高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【281】
妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
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【随筆】安倍総理の会見を見て 雑感
高山の作品から
随筆「母に対して思う事 雑感」
2017/06/12
こないだ、渥美清の事を書いたら寅さんを実際観てないって人がやはり多くて、ジェネレーションギャップを感じましたね。
特に僕の読者は年齢はわりと高いけど、ジェネレーションギャップだけで無くて女性は寅さんを観ないかも知れないですね。
管理人さんと僕の間にもあるジェネレーションギャップってのは仕方ないし、それでも書いて何か伝わればと思うんですよね。
ジェネレーションギャップはあって当然だし、良いと思いますよ。
それでも何かしら伝われば良いし、もう一つは書くことによっての再確認と言うか自分自身の中に沈んでる何かを取り出したり、或いはそれについて気付きを与えてくれます。
まあ、単純にこういうのを書きたいと言う気持ちが今は特に強いんですよ。
今回は、身内を書く時に最も難しいと言うか書きにくい題材です。
母親ですね。
正直簡単には書けないですし、本当に思念があちこち飛びますよ。
僕の母親は昭和十九年生まれですから、七十は越えてます。
父が悪くなって、母親が面倒見てなかったからとても仕事など出来なかったでしょうね。
その代わり手伝える事は手伝ってるし、父の借金問題がまだまだ片付かないのを僕がかなり負担してるから、母も僕が居なかったらやってられなかったでしょうね。
僕もたまには、お金の事で揉めながらも全く贅沢をしない母に頼まれたら、頷くしかないんですよね。
母もかなり長く温泉のアルバイトに行ってます。
父の仕事の関係でトンネル工事の炊事を若い頃はやってて、会社が順調になってからは炊事を取り仕切ってました。
あちこち引っ越したのとかあったからか若い頃に車の免許取ってるけど、本来は運動神経とか悪くて仕事の関係や引っ越しが無ければ、車の免許取ってないかもと思います。
しかし、車は怖がりで自信のない人の方が事故が少ない気がします。
母は、大きな事故も無く今でも乗ってますし、安全運転です。
父の会社倒産後は、炊事としてトンネルの現場に入ってました。
炊事婦としては優秀ですね。
たまたま母が炊事をしてた会社から作業員が来てて、褒めてました。
トンネル工事を成功させるのは作業員よりも、先ずは良い炊事婦さんです。
何よりも、工事に入ったら食べることが一番の楽しみになりますからね。
母は、もうかなり前に年齢的しんどいと言う事で炊事婦辞めてますが、未だに電話が来ますね。
工事が始まるけど来ないかとね。
腕が良かったんだと思います。
僕は一度も母が炊事婦してる現場に入ってないけど、あちこちから評判は聞きますからね。
父の会社の倒産の時や、今でも引きずってる借金の問題やアルコール中毒鬱の兄の問題などあって、母の半生の後半は決して幸福ではないと思います。
まともに頼れるのは僕だけになってるかも知れないですね。
親戚も母を嫌うでは無く、父を嫌って離れた人が多すぎますからね。
親戚は父を攻撃出来なくて、人の良い母を標的にしてるような人も多いですよ。
僕を標的にしようとしたら、僕が激しく拒否しましたからね。
まあ、母の性格は楽観的ですよ。
楽観的で明るいですね。
そうでないと今頃倒れてるでしょうね。
僕は、若い頃は母の明るさが面倒だった時期もあって、文句も言ってますね。
それとお人好しですし、わりと人を見る目がない。
父の会社が順調な頃、雇ってた炊事婦で問題が有るだろうって人が居たけど、母に取り入ってたんですよね。
何度もあの人は不味いよ、そのうち大きな失敗が起きるよ、と言ったけど無駄でした。
結果的に既婚の工場長とは男と女の関係になるし、会社のお金はかなり着服したようで、そら見たことかって結果になりましたね。
会社倒産時には、イケイケの父に対して母は慎重でした。
僕は父に付いてたから、そういう母に批判的でした。
当時の様子を、母は何かにとりつかれたようになってて、お前が怖かったと言いますよ。
色々有りすぎた中で一つだけ、当時の事で覚えてるのを挙げます。
普通の倒産では無かったですし、未だに尾を引いてる倒産でしたからね。
