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ルテニアR(スパイ会議)-2[小説]

ルテニアR(スパイ会議)-2[小説]

2.崩壊

 一部の専門家以外は、誰もロシア連邦がウクライナに侵攻するとは考えていなかった。そうしたことをしてもロシア連邦にとってまったくメリットがないからだ。

 しかし、現実は違う。

「合理的ではないな」

「そもそもそうした考えこそおかしいんだよ」

 シャンパングラスを手にした和泉の言葉に、元一等書記官のVv(ウラジオストク)が反論した。奈良と同じような低身長だが、胸板が倍ほどある。Vvの他に「ウルヴァリン」と呼ばれている。虚構のマーベル・コミックではなく、現実のクズリ(ウルヴァリン)だ。喧嘩をふっかけた七フィート二インチの大男が泣いて逃げ出したらしい。

「ロシアは今でも帝国なんだ。専制主義なんだぜ? この時代に」

 ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンが「選挙で皇帝になればよかった」という意見もある。意外かもしれないがジョークではなく、実際ナポレオン・ボナパルトも選挙で皇帝になっている。国会で議決され、国民投票による選ばれた民主主義的な皇帝だ。

「専制主義だぞ。民主主義になったんじゃあないのかよ」

 目に涙をためたVvの言いたいことはもっともだ。専制主義とは絶対君主制で、一人の君主(王様)がすべての権力をもつ。そこに市民権などない。

 それが、帝政ロシアの終焉とともに共産主義になった。

 考え違いをしている人が多いのだが、共産主義は民主主義の一つだ。

 専制主義的な神職者、王族・貴族、庶民、奴隷という身分制度がなくなり、平等な国民に主権がある新しい世界を夢見ていたはずだった。

 共産主義者だった尾崎秀実(おざきほつみ)もそうした理想を抱いていた。※ゾルゲ事件の首謀者の一人。筆名として白川次郎。リヒャルト・ゾルゲと同じく絞首刑となった。

「いまだに貴族がいやがる……」

 新興財閥(オリガルヒ)のことだ。ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊しても人権はあるが、貧富の差は開くばかりだった。

(神>)神職者>王族・貴族>庶民>奴隷
(法律>)株主>経営者(取締役・執行役員)>正社員>パートタイム労働者

 それは西側とて同じだ。結果的に身分はなくなっていない。

「一外交官ではどうにもならん……何が汎スラヴ主義だ……理想ばかりで何もない」

 確かにプーチンはソビエト崩壊後に現れた救世主だった。敬虔なキリスト教徒であり、何より強かった。

 ロシアは古来、強い王を求めていた。それは征服された歴史があるからだ。

 だからこそ、汎スラヴ主義という虚構を信じようとする。かつて偉大なスラヴ民族がいたというのだ。それは国をまとめるだけの方便にすぎない。

 しかし、それを信じるように仕向けた。国民が信じてしまった。偉大なスラヴ民族の長(おさ)であるロシア人がすべてのスラヴ民族を助けるのだと。

 それは、アルフォンス・ミュシャが『スラヴ叙事詩』として描いていた神話だ。

「民主主義は独裁者と相性がいいからな」

 和泉が皮肉を言った。専制主義の君主と民主主義の独裁者の違いは、被治者(国民)が選んだかそうでないかだ。多くの独裁者は、圧倒的な支持で当選している。

 アドルフ・ヒトラーは、当時のドイツの国民が支持したのだ。まったく強制されず、自ら進んで悪魔を選んでしまった。それこそ「地獄への道は善意で舗装されている」といえる。

「また国が滅んでしまう……」

 結果としてそうなるだろうことは誰もが予想できた。

 ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国がロシア連邦によって国家承認されることによって、侵攻が始まるだろう。

 二日でキーフは陥落するだろう。

 しかし、その後は?

 西側の制裁は強くロシアを傷つけるだろう。

 ソ連は六十九年だった。ロシアの命運は尽きたのではないか。

「おかわりを」

 そうしたことを考えつつもロシア人らしくVv(ウラジオストク)がクリュッグを空けた。

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