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地に足つけて   ワコのあるきかた5

   ーーわたしは わたしとして 生きているーー

                  桜乃いちよう


 「ふうん……。そうなのか」
 ワコは、トンボ座りをしている自分の足を見つめていた。
 ワコは春から二年生になる。

 床に座り込んでいるワコの足。ふと何かに気がついたらしく、おどろいたような表情になった。
 ワコは、自分が気がついたことについて話し相手が欲しくて、『こゆびのかお』を呼び出してみた。

「何か用事?」
「はっけんしたんだ」
「何を?」
「あのね、ワコは、じめんにたっているなって。」
「どういうこと?」
「くうきのなかにうかんでいるんじゃなくて、ちゃんとあしが地についているんだな、なんておもったの」
「突然、そんなこと思ったの?」
「うん。」
「それで、私を呼び出したの」


「うん。だれかに、はなしたくなって。ねえ、そんなしゅんかんって、なかった?」
 ワコはめずらしく、少し早口になっていた。
「だって、ふしぎなんだもの。ワコがちゅうにうかないで、ちゃんとじめんにあしをつけているって。あんていして、いきているんだってかんじだよ」

「哲学的だな」
『こゆびのかお』はつぶやいた。
「てつがくってなあに」
「ものの考え方や見方についての学問だよ。ワコにはまだ難しいかな」
 その通り。ワコにはわからない。

「そうだ、哲学に行く前に」
『こゆびのかお』は、今日も難しいことを言いたいらしい。
「人間が宙に浮かないのは、地球に重力があるからっていうことを、ワコはわかっているかい」
「じゅうりょくってなあに」
「地球には、地面の方にものを引き寄せる力というものがあるんだよ」
「そうなの?」
「そう。地球のどこに行っても、私たちは宙に浮かないし、立っていられる。それはね、地球の、地面に引き寄せる力のおかげなんだ。それを重力というんだよ」
「ふうん」
「ワコはそれを感じたのかな」
「わかんない。ワコはただ、ああ、こうしてちゃんと地にあしをつけていきていくんだなって、とつぜんおもっただけ。ふわふわいきているわけではないんたなって。じゅうりょくのことは、よくわかんない。ねえ、そんなことかんがえたとき、なかったの?」

「……あったかも、知れないな……」
 『こゆびのかお』はふっとわらったようにみえた。

「そうなんだよ、ワコ。どんな人でも、ふわふわと生きてる人はいない。みんな、地上に足をしっかりつけて、踏ん張って生きるんだよ」
「ワコは、ただなんとなくいきをして、きのうおなじようなじかんのきめごとがきて、やることやって、またねむって、というくりかえしだとおもっていたのにな」
「そう。それで?」
「地にあしがついているんだとかんじたとき、なんかわからないけれど、じぶんでいきていくんだなっておもったんだ」
「じぶんで、生きていく?」
「そう」
 ワコは少し深く呼吸をしたあと、話を続けた。
「じぶんで、このあしでじめんをふみしめて、いきていくんだなって」


 『こゆびのかお』は、しばらく考えたようだった。
「そうか、それなら……」
まるで思いついたように、ワコにいった。
「ワコは今よりもっともっと、べんきょうしていかなくちゃならないな」


「べんきょう?」
 ワコは、少し不満そうだった。


「がっこうでしているよ」
「もっと、もっとだよ。せっかくそこまでわかったんだから」
「よくかんがえたねって、ほめてくれないの」
 ワコはまだ低学年だ。『こゆびのかお』は知っているはず。
「いくらでもほめてあげることもできるんだけれどね。考えることというのは、実は、人にほめてもらうためにすることじゃないんだ」


 『こゆびのかお』はまた難しいことを言い出した。
予想していたけれど。


「考えることはね、人のために何ができるかということをわかろうとするためにするんだ。だから何かを考えたときに、人にほめてもらおうなんて、思わない方がいいよ」

 呼び出すんじゃなかったな、ワコはすこし後悔した。
 もっとやさしい言葉をくれる職員さんとかに話せばよかった。
「ワコちゃんすごいね、頭いいね」
 とかなんとか言ってくれたと思うのに。


