新しいいのち    ワコのあるきかた10


 ーーこんにちは いらっしゃい 大事なひとーー
                   桜乃いちよう


 二年生がもうすぐ終わる二月。
 おとうさんだけが、面会日にやってきた。
「名前の候補を考えてきたんだ」


 男の子の名前は、最初から決まっていた。
 おとうさんは、男の子が欲しいと昔から言っている人だった。
だから男の子の名前は、ワコが生まれる前から決まっていたらしい。
その名前をつけたいという夢があるみたいだ。


 ワコは、車の助手席に乗せてもらった。
 密談が始まった。

 ワコに見せられたのは、いくつかの女の子の名前だった。
 たくさん書かれていた。
「ひとつひとつ、意味が知りたい」
 ワコはおとうさんに言った。


「意味か?」
「うん。だって、人の名前だもの」


 ワコは、『こゆびのかお』との会話を思い出していた。

 ワコは、どんなにおとうさんとおかあさんがワコの名前を考えてくれたのか、その話を聞くことは大好きだ。
もし、これから生まれてくる赤ちゃんが、その話を聞くぐらい大きくなったとき、簡単につけたように感じてしまったとしたら、どんなに悲しむだろう。
それがとても心配になったのだ。
「何を心配しているんだ ?」
 おとうさんは、ワコの様子に少しおどろいたらしい。


「意味はひとつひとつ練ってあるよ。でもワコには少し難しいかな」
「おとうさんとおかあさんで考えたの?」
「そうだよ」
「たくさんたくさん考えた?」
「ああ。考えたよ。人一人の名前だもの。その名前で一人の人間が一生生きていくんだ」
「うん」
「ちゃんと考えてつけないと。それがおとうさんとおかあさんの役目だもの」
「じゃあ、なんでワコがいっしょに選んでいいことになったの?」
 おとうさんはワコの言葉に、少しおどろいているみたいに見えた。
「ワコは、確かに、名前を考えないとって、言ったけれども」


「そうだよ。ワコが言いだしたんだよ」
「でも、名前がそんなにも大事で、大切なことなら、ワコのいうことは聞かなくてもいいんじゃないかなあ」
「えっ」
「ワコに、名前がどんなに大事なものなのか、それをつけるということが、どんなに大切な仕事なのか、説明してくれたらいいのに」
「ワコ、お前、なんだか生意気なことをいうようになったな。だまって選べばいいのに」


おとうさんは、しばらく考えて、ワコに話し始めた。
「おとうさんとおかあさんはね、ワコが赤ちゃんの名前を考えたいと言ってくれたとき、とても嬉しかったんだよ」


 ワコは、間近でおとうさんの顔を見つめた。


「だって、ワコは家を離れて生活しているから、あまり家族のことを知らない。おとうさんともおかあさんとも、妹たちとも話す時間はないだろう。だから今度生まれる家族のことも、よくわからないだろうと思っていたんだ」
 今度はワコがきょとんとする番だった。
「だから、名前をつけたいっていわれたとき、ああ、ワコの中にはちゃんと家族がいるんだと思えて、とても嬉しかったんだよ」


 おとうさんとおかあさんは、そんなことを思っていたんだ。
 ワコは想像もしていなかった。

 ワコは今の今まで、家を離れなければならなかったのは、誰かのせいだと思っていた。
ワコを受け入れてくれなかった地元の学校。
ワコに付き添って学校に通わせることをあきらめたおとうさんとおかあさん。
 ワコが家に帰りたいと訴えても、希望はぜったい叶わない。
ワコの生活なんて、興味などないんだと思っていた。

 でも、もしかしたら、誰かが悪いとかそういうことではないのかも知れなかった。
 はじめてそんなことをワコは考えた。

 おとうさんはワコの生活のことをどう思っているのだろう。
 本当はワコはずっと聞いてみたかった。
 家を離れて暮らしているワコをどう思っているのか。「ホーム」に預けなくてはいけなかったことを、どう感じていたのか。
 くやしくはなかったのか。ただ諦めてしまったのか。

 でもそれは、今日もやっぱり聞くことができなかった。

もしかしたらそれは、聞いてはいけないことなのかも知れなかった。


 おとなの中にも、悩みや迷いや、言葉にできない気持ちがあるのかも知れない。ワコはそんなことを思った。

「ワコが家族のことを思ってくれるのなら、新しい家族の名前を一緒に考えたいと思ったんだよ。もっともっと、家族を好きになって欲しいんだ。兄弟と仲良くなって欲しいんだよ」
「離れていても?」
「ワコはみんなのおねえちゃんなんだ。みんなを思うことは、本当はできると思うんだ」
 離れていても、思うことはできる、とおとうさんは言いたいみたい。
本当にできるのだろうか。
 思うだけでもいいのだろうか。なにもできないとしても。

ワコは、よくわからないけれど、やってみようと思った。
 おとうさんがそれを望んでいるなら。
 ワコも、離れていても、家族の一員ならば。

「じゃあ、この中から、名前を選んでね」
 おとうさんは、ひとつずつ、名前の持つかんたんな意味を話してくれた。
 大切な名前。これから生まれてくる、家族の名前。
 ワコの家族の名前だ。

「おとうさん」
「なんだ」
「いつかちゃんと、名前の意味を話してあげてね」
 ワコは真剣だった。
「将来、この子が名前の意味を聞いてきたら、ちゃんとおとうさんとおかあさんが選んで決めたひとつひとつの名前の意味を教えてあげてね」
 するとおとうさんは言った。


「おとうさんとおかあさんにとって大事だと思うことは、伝えるさ。ワコは心配しなくていいよ。みんなおとうさんとおかあさんのこどもだからな」

 ワコは少し安心して、名前を選んだ。

『こゆびのかお』に、ワコは今日の出来事を話してみたけれど。なぜかいくら話しても、名前のことはあまり納得してくれなかった。 
 そして、どことなく遠いところをみるような、かなしい顔をしていた。


 でも、ワコがそこまで父親と話し合えたことは、とても驚いて、喜んでいたようだった。
 そして、泣いていた。

おとなも、まったく忙しく気持ちが変わるんだと、ワコは思った。

「一緒に名前をきめたって言う事実は変わらないのよ」
「うん、わかっているよ」
 ワコは涼しい顔で答えた。
「おとうさんとおかあさんの気持ちはね、きょうすこしわかったから、大丈夫。あのね、おとなも迷ったり、こどもと近づけないと思ったりするみたいだよ」
「ふうん、そんなことがわかったの?」
「なんとなくね。ワコも家族の一員として、赤ちゃんの名前を一緒にきめたんだ」
 まるで、これはワコがきめたこと、と言いたげだった。


「それに、おとうさんもおかあさんも、名前をつけたときの大切なことは、ちゃんと本人に伝えるって約束してくれたよ。ワコも、その言葉を信じて、赤ちゃんの幸せを祈るんだ」
 
『こゆびのかお』は、泣いていた。
 ワコに泣き虫と言われても、かまわないようだった。

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