『こゆびのかお』のリポート  ーー学校とくんれんの生活ーー  ワコのあるきかた3


生活は人それぞれ
                     桜乃いちよう


 私は本当は名前があるのですが、ワコにはまだ名前を明かしておりません。
いつか伝えたいのですが、タイミングが悪くて。

なので、名前を明かさずに、ここでは書かせていただきました。

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 ワコの日常について。
 


1,『学校について』

 ワコの小学校のクラスメイトは六人だけです。
クラス自体は四クラスあります。
 廊下に出ると、上級生のクラスでやっている暗算の読み上げが聞こえてきて、その声がワコにとっては刺激的だったようです。
これからいろんなことを習うんだというような、わくわくした、すこし怖い気持ちも混ざった感じと、ワコは言っていました。

 クラスは、低学年、中学年、高学年と三つにわかれています。
ワコは一年生だったので二年生の人と一緒のクラスになったようです。


 算数も理科もおもしろかったみたいです。国語も、ワコは少し字が書けたので、すいすい読めて楽しかったらしいです。


 担任のふるや先生は、「少し目尻にしわのある女の先生」だそうです。
 ワコにとっては、両親より年が上なので、なんとなく祖母を思い出すような人だったといっていました(似ていないと思いますが……)。

ノート三冊

 入学式が終わって数日たつと、ワコのクラス全員はふるや先生からノートを三冊渡されました。
 一冊目は、日記。これは毎日書いて先生に見せます。


 二冊目は言葉集めノート。「あ」から順番に「雨」「アサガオ」「あり」というように、その文字から五十音順に、同じ字から始まる言葉を書いていきます。
 いっぱい思い浮かべば何ページも書いていいし、思い浮かなければ二ページほどで次の文字に移ってもいいそうなのです。
 このノートは数ページたまったら先生に見せます。


  三冊目は、親切ノート。
 友だちに優しくできたり、思いやれた行動をしたときに書きます。このノートは、書いたときに必ず先生に見てもらうノートです。


ワコも、他のクラスメートも、誰ひとり、整った字など書けませんでした。
手にマヒが強く残っている子が多かったのです。


 でも、ふるや先生は、不思議なことに、どの子の文字も確実に読んでくださる先生のようです。


 字の上手下手はなにも言われることはありませんでした。書き方のまちがった文字は正され、必ず赤いサインペンで感想や意見やほめる言葉が書かれていました。
 みんな夢中で、三冊のノートを書いていたようです。

 教室では、ジュウシマツを飼っています。
これはふるや先生の提案です。
「水道のお水は、カルキ臭いから、こうしてくんで半日おいておくんだよ。半日おくとカルキが抜けて、ジュウシマツにもいい飲み水になるんだよ」
 ふるや先生がジュウシマツの世話のしかたをワコたちに伝えるときに、最初に教えて下さったことです。
 ジュウシマツの観察日記は、もちろんワコたちの役目になりました。

 ワコは、習字の時間も大好きでした。
 墨汁で服が黒くなったけれど、墨のにおいも、墨を含ませた筆が柔らかくなる様子も面白いものだったみたいです。
 ふるや先生はいつも習字の小冊子を持っていて、ワコたちの作品が冊子に掲載されると嬉しそうに見せてくださいました。

 「いえ」に帰れないワコたちは、学期ごとに「作品袋」という、勉強したノートや工作の作品や習字の作品などを入れる袋をつくりました。
 「いえ」に帰れたときに、まとめて両親に見てもらうためでした。
 学期末、その袋はぱんぱんにふくらみました。ふるや先生は嬉しそうにその様子を見ていてくださいます。
 
 ワコは学校で悩むことはあまりありませんでした。クラスメイトも少ないし、先輩と一緒になることもなかったからかも知れません。
ただ勉強がおもしろく、本がおもしろく、絵を描くことが、習字が、観察日記が、そして日々の宿題がおもしろかったようでした。

「フウセンカズラって、おもしろい種なんだよ。知っているかい?」
 ふるや先生は、こんなふうに、気軽にワコたちに話しかけてきます。
「ほうら、お猿の顔みたいだろ。花は小さくて可愛い白い花なのに、なぜか種は猿なんだ」
 お手玉づくりの季節になると、
「今年はじゅずだまがよくできたんね。まいとしあたしはお手玉つくるから、必要なんだよう」
 植物が花壇に茂る夏は、
「フウセンカズラとヘクソカズラを間違えるンじゃないよ。ヘクソカズラは、少し細長くて、ちぎると臭いんだよう」
 さんかんしおん、とか、けいちつ、とか、季節ごとの知識も教えてくれたのはふるや先生でした。
先生との日々の会話は、ワコにとって発見の連続だったのでした。
 ただ、日々のことをふるや先生に相談することはありませんでした。学校と生活は別のような気がしていました。
 日々のなかでさびしさがあったとしても、学校に行くとワコはもうその世界で心がいっぱいになって、楽しくなるのでした。
       