もう倒産も決まって自己破産の手続きもしたんですが、何しろ手元に現金が無いんですよ。
売れる物はかなり売りました。
本とかCDやレコードですね。
服とかは、大事なのを幾つか段ボールに入れて友達に預けました。
後は、当時は売る所が無くて捨てましたよ。
自分自身に残ったのは、ライトバンに入るだけの荷物です。
それと友達に預けた二、三個の段ボールでしたね。
本なんかは、段ボールに何個も入れて持って行っても微々たるお金しかならなくて驚きました。CDは、それより少しましでしたけどね。
そういう状態でもお金が無いんですが、母にそれを言うと郵便局の古い証書のようなのを出して来ました。
僕と兄が生まれた時から少しずつ積み立てたもので、これがうちにある全てと真面目に言われました。
母は、お金に関してや色々な物に関してきちんと管理するタイプなので、母がこれが最後と言うことは本当に最後なんですね。
それが数万円で、直ぐに払わなくてはいけない物が出てきてその数万円で払いました。
僕の中では堅実な母なら隠してるだろうと言うのがあったんですが、堅実な母でも父のプレッシャーや周りのプレッシャーから全てを出してましたね。
この当時、母が居なかったら家の物も全て持って行かれたと思います。
今でも食器や最低限の生活道具が残ってるのは、母が居たからでしょうね。
母親は堅実ですよ。
僕や父は山師ですね。
詐欺的では無いかも知れないけど、一発当てたら良いじゃない的な人間ですね。
だから、夢中になると周りが見えないです。
母親の方の親戚筋は堅実ですが、男のおじさん等は父の会社の重役だったのに、堅実を選び過ぎて男らしくないと言われてます。
どちらが良いとかで無くて、持ってる資質でしょうね。
しかし、僕も四十代に入った頃から自分なりに堅実になってます。
僕は父親的な資質を主に受けてますが、最近は母親の気持ちも分かりますね。
それに、七十代を過ぎてもまだ働かないといけないって大変ですよ。
身体が弱くは無いけど、強くも有りません。
脳に何か出来ててそれを取り除くか、今はとにかく誤魔化して注射を射つかで、半年に一度注射を射ってます。
顔が最近はすっかり曲がってますよ。
手術を勧めるけど、本人がまだ大丈夫と言うので今は余り言いません。
その代わり元々肩こりだったのが、目の所がひきつるらしくそこから肩こりが更に酷くなってます。
時間が空けば肩を揉んでますが、母の肩こりは酷くなるけど僕の力も徐々に衰えてるんですよね。
三十分も揉んだらもう大変ですよ。
たまに、揉んだ後に僕にジュース代と言って三百円とかくれます。
これが前は煙草代と言って五百円をくれてましたが、父がある程度の介護が必要になってから経済的厳しいんでしょうね。
四十代後半の男が母に小遣い貰うって笑えますが、僕は断りませんね。
甥っ子が泊まりに来ても、前は野球を見に来たり何かと付き合ってましたが、今はほとんど来なくて夕食の準備してます。
本人いわく、生活のペースが乱れたら疲れが酷いらしいです。
甥っ子が泊まりに来て、前はTSUTAYAに一緒に上がって見てたのも車で待つようになりましたし、この数年で体力的に落ちてると思いますよ。
アルコール中毒鬱の兄が居なければストレスも半減するでしょうが、何だかんだ言っても兄は子供なんですよ。
僕から見たらあんな奴はどうにかしてくれと思うけど、そう簡単で無いのも母も僕も分かってますからね。
事情を知ってる前に話した母方のおじさんから酔って電話があって、お前の所はそういう点をきちんとしなかったからダメなんだと言われました。
このおじさんが母親の弟で会社倒産時に重役でしたが、家族を守るためとはいえ余りに男らしくない行動をした人で、トンネル業界でも散々に一時期は言われてた人です。
僕はそういう事を酔って掛けて来るなと言ったのと、もう一つはあんたに言われる筋合いはないわ、と返しましたね。
何かを助けてくれるでも無くて、父に恨みがあって文句を僕に言いたいだけなんですよ。
僕に言わせたら父にも責任は有るけど、重役のあんた達にも責任はあるだろうとはっきり言いました。
用事が無いのに掛けて来るなとも言いました。
まあ、色々大変ですが、母はこの七、八年で韓流ドラマにはまって良く借りてますよ。
それもなるべく安いのを何度も観てますね。
それさえも使いすぎてるのでは無いかと言うから、そのくらいは良いじゃないかと言いますよ。
それでストレスを何とか抜いてるんだと思います。
