高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【230】

妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
無名作家高山のエッセイ「ガーターベルトの女」の
映画化芝居化・・・その他いろいろ作品化できればなんでも
なんて途方もない夢を観ています

高山の作品から
随筆「
ある人3

2016/12/26 

また1990年代初頭の京都の話しです。前を読んでなくても多分分かるように書いたつもりです。


京都競馬場は今は改装されて良い席では風も入らないようですね。


僕が行ってた時は良い席でも冬は寒かったですよ。


早くからレンタルビデオ店の仲間と並んで特別観覧席を取るんですよ。


ほとんど下で見たことないです。


競馬にはレンタルビデオ店に入ってから教えて貰ってハマりました。

大い時で百万円単位を勝ちましたが、元では数万円なんですよね。

最初のきっかけは、レンタルビデオ店の古参の杉本さんって居まして、確か五歳年上で何時までもフリーターなんですよね。

前に書いた店長代理の木田君とはタイプが違うけど二人とも競馬やってました。

学生以外は他の店舗や店を辞めて就職してる人まで競馬に狂ってましたね。

その杉本さんから高山君いくら今余裕ある?といきなり聞かれて、当時はまだ入って間もなくなのと警備員時代の貯金が有りました。


今考えたら貯金があったとは!!ですが、警備員は稼がせて貰ったのとレンタルビデオ店は、最初入れる時間が少なかったから貯金残してたんですね。


それに京都の街もそれほどでも知らないし、パチンコも一時的に辞めてたから遊ばないし使わなかったですよ。     


使うのは生活費と本代だけでした。それも本も当時は目も良かったから、なるべく厚くて安くて面白いのを探しましたね。


古典を読んだのはそれも有るんですね。


まあ、最も使わなかった時期でしょうね。

今は使えない時期ですけどね。

それは良いとして杉本さんのいきなりの問いに十万円有りますと答えました。 

店にもやっとまともに入れて貰えるようになって、警備員時代よりはかなり低いけど食べて行くのは苦労がなくなってたからね。


当時はバブルの残り香あったし、食べる為なら若いなら何処でも雇ってくれたしそういう点では気楽ですよ。

その十万円でオグリキャップがらみの馬券を買いました。


多分ですが、オグリキャップから流して二点買いでオサイチジョージだったかもです。

杉本さんは競馬新聞の見方を教えながらオグリは間違いないんやと繰り返し言いましてそこから何点か挙げて買えよです。


僕はオグリキャップから二点しか買わなくて驚かれました。


元々高校の時からパチンコしてたしギャンブルは好きでした。


それなら一生の思い出に思い切って買おうです。


それが来まして確か十万円で入れて倍になったと思います。


そういうのを二回繰り返しました。


同じようにオグリキャップからだったと思います。

そして同じように十万円で倍にだったと思いますね。


周りは驚きましたね。先ず買う度胸の良さと運ですね。


それから競馬場に連れて行かれました。


しかし、夏だったと思うけど京都開催は無くて小倉開催をテレビを見ながら買いましたね。


十二レース中十レースを当てたの覚えてます。

その時も十万勝ちましたね。


そこから毎週末行くんだけど勝つんですよ。


多分一ヶ月近く必ず勝って帰りました。

段々分かってきて早く京都開催にならないかなでした。


しかし、ビギナーズラックはそんなに続かず、それとある程度分かってくると逆に考えすぎて勝ったり負けたりになりました。


単勝一転買い五万とか十万とか良くやりました。

基本的に穴を狙わず本命を絞って絞って買いましたね。


負ける時は最初のレースで飛んで後は見てるとかね。

賭け方が全部合わせてたら十人程居たけど僕と店長代理の木田君が一番激しかったです。 

押さえとか滅多にしないし、勝ってる時はイケイケですよ。

だから数万円が百万円とかになったんですよ。


安全を選ばずに駄目なら一気に今まで儲けたの数十万円が飛ぶって賭けです。  

そういう時に出会ったのが四十代後半か五十代でしょうか中年のおじさんです。  
たまたま席が隣でその時は何故か皆は少し離れた席でした。


中年の特に特徴はないけど紳士的感じの人でしたが、隣から話しかけられて何となく話してましたね。


僕の朝からの賭け方見てて若いから出来るけど危ないよです。


昼になったら奢るから昼御飯食べに行こうです。


僕らは大体賭けるのに夢中でサンドイッチとか食べなからでしたから競馬場内で食堂とか余り行かなかったけど付いて行きましたよ。

何でも食べろでカツ丼かなにかを頼むともっと食べろです。


もう無理ですと言ってご馳走様を言いながら出ようとしたら次のレースは私が出すからです。

え!?ですよ。君の事を気に入ったからお金は私が出すからです。


僕は若い頃に中年に可愛がられました。


今の仕事に入ってもです。


だから食事を奢って貰うのは良かったけど次のレースはお金を出すってのは常識的にないだろうですよ。

僕がお金がないならですが、少しだけ儲けてるような状況でしたからね。


そしたら、その人は私はスーパークリークを見に来たんだと言って、京都の地方の街で学校の教頭をしてると言いました。 
 

地方の街は覚えますが敢えて書きませんね。


