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はじめまして ワコのあるきかた8

 ーー新しいいのちが 生きようとしているーー 
                  桜乃いちよう


来年の春、ワコのきょうだいが生まれることになった。
面会日に、おとうさんが話してくれた。
「なまえ、つけないと」
 ワコは思わず、おとうさんに言った。
「一緒に考えよう」
 おとうさんはそう言って笑って、うなずいた。


 ワコは、その夜、『こゆびのかお』と話した。
 
 『こゆびのかお』はいつもと変わらない表情だった。いつもと変わらない声だった。
 いつもと変わらない、というのは正しくはない。
 変わっていた。
 すこし、怖かった。

「本当にあなたがつけるつもりなの?」
 『こゆびのかお』は、ワコの話しを聞くなり、間をおかずに聞いてきた。
「あなたはどこまで、未来のことを考えられているの?」
 ワコは、きょとんとした眼をしている。

 ーーああ、やっぱり、なんにもわかってないんだわ、この子は。


 そう、『こゆびのかお』は感じ、思い詰めるように目を閉じた


 ーー本を読める子だけれど、頭の中の想像力はあるけれど。
 ーーそれだけでは、いけないの。
 そんな気持ちでいっぱいになりながら、『こゆびのかお』は、言葉を探していた。
 ーー冷静に。冷静に。

「あなたは、確かにまたお姉さんになるのだけれとも。赤ちゃんの名前をつけるなんて、できないわ」
 ワコは、たった今帰っていったおとうさんの意見とまったく違う『こゆびのかお』の意見におどろいた。
「ワコ、赤ちゃんはね、赤ちゃんのままでいるわけではないのよ」

 『こゆびのかお』は、時折、ワコがまだ小さなこどもだと言うことを忘れてしまうのではと思わせるような、とても難しいことを言い出す。
 ワコはだいぶ、なれたけれど。
 今回の『こゆびのかお』の声も、やさしくもなければ、甘くもなかった。
ただ真剣な声だった。

「あなたは、他の妹たちのことをどう思っているの?」


 どうって、どうって、どういう意味なんだろう。
 ワコにはよく意味が理解できない。
「確かにワコと妹たちぱあまり会えないし、確かに妹たちはまだ小さい子たちだし、確かにワコは「ホーム」で自分の生活を頑張っているけれど。そして、確かにワコの今の生活を、家族は理解していない。それはわかる。でも…。
 

『こゆびのかお』は、話を止めなかった。
「ワコは、妹たちの生活に、どれぐらい興味があるの?」
 ワコは突然の問いかけに、混乱した。
 そんなこと今まで、誰からも言われたことがなかったから。
「ねえ、ワコ、教えて」
 『こゆびのかお』は、本当に真剣だった。

「いえ」で生活する期間はとても短い。ワコは家族と一緒の時間は、いつも家族からやさしくされていた。おいしいものを食べ、お風呂に毎日入れてもらって、にこにこして過ごした。
 「ホーム」に帰る日はいつも最悪の気分で、大好物も食べられなかった。
 『いえ』では、食べ物を粗末にするととても怒られたし、汚い食べ方をすると注意されたし、いけないことをするとこっぴどくしかられた。
 それはそれで、ふつうの家族の生活なんだと思っていた。

 ワコが家にいる時間、妹たちは、幼稚園で覚えた歌をいつも歌い、いつも見ているテレビを見て笑い、近所の友だちと遊んだりしていた。夕飯では、自然に両親と妹たちとのやりとりが感じられた。
 それもそれで、ふつうなんだとワコは思っていた。
 誰に興味があるかとか、そういうものではなかった。流れにそって、自然に生きているような感じだった。


「妹が幼稚園でなに先生が好きで、今何に興味があって、とか、ワコには興味あるかしら」
『こゆびのかお』は、容赦がなかった。
ワコは、
「うーん」
 というだけで、何も答えることができなかった。

 ワコは、「人に興味を持つ」ということ自体、実はあまり理解できていなかった。
 学校も「ホーム」も友だちといつも一緒だけれど、好き嫌いを言っていたら生活はうまくいかない。苦手な人とも同じ部屋になったら一緒に生活しなくてはいけないし、毎日実はそれだけで精いっぱいだった。
 ワコは、それ以上のことは、考えられなかった。

 そのことを見通しているように、『こゆびのかお』は言う。
「どんなに辛いと思う日であっても、友だちのことを思ってみるんだよ」


おもっているよ、きっと。


「おもっているよ。ワコは」
「そうかなあ」
 『こゆびのかお』の声はいくぶん大きくなる。
「想うということは、考えて想像するということだよ。友だちが今どんな気持ちで過ごしているか、考えると言うこと。想像して、感じてみると言うこと」