しかし、兄がおかしい時は部屋で大声出したり物に当たるんですね。
そして、父がやはり調子が悪いとベッドから落ちてたりするんですね。
夜寝てても気持ちが静まる事が有りませんね。
僕はふすまだけを隔てて隣の部屋ですが、夜になると何かの声がするで起きたら母親の大きな寝言です。
それが追い詰められてるような寝言で、何度か起こした事が有ります。
大体そういう時は、兄の事でストレスが強い時ですね。
僕は、仕事で時間帯がバラバラなのでなるべく静かにしてるけど、夜の物音にははっとします。
それがたまに母親の寝言だとはっとして起きて、激しいと起こします。
僕はこないだ仕事で民宿に少し泊まったんですが、元請けの若い人とか高山さん何もないところですいませんとか言うけど、ほっとしました。
いやいや、全然そんな事はないよです。
仕事が時間がバラバラなので、それでも大抵家に帰る僕には家に居てほっとするってないです。
たまに現場に泊まっても、周りは酔っててうるさくてもぐっすり寝られます。
それを母親に言うと、そうだろうなあです。
母親は楽観的ですが、流石に歳を取ってきたのと長年の苦労からかすっかり小さくなりましたし、何かの拍子老けたなあと思います。
自分自身の人生の晩年が、こういう形になるとは思っていなかったでしょうね。
子供の頃は一緒に暮らしたので、その頃の事を良く最近は聞きます。
僕は二歳上に兄が居て、六歳下に妹が居ます。
妹とは幼少期はそれほど一緒に居ませんでした。
兄と常に一緒でしたね。
僕は兄の方がワガママ言わなくて、次男の僕の方がワガママだったと勝手に思ってたら違ったようですね。
僕は比較的ワガママではなかったけど、二人とも何時も風邪をひいていたらしいです。
それと、母が本好きで絵本や何かを沢山読ませてくれたけど、それに兄もハマってたと思ったら僕は一度絵本にハマると、ご飯の時も夢中で動かなかったらしいです。
それを聞いて笑いましたね。
今でも本にハマると動きませんからね。
読書の環境を与えてくれたのは母ですね。
それと、僕は生まれは熊本県ですがそのあと何ヵ所も短い間に移ってるようで、それも驚きました。
二十代や三十代の頃は、こういう話し全くしなかったです。
特に自分自身が精神的病をやってからは、極端に話さなくなりました。
四十代になってこうして話し出したのも、一つは甥っ子と言う共通の話題が出来た事です。
甥っ子の誕生日とクリスマスは、二人で何を買ってやるか決めますね。
少し前までは二人で近くのデパートに行って、子供服をあーでもないこーでもないと考えてましたよ。
結婚してないし子供の居ない僕には、新鮮で楽しい体験でしたよ。
今は野球してるし、PUMAが甥っ子好きなのでPUMAの何かを買いますね。
ゲームとか高いのは買いませんし、分かりませんからね。
今こうして書いてたら、隣の部屋からドスンと音がしました。
母は、ふすまを隔ててミシンを使ってて気づかないようでしたから見に行くと、父がベッドから落ちてました。
しばらく見てると、自分自身で這い上がれそうなのでほっときます。
父的なものが多く入ってると自分自身では思ってたけど、妹に言われたのがお母さんにも似てるよ、です。
母も僕も、物や服に拘りが有るんですよね。
だから何かを貰っても、自分自身の趣味で無かったら全く使わないです。
特に服とか装飾品とかですね。
僕も母も高いからとかよりも、自分自身が気に入るかですね。
だから物をくれる人は、大抵食べ物か無難な所で煙草です。
母は、もう滅多に新しい服とか買いませんけどね。
ほとんど貰い物で外に出るのに恥ずかしくない程度ですよ。
妹にそれだけかと笑って聞くと、そうでもないよと言われましたね。
若い頃は父的な要素が強かったけど、妹が見てても何かの拍子に母的な要素が最近は出る、と言われました。
妹は人を観察するのが得意ですし、わりと的を得てるからそうなんだろうなと思います。
それと高校生になって初めてまともに一緒に暮らし始めますが、その頃がある意味一番幸せだったのではと思いますよ。
父の仕事も順調になり始めてだけど、そこまで大きく無くて家族が当たり前に暮らした時期ですね。
普通の家庭ですよ。それが一番だったと今では思います。
母は勉強しろとか全く無くて、どうしても僕が学校サボるから呼び出しが何度かあったんですが、それについて何も怒った事はないですね。
当たり前のように呼び出しに行ってましたね。
隠れて煙草を吸ってても、知ってて知らないふりでした。