2.『くんれん』

 学校が終わると、夕方の早い時間から始まる食事の時間まで、ワコは訓練室に行きます。
校舎から五十メートル弱離れている、「ホーム」の建物の中でも比較的新しい建物です。
 ワコはそこで毎日手足を動かしてもらい、歩く訓練を繰り返します。
 ワコの担当になってくれたキタ先生は、大柄の男の先生で、目の見えない人でした。
 ワコは、キタ先生が見えてないことなど、まったく気にとめていませんでした。
 いつもワコがどこにいて何をしているのか、キタ先生はとてもよくわかっていたからです。
 訓練室に行くと、次から次に体を動かし、よつバイ、ひざ歩き立ち上がり、かたあしだし、歩行と、キタ先生の指示通り動かし終わらなければいけません。

 ワコはあまり訓練は好きではありませんでした。
 訓練室にはレゴブロックや、鉄アレイや、まつば杖など、ワコにとって触ってみたくなる道具も置いてありました。それを使っている他の子の様子を見るたびに、ワコはうらやましくてしかたなかったのです。

残念なことに、キタ先生から、それらを使って何かやろうという提案が出ることはありませんでした。ワコの場合は、筋肉を動かしたりすることが大事だと、キタ先生の中に考えがあったようです。

 難しい話は専門家にゆだねたいのであまりふれたくないのですが、ワコのような脳性まひの障害を持つと、自分の意志とは関係なく、脳の信号で手足が勝手に動いてしまう「「ふずいいうんどう」(不随意運動)」がある人も多いのです。
ワコはその一人でした。
 キタ先生は、ワコに杖などを持たせるのはかえって体の緊張をつよくし、「ふずいいうんどう」を引き起こしやすくする、と考えていたのかも知れません。


ワコの体の力をよく感じながら、キタ先生は、何かを持たせて歩かせるよりも、なにも持たないで体のバランスをとる方法を身につけさせてあげたかったのかも知れません。
 ……これはあくまで私(こゆびのかお)の推測です。キタ先生にうかがったわけではありません。

 ワコにそんな気持ちなど伝わることもなく、キタ先生の思いなど察することもありません。
 だからといって、ワコも、ブロックをやりたいとか、杖を使ってみたいとか、そんな意思表示をすることはなかったようです。

一度ぐらい、言えばよかったのに…。
 
 ワコは訓練室で自分がどんな話をしていたか、意識はしていませんでした。
 ただ、他の子の話や、「ホーム」のおとなたち(職員の人たち)の話はしなかったようです。
なんとなく、「ホーム」の中の誰か他の人の話をすることは、よくないと感じるようになったからです。
 なぜそんな風に思うようになったのか、ワコ自身にもわからなかったようですけれども。

『今回のまとめ』

 ワコは、いまのところ、学校で、ふるや先生に特別ほめられたとか、叱られた記憶はないみたいです。
 訓練室では、キタ先生は、ワコが頑張るとほめてくれました。でも頑張らなくても、叱られることはなかったみたいです。
 ワコは、なれないうちは訓練をよくさぼって、見つからないように、どこかしらのたてものの影で虫と遊んだりしていました。
 でもそのうち、ワコがさぼっていると誰かしら先輩がそれをみつけては、
「あれ、ワコ、キタ先生が呼んでいたぞ」
 というので、しかたなく休まず行くようになりました。


ワコにとって、学校も訓練室も、必ず行くところではあったけれど、何か相談できるとかそういう場所ではなかったようでした。
 そもそもあまり悩んだりはしていなかったのかも知れません。


 でも、ワコに聞いたら「いつもなやんでいたよ」というのかも知れないのでした。
余談ですが、ワコの暮らしている「ホーム」は、起きる時間からベッドに入る時間まですべて時刻で決められています。なれてしまえば、時間はゆっくり流れていきます。泣いても笑っても、怒っていても、時間にはごはんを食べなければいけません。
 ワコがどう思って生活していたか、興味がありますが、紙面の都合上、リポートを終わらせていただきます。

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