアガンは遠くから来るのには有効だと言われました。


千枚通しは服の何処かに常に持ち歩きました。


それで刺したかは、一度有りますよ。

何かの用事を済ませて車に戻ってたら後ろから羽交い締めにされて、咄嗟に相手の腿辺りを思い切り突きました。


相手は二人でしたがまさか刺されるとはですね。


逃げましたよ。そういう風に話すと悲壮感があったかと言えば、まだこの時点ではないんですよね。


俺は親父のために動いてるですよ。

親父を信じれば何とかなるです。


バカですよ。今思えばね。


チンピラを使ってるって言う会社に一人で乗り込みましたね。


悲壮感より俺がやらなくて誰がやる、です。

今思えば笑えるけど、向こうも必死でしたしこっちも必死でしたね。


しかし、妙な充実がありましたよ。

千枚通しで刺すとかだけで無くてヤバい場面は何度もあったけど、海外に仕事で行ってたから拳銃が出るわけでもないし、本気で殺すまで出来ないだろう、ですね。


海外のヤバさとはまるで違ったですよ。


悲壮感や喪失感は会社が倒産して家を取られてもまだ無くて、しばらくしてですよ。


後に妹が言うけど、あの頃の兄ちゃんは怖かったけど生き生きしてたです。

結局絶対的に親父を信じたんです。


それが、実は親父のやり方だったと気付くのも随分あとですよ。


短絡的な息子は使えるな、ですよ。


今思えば笑えると言うより情けないですよ。

だけど、僕は親父を信じたんです。


それは自分自身の頭の足りない判断です、が誰からも強要されてないんですよね。


話しがあちこち飛んだけど、倒産するってのは悲惨ですよ。


家を何とか守ったの母ですね。

母は暴走する夫と息子を冷静にみてたようですね。


この話しは自慢でも何でも無くて、今思えば失敗なんですよ。


倒産後に一時的に逃げますが、本物のヤクザにも狙われました。

長男はアルコール中毒鬱で誰も相手にしてなかったけど、次男の僕は派手に動きすぎたんですね。

殺されるなら殺してやろうと思ってましたよ。


まあ、それを止めてくれた恩人が居るんですけどね。


この頃の事は僕には大転機でしたし、助けてくれる人裏切る人見たから今後の大きな題材ですね。

今ではオムツして半分ボケてる親父も元気が良かったですよ。


この頃に僕と同じで一気に痩せて戻らなくなったけどね。

僕は一気に痩せて、しかし、戻りましたね。


年齢の違いとプレッシャーの違いでしょうね。


話しは最後に戻るけど、高校に入って古い民家を借りた時の春の匂いを、今でも懐かしく切なく思い出します。


こんな風に散り散りの話しになると思いませんでした。


四十代に入ってからまた少し人間が変わりましたね。

それと本当にあの頃はバカだよなです。

今はなるべく平和的にと、親父的な生き方はしないです。

それでも時に、あー!息子だなと思いますけどね。

抑えられない血でしょうかね。

それでもそれは否定的に取らなくて、父の良いところも貰ってるなと思いますよ。

おわり

高山の作品紹介
次回は 随筆「父 3」

「ガーターベルトの女」~映画化のために

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管理人 無名居士


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