「ワコにはできていないの? ワコはできていないの?」
 不安そうなワコの声に、『こゆびのかお』は、はっとした。
そして、深く息をした。

「ワコが出来ているのかいないのか、私にはわからない」
『こゆびのかお』はそう言うと、ゆっくり話を続けた。
「誰もきっと、初めからできないと思うよ。だんだんとできていけばいいんだよ。でも、自分がどんなにつらい日も、友だちのことをすこしでも考える時間をつくってみようよ」


 ワコは、『こゆびのかお』の話を聞くしかなかった。
できていると思っていた。できていると。
「もしできないのなら、今から練習を始めたらいいよ」
 やっぱりワコはできていなかったんだ。ワコの中に、かなしい気持ちが広がっていく。

「例えば、『これで精いっぱいなんだ。だっておかあさんやおとうさんがそばにいないんだもの。からだがちっとも思うように動かないんだもの』こんなふうにワコはいつも考えているでしょう」
「うん」
「でも、「ホーム」の子はみんなそう。ワコだけじゃないよね」
「うん」
「ワコだけじゃないんだから、ワコだけが運が悪かったわけじゃないということさ。特別でもなんでもない。こどもとしてはそんなに悪くない」
「そうなの?」
「ワコはまだしらないけれど、世界中にはいろんなこどもたちが生きているんだよ」


 ワコは出来ていなかったんだ。その思いだけが、ワコの中をめぐりつづけていた。


「ごはんもおなかいっぱい食べられないままなんとか今日を生きている子もいる。せんそうの中で、殺されるかも知れない街の中で生きているこどももいる。ワコの生活は、そんなに悪くないよ」
「ワコのおかあさんはなぜワコをむかえに来ないの。ワコといっしょにいたくないの」
「これない理由があるんだよ。おとなは、こどものことを考えて物事を決めようとしている。たとえこどもが違う考えだとしても」
 
 ワコは、疲れてしまった。
 わかるような気もする。でも。 
「こうしてはなしていると、ときどきかなしくなる。ワコだって、いっしょうけんめいなのに」

『こゆびのか』は、少し言い過ぎたような気がした。
 いや、確実に言い過ぎている。そう思った。

 そうだ、ワコはまだ小さい子だ。
 『こゆびのかお』は、小指に映っているだけ。
ワコを抱きしめてあげることもできない。
 

そして。
 ワコは、もうしばらく、ここで生活して行かなくてはいけない。
 確かに、ワコは恵まれた環境で生きている。でも、だからといって、ここで大切なことを言いはぐれたら、誰がワコに伝えてくれるのだろう。

 誰がワコのことを親身になって観察し、諭してくれるのだろう。

「話を戻して、妹のことを考えてみよう。」
 ワコはかなしそうに、床を見ていた。木の床は少し土でざらざらしていた。
 こんなかなしいときぐらい、声が聞こえなくなればいいのに。

「ちょっとだけ、妹に興味を持ってほしいんだよ。妹の将来に」
「いもうとの、しょうらい?」
「そうだよ。ワコは今、なんだかとても悲しいんでしょう。それは、おかあさんやおとうさんが妹たちとはいっしょに暮らしているのに、ワコとはいっしょに暮らさないって決めているから。それが『からだが動かないこと』が原因だから」
「そう」
「そして、そんな気持ちなのに、私がとても難しいことを言って、もっとわかるようになりなさいって言うから、怒られているように感じているのでしょう?」
「そうだよ」

「なんでワコのきもちがわかるんだと思う?」
「わからない…」
「ワコは、私の気持ち、わかるかな。今、何を思っているか」
「うーん、わからない。」

「少しずつ、考えてほしいんだ。わからなくても。そして話してほしい。いっしょに、人の気持ちを考えてみようよ」

 ワコは、『こゆびのかお』をふたたび見つめた。
 『こゆびのかお』は、いっしょに考えようと言っている。
 どういうことだろう。

「ワコがおかあさんのことを本当に好きなら、会いたい、会いたい、だけではなくて、おかあさんが何を考えているのか、どんな人なのか考えてみよう。妹たちが可愛いなら、妹たちが何を思って遊んでいるのか考えてみよう。」
「かんがえる……」
「そうだよ。友だちの中で、仲良くなりたい人がいるなら、その人の気持ちを考えてみるんだ。それが、実はとても大切なことなんだよ」


 人のことを考えるということ。
 そんなに大事なことなのか、と、ワコは思った。
 今まで意識したこともなかった。
 ただ流れていくだけで、精いっぱいだと思っていた。


『こゆびのかお』は必死だった。


 伝える言葉は、ワコに、何かを変えていかなくてはいけないらしいということを、しみこませる、『こゆびのかお』はそんなことをどこかで信じているようだった。


「それで」
 ひとしきり話したあと、『こゆびのかお』はワコに聞いた。
「ワコの名前は誰がつけたの」
「おとうさんとおかあさん。わたしがびょうきだから、いそいでつけたって。でもきにいっているの」
「そうなんだね」

 ワコの心が、どくんとなった。

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