なんてつまらない。なのになぜいつも、呼び出してしまうのだろう。

 『こゆびのかお』は、口調もかえずに話を続ける。こういうとき、ワコがどんな顔しているかなんて、気付く様子もないんだ。
少し寂しい。

「地に足をつけて生きて行こうとする人間はね、もう甘えちゃいけないんだ。そこに気がついた人間は、どんどん先に行くために、勉強する必要があるんだよ」
「……」
「なにせ、自分で生きていこうと、ちゃんと自覚が出来たということだから。おとなへの一歩なんだ」
「おとな?」
「そうだよ。おとなへの一歩」

 おとな、ということばには、すこしあこがれる。
ワコは自分が「おとなへの一歩」と言われたのが、嬉しかった。
 ……でも、まだ……。

「ワコはまだこどもだよ」
「そうだね」
 『こゆびのかお』はワコと目を合わせる。
「ワコはおとなにはなりたくないのかい」
「うーん、わかんない」

「たとえば、六年生になっても、中学生になっても、今のようにまるっきりのこどものように見られたいかい」
「それはいや」
 ワコははっきり言った。
「だんだんおとなになるんだもの。かわらないのは、いや」
「じゃあ、やっぱり、勉強しないと。ワコがワコを、だんだんおとなにしていくんだよ」
「ワコが、ワコを?」
 『こゆびのかお』は、微笑んだ。
「そうだよ」

 本当はワコをしっかり抱きしめて話したかった。
 できることなら。抱きしめて。

「こどもはしぜんにおとなになるんじゃないの? しぜんに、としはおおきくなるでしょう?」
 ワコは質問してみた。
「そうだね。歳はとっていくね」
 『こゆびのかお』の言葉は続く。

「ワコもいつか十二歳になって十五歳になって二十歳になって。心はどうなんだろう。自然にいろんなことがわかるようになるのかな。ワコはどう思うかな。」
「しぜんにおおきくなるとおもう」
「なにも勉強しなくても? それとも本をたくさん読めば心も成長するのかなあ」
「うーん、わからなくなってきた」

 少し難しい話だよな、と『こゆびのかお』も思っていた。

「ワコが、学校で算数や国語を勉強して、漢字をたくさん書いたり読めたり、計算ができるようになるみたいに、実は心も少しずつ鍛えてあげることが必要みたいなんだよ」
「どうやって? ふるやせんせいとか、おしえてくれるんじゃないの?」
「心はね、自分でそだてるんだよ、ワコ。」


 『こゆびのかお』は、ゆっくりゆっくり、話を続けた。
「泣きたくなって泣いてしまったら、なんで泣いたんだろう、って考えるんだ」


 どこかで誰かとそんな話をしたような、ワコはそんな気がした。


「本を読んで感動したら、どこがおもしろかったのか、どこに感動したのか、自分の中のどんなところとピッタリあったのか考えるんだ」
「やってるよ」
「それから、友だちと話して、ちょっと意見が違うなと思ったら、何が自分と違うのか考えるんだ。友だちが怒ってしまったら、友だちがなぜ怒ったのか、その気持ちを考えるんだ。こういうこともやっているかい」
「わからないなあ」
「最初は難しいかも知れないけれど、自分の気持ちも感じたあとに考えて、友だちの気持ちも想像して考えて、本を読んだあともそのことについて考えてみるんだ」
「むずかしいよ」
「うん。難しい。だからワコは、たくさんたくさん私に話して欲しいな」
「はなせば、かんがえられるようになるの?」
「わからない。でも、いろんなことをやってみるしかないじゃない?」
「でも、ほめてくれないし」
 はははははっ。
『こゆびのかお』は、本当におかしそうに笑った。
ワコはむっとふくれた。
「別の人にほめてもらえばいいじゃない。きっといるわよ、ほめてくれる人も」

 自分の心は自分で育てる……。

 ワコには今ひとつ、イメージがわかない。
 時が来れば自然におとなになるんだと、思っていたから。


 『こゆびのかお』がなぜこんなことを言い出したのか、本当にわからなかった。

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