自分の息子が大きく道を外れないと思っていたのか、それとも子供の頃に一緒に居てやれなかったから言わなかったのは分かりません。
一度聞いたのは、自分自身が親に凄く色々言われたから子供にはなるべく言わないようにしよう、と決めてたようですね。
どちらかと言うと父が怒ってましたよ。
これは書いたかも知れないけど、三十代前半の頃に広島県で飲み過ぎてタクシーに乗って、何かの拍子でタクシーの運転手さんと喧嘩になりました。
広島県はタクシーの運転手は良い人も居るけど、え!?って人も多かったです。
それで言い合いになって降ろされたんですよね。
酔ってるから道の真ん中で寝ましたよ。
星が綺麗で酔ってて動く気にもなれなくて、このまま車にひかれて死んでも良いや、でした。
そのうち小便がしたくなったけど、面倒でジーパンも脱がずにしたんですよ。
相当酔ってたんでしょうね。
しばらくしたらパトカー来まして、起こされて家に連れて帰られました。
タクシーの運転手さんが呼んだんだと思います。
その時たまたま母も家に居て、これには参りましたね。
パトカーで、こいつ小便してるとか言われてもうるせえなあでしたが、母にそういう失態を見られるのは恥ずかしかったですよ。
色々悪いことを見られてますが、これが一番恥ずかしかったですね。
家に居るってすっかり忘れててね。
この時も、特に何か言われたとかないですね。
もちろん時には注意をされたりは有りましたが、激しく怒られたとかないですよ。
社会人になって他所に出たり父の会社に入ってから長く留守にすると、帰って何がしたいかと言われたら、母の料理を食べたかったです。
それと、父の会社が倒産寸前の頃に沖縄の女の子と恋に落ちました。
当時三十歳くらいで、相手は八歳下の明るい可愛い女の子でした。
一緒に現場に居たおじさんにも紹介すると、お前の所のお母さんの若い頃に似てるじゃないか言われて、え!?そんなのやだよと答えましたね。
そのあとこっちにも来させて、両親や兄弟には紹介しました。
こんなに本格的に紹介したのは一度だけです。
相手の家にも、きちんと結婚を考えてると言いましたからね。
これも最近妹が言うんですが、あの時だけは真面目に結婚する気だなと思ったけどお母さんに似てるな、と思ったとの事です。
最近言われたら、あ!そうかですよ。
母性的な物を求めてたのかも知れないですね。
当時言われた時は、え!?そんな事は無いよでしたが、今ならそうだったかもと思いますね。
良く、生まれて直ぐの原風景とか言うけど、一つは母に連れられて何処かの田舎道を歩いてる風景です。
父との何かと言うのは出て来なくて、母に連れられてってのしか出ないんですよね。
この前、それは何処だろうと聞いたけど、余りにあちこち引っ越してるから何処なのか分かりませんでした。
男は、最終的に母親の面影を一生思うのではないんですかね。
マザコンとかでなくてね。
こういう話しを同年代の男に話すと、皆が賛同しますね。
男は、ある年齢になると母親への思い入れが強くなるんだなと思います。
特に若い頃孝行息子で無かった連中は、今になって孝行してますよ。
僕もその一人でしょうね。
色々思い入れが多いのと、我が家はまだまだ問題が山積してる為に話しがむちゃくちゃになりましたが、男にとっては母親って凄い大事なんですよ。
特に歳を取るとね。
段々小さくなっていく母を見ながら思うのは様々な事ですが、大変な人生だなとは思いますよ。
それをこの先、何とかサポート出来たら良いなと思いますね。
中年の男が母親に思うことって単純ではないなあ、と書きながら思いましたね。
単純では無いから、必死に模索しながら書いてます。
少しでも母が精神的楽になってくれたら、とは今は願いますよ。
おわり
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次回は随筆「あるソープ嬢との思い出と現在」
「ガーターベルトの女」~映画化のために
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「ガーターベルトの女 外伝」(フィクション編) 1
「新・ガーターベルトの女 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
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