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#12 貧に落ち切るひながたと、命を奮い立たせる生き方

教祖のひながたの中で、貧に落ち切られたひなかたは、とても大きな意味をもっていると考えます。

私のnoteでも、貧に落ち切ることについて取り上げました。


そして、今回は、貧に落ち切ることと、命を奮い立たせる生き方について考えていきたいと思います。


1.貧に落ち切るひながた

教祖は月日のやしろとなられてから、一番はじめに、ものを施し、貧に落ち切られる道を歩まれました。

この貧に落ちきられた理由として、


一列人間を救けたいとの親心から、自ら歩んで救かる道のひながたを示し、物を施して執着を去れば、心に明るさが生れ、心に明るさが生れると、自ら陽気ぐらしへの道が開ける、と教えられた。

         『稿本天理教教祖伝』p23


とあります。

貧に落ち切られたひながたで大切なのは、執着を去ることであると考えます。

貧に落ち切るのが目的でなく、執着を去り、心に明るさをもって通ることが大切だと思います。

そして、執着を去るということは、今の我々にも大切なことをひながたによって教えて下さっていると感じます。


2.命を奮い立たせる生き方

私が読んだ本の中で、岡本太郎さんの『自分の中に毒をもて』という本があります。

その中で、

 自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。
 己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し、生きぬかなければならない。
        (中略)
強烈に生きることは常に死を前提にしている。死という最もきびしい運命と直面して、はじめていのちが奮い立つのだ。

    岡本太郎『自分の中に毒を持て』p245

と言われています。

つまり、人間は自分を大事にしすぎるあまり、逆に生きがいを失う。

自分を殺す決意と情熱をもって危険な道を通るというように、強烈に生きることは、常に死を前提としている。

死という最も厳しい運命と直面して初めて命が奮い立ち、人間本来の生き方ができると言われていると思います。

岡本太郎さんは、自分を大切にすることを嫌い、危険な道を通ることで、情熱を持って生きることができると言われています。

貧に落ち切られたひながたと照らし合わせると、執着を去ること=自分を殺す決意になると考えました。

そのように通ることで、岡本太郎さんが言うところの「いのちが奮い立つ」天理教で言うところの「陽気ぐらしの道が開けてくる」ことに繋がるのではないかと思いました。

岡本太郎さんの『自分の中に毒を持て』は、凄く励まされる本なので、よかったら読んでみてください!


最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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