スーパークリーク後で観られて、そして君のような好青年と出会えて嬉しいから出させてくれですよ。

僕もそれなら次に数万円賭けるけど良いかな?です。


本当に数万円賭けるつもりでしたし、今なら悪知恵も働いたかもですが、当時は全くその人を利用しようとかなかったです。

それは四十代後半になっても残ってますね。    


そういうとサイトの方々はえ!?でしょうがね。 


悪に徹する時は徹するけどあ!この人だと思ったらお人好しだし純粋ですよ。 


当時からかっとなると駄目でしたが今より更に純粋でした。


ある部分ではね。それをその人は見てたのかもです。

そして財布から次のレースのお金をくれるんですね。


席に戻って新聞やパドック見ながら決めました。    

その辺りからその学校の教頭がボディタッチが増えました。    


その前からやたらに触るなあでしたが癖だなと思ってたんですけどね。       

そのレースは勝ったから貰ったの返しましょうと言うと自分も君と同じので勝ったしあげたんだから良いですよと言われました。   

そして次も出すよですよ。しかし、次は大きく勝負したかったから断ったんです。    


確か1・3倍の単勝に十万円入れたかったんですね。  

それを言うと良いね。出すよです。


そう言いながら太ももをけっこう激しく撫でるんですよ。   


だけど、あーこの人も狙いが良いから誉めてくれてるんだなです。   


十万円出してくれました。


これも来ました。次も同じように出すよです。


しかし、次は確か難しくて取れなかったですね。
 

そうしててトイレに行ったら杉本さんが慌てて来ました。
 

高山君あれはヤバイぞです。


二人の様子を後ろから皆は見てて、邪魔しないようにしてました。 


杉本さんにえ!?何がですと聞くとあれはおかしいぞです。

前にも競馬場で同じような光景を見てて、多分あの人だよです。


あれはホモだよ狙われてるよです。   
 
えー!?ですよ。


確かに考えたら雰囲気的にそういう感じは有りました。


だけど警備員してる時も良くしてくれた人は物腰が柔らかくて何もないどころか・ひたすら良くしてくれただけなのでそういう物かなでした。
       


しかし、警備員の時の人は良くしてくれたけどボディタッチは無かったし初対面からここまでしてはくれなかったです。


杉本さんはお金を出して貰うのは良いけど、帰る時は俺達が強引にでも連れて帰るからです。
 

分かりましたでした。


その後もボディタッチは続くけどお金も出してくれるからこのくらいは良いかなです。


結局けっこう勝ったら杉本さんと強面の演技の入った木田君が来て、無理矢理引き離すように帰りました。


杉本さんの車で来てたし、車の中では高山君得したなあとしかし、鈍感で気づいてないから驚いたよです。     

皆で笑いましたね。


警備員の時に年上から良くして貰ったからと言って、皆がそういうのでないからですね。     


しかし、そのあとに競馬場に行くとかなりの確率で見かけるんですよね。


逃げてましたね。他の若い人を連れてるのも見ました。 


そしてある時手紙が来ました。そう言えば住所教えたよです。 

読むと達筆な字ですが競馬場で見かけるけどどうしたの?とか恩があるでしょとかです。


それを遠回しに書いてるんですよね。


そして最後に一度泊まりに来なさいと、刺身でも美味しいお肉でも食べさせてあげるからです。  
   
レンタルビデオ店に持ってて杉本さんと木田君には見せました。


絶対行ったらダメだよでしたね。


ギャンブルの場所に集まる人は異様な人が多かったけどこの人は印象に残る一人です。


普通に良くしてくれた人も多かったから油断が有りましたね。


年上は賭け方を見て心配したり、店の名前を聞いて来はじめたり有りましたし、場外馬券売り場で知り合った人に寿司を奢って貰ったりも有りました。

そういう点でこの人のような人が居るのには驚きましたね。

もしかしたらホモではなかったかも知れないけど、その後も手紙来ましたからね。


内容が恨み的に段々なってて開かなくなりました。


それに僕も見たけど若い男の子を連れてボディタッチを激しくしてるの、その後も何度も皆が見てます。

木田君はその人が若い男を半分強制的に肩を組んで競馬場歩いてたの見てますね。
 
今では全くギャンブルやりません。やるお金があってもしないでしょうね。

それだけ競馬の数年間で本気でこれで生活しようと考えたのと自分自身がギャンブルに対して自制が効かないのを知ってるからです。

パチンコももう十五年は行ってないですね。

しかし、この頃の生きるか死ぬかのギャンブルは良い経験でしたよ。

時には電気ガスも止められて寒い京都を過ごしました。

何と言うか、焚き火の中に手を突っ込んででも取ってやるって感じのギャンブルでしたね。元銭は少なくても、だから凄い勝てる時は勝てたんでしょう。

だけど、最後は負けてますからね。良い時ばかりでなくて最後は悲惨でしたよ。

今はとてもじゃないけど出来ませんね。

なおこのエッセイはゲイやバイセクシャルを差別的する意図で書いてません。


こういう体験が有りましたって事ですね。


おわり

高山の作品紹介
次回は 随筆「父」

「ガーターベルトの女」~映画化のために

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管理人 無名居士

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