かっちゃん     ワコのあるきかた12


 ーーとつぜん 逢えなくなるなんてーー
                  桜乃いちよう


かっちゃんは背が高く、スマートな人だった。
 口をきゅっと結んで、ひとみがちの目で見つめる。
その視線は女子があこがれる雰囲気だった。

 白いポロシャツから日焼けした腕がのぞき、声のでない代わりに床に足先で文字を書く姿は、絵になる姿だった。
 男子も女子もなんとなくかっちゃんには一目置いていた。
 なにかに困ったとき、かっちゃんに相談をすると、気持ちにあった答えが、かっちゃんの書く足先の文字から読むことができたから。

 ワコはあまりかっちゃんと話すことはなかった。
 小学生のワコにとっては、歳がとても離れたお兄さんのような人だったから。
 
ワコもかっちゃんのことは「かっちゃん」と呼んでいた。
 かっちゃんは、小さい子から呼びかけられると、忙しくない限り、立ち止まって、長身の膝を折り、目を合わせてくれたのだった。

 かっちゃんが、あるとき。
「いえ」から「ホーム」に帰ってこなかった。

 春休みの帰省期間が終わり、ワコたちが「ホーム」に帰ってきた日、かっちゃんは帰ってこなかった。

 すぐに噂が広がった。
「家で、おなかが痛くなっちゃったんだって」
「かっちゃん、一生懸命、おなか痛いって伝えようとしたみたいなんだけれど、わかってもらえなかったんだって」
 不確かなそんな情報が、「ホーム」中のこどもたちで共有された。

 あんなに賢いかっちゃんの訴えが通じないなんて。
なんてことなんだろう。
 通じなかったなんて。

「その情報は確かなの?」
 『こゆびのかお』は、ワコの話を半信半疑で聞いているようだった。
「言葉がわからなくて、どこが痛いかわからなくてかっちゃんが亡くなった、なんて、誰から聞いたの」
「みんな話しているよ。誰かが亡くなると、誰かがその様子を聞いてくるから、みんなわかるんだ」
 確かかどうかなんて、実は誰もわからないんだろう。
 でも、おとなが話していることを、こどもたちの誰かが聞いていることは確かなのだ。
 こうしていつも、こどもたちに隠したいできごとに限って、どこからか必ず伝わってしまう。
そしてそれらは、正確かどうかわからない。
誰もきちんとこどもたちに説明はしないから。
 ここに住むこどもは、今回も、本当なのかどうかわからないたった一種類の情報を信じて、かっちゃんを想い、かなしんでいるようだった。

 『こゆびのかお』は、ワコの顔をみた。
 ワコはうつろな目をしていたが、そこにあまり哀しみは感じられなかった。
「かっちゃんのこと、どうおもっているの?」
 ワコは、ふつうの声で言った。
「どう思うって、わからないよ。話さなかったし」
「やさしい目をしていたじゃないの、かっちゃん」
 ワコはあまりピンときていない。かっちゃんが死んだことがわからないと言うよりも、死がかなしいことだと言うことがわからないようだった。

「ホーム」で暮らしているこどもは、体力のない子もあり、時折亡くなる子もいた。
 そして、ワコのいうとおり、そこで暮らすこどもたちには、起きたことについてなんの説明もされない。
 ただ、ひとつの噂が確信のように流れ、なんとなくみんながそれを信じ、わかった風な顔をして生きていく。
 だから、感性が強い子ならちゃんと悲しめるかも知れないけれど、ワコのように少し鈍感な子は「かなしいふり」をすれば、ものごとはもとのように過ぎていってしまう。

「かっちゃんのこと、思い出して、ワコ」
『こゆびのかお』は、静かに、語った。
「かっちゃん、長いまつげをしていたね」
「うん」
「背が高くて、りりしかった」
「うん」
「嫌いな食べ物がなんだったか知ってる?」
「知っているよ。なっとう。食べていたけれどね」
「みんながかっちゃんのこと好きだったよね」
「うん」
「なんで、すきだったんだとおもう?」
 ワコは、少し考えて、つぶやいた。
「みんなをいつもやさしい視線で見ていてくれた。いつも汗だくになって一生懸命だった」
「それがみんなに通じていたんだ」
「うん。かっちゃんに会うと、ホッとする人が多かったと思う」
「ワコはどうだったの?」
 ワコは少し考えた。思い出していたのだ。
かっちゃんの笑顔を。恥ずかしそうな、少し照れているような、笑顔。
「かっちゃんの笑顔、好きだった。いつも、毎日見ることが出来ると……」
 ワコはここまで話して、言葉が出なくなった。

『小さな母』は、静かに続けた。
「かっちゃんは亡くなった。もうあの、笑顔には会えなくなったんだ」
 ワコは、人の死で初めて心から泣いた。

「ワコ。たいせつな人と会えなくなるということは、こんなにかなしいことなんだ」


『こゆびのかお』の言葉は、今のワコにはすべて通じないかも知れない。
 でも、話さないではいられなかった。
「ワコ。こんなに大切なことなのに、ワコの友だちが亡くなったのに、ちゃんと説明もしなくて、お別れもいう機会もなくて、本当にごめんね」
『こゆびのかお』の話す言葉は、いつの間にか、なぜか、あやごめんね、申し訳ない、の繰り返しになった。
本当に申し訳なさそうな声だったた。

「なぜ、ワコに謝るの」
 ワコは、ひとしきり泣いて、少し気持ちが落ち着いたけれど。
『こゆびのかお』は、まだ、なんとも言えない顔をしている。

「本当は、人が亡くなると言うことがどういうことなのか、おとながワコたちにちゃんと教えないといけないと思うの。だっていつも一緒に生活していたんだし、ワコたちは家族と離れているんだから、両親が話す役目を果たせないわけだし」

だからって、『こゆびのかお』が、ワコにあやまるのは違うんじゃないかな。
ワコは本当はそう思った。
何が違うのか、よくわからないけれど。

『こゆびのかお』はこんなふうにも、ワコに話した。
「私も今、ワコのそばにいるおとなの一人だから。誰かのせいじゃなくて、私の責任でもあるから」

「おとなって、大変だね」

なんだか、フクザツそう。大変そう。
ワコはそう思う。

「そうなのよ。ワコ。やっとわかった?」
『こゆびのかお』は、我に返ったように、いつものお説教口調になった。
「ワコは、いまのうちからいっぱい感じて、いっぱい考えて、友達をたくさん作って、すてきなおとなになって下さい。すてきなおとなになるのって、実はとっても難しいことなのですが」

なんだかわからない、今日の『こゆびのかお』の言いたいことは。
こんな日もあるのだろう。

 その夜、ワコは夢のなかでかっちゃんと話した。
 夢のなかではかっちゃんはぺらぺらしゃべった。
 ワコが、おなか苦しかったの?と聞くと、かっちゃんは、少しね、と笑った。
 そして、泣いてくれてありがとう、といった。

 誰もわかってくれなくても、辛抱して生きて行けよ。

そんなようなことをワコは、かっちゃんに言われた気がした。

 翌朝、夢のことを『こゆびのかお』に話すと、
「私以外の人もワコにお説教してくれるのね」
 と、笑っていた。

 さようなら、かっちゃん。
 天国で、たくさんおしゃべりして、かぜのように走り回ってね。
 ワコはなんとなく、空に向かって話しかけた。

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