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たまには甘えなさい  ワコのあるきかた11

 ーー誰もが たまには 誰かにあまえたいーー
                  桜乃いちよう


春休みに「いえ」に帰ったときは、ワコは毎年潮干狩りに連れて行ってもらった。
 朝、くらいうちから家を出発して、家族全員で海に行く。

 車のトランクには、バケツやくま手などの道具の他に、家族にとって潮干狩りの必需品がいつも積まれていた。
 青い、たらいだ。
 たらいの端には太い紐がくくりつけてある。

 ワコはその中に座らせてもらって、いつも家族の近くで、干上がった砂を掘り、埋まっている貝をつかんだ。
 場所を移動するときは、家族の誰かしらがたらいの紐を引いて、重たく濡れた砂のうえをザーザーとずりながら運んでくれた。

 ワコたちの春のイベントだった。
 アサリはいつもごっそりととれて、いつも一日楽しかった。

 夏休みは、川遊びかプールに、それか海水浴に出かけた。
 ワコが小学生になってからは、川やプールの方が海よりも行く確率が高くなった。
 ワコは、テーマパーク的なところにある『流れるプール』がだいすきで、行きたいとよくだだをこねた。
 一度、おかあさんがあまり調子のよくないときに、川かプールに行くことになり、ワコのだだのおかげでプールになったことがある。
「川ならおかあさんも楽しめるから川にしようよ」
 と提案してくれたおとうさんの意見を、この日、ワコは聞かなかった。

 確かにプールは楽しかったけれど、炎天下の下でタオルをかぶりながら汗だくになっているおかあさんの姿がプールから見えるのだった。
 ワコのせいでつらい思いをしてる、ワコは後々までその日のおかあさんの顔を忘れることはできなかった。
 わがままをいうのはもうやめよう、そう思った日だった。

「あとで、あやまってみたらよかったのに」
ふとこの話をしたら、たいしたことはない、というような気軽さで『こゆびのかお』は笑った。
「確かにおかあさんは暑かったと思うけれど、あとでワコがそのことを真剣に考えてくれていたってわかったら、きっと嬉しかったろうに」
「そうかなあ」
「少しの気持ちでも、相手のことを思ったときに、それを伝えることは大事なことだからね」
「そうかなあ。喜ばなかったと思うけれどな。つらい思いをさせてしまったあとだし」
「信頼してくれてないなあ」
『こゆびのかお』はさみしそうに笑った。ワコは黙ってしまった。


 冬休みは、どうしていたのだろう。
 大晦日は、夜遅くまで家族でテレビを見て、年が明ける前にみんな初詣に出かけていった。
 ワコは一人で「いえ」で待っていた。この時間は毎年少しわくわくした。
 夜中にたった一人で家に残っていることなんて、このとき以外なかったから。
 おとな扱いされているような気持ちになった。
 ワコは今更だけど、やはり少々変わったこどもだったかも知れない。

 いつ頃からか、ワコは家に帰ってもあまり自分のことを話さなくなった。
「ホーム」での生活をいちから説明することをしなくなってしまった。
「なんで話さないの」
『こゆびのかお』は一度だけワコに聞いてみたことがある。
 その時ワコは、遠い目をしてつぶやいた。
「なんとなく、言いにくいんだ。どこから話していいかわからないもの」

 そして、そのあとに『こゆびのかお』の方がワコに質問された。
「ねえ、ワコの普段の生活、聞きたい?」
 とっさに、『こゆびのかお』は答えてしまった。
「私はいつも、ワコから聞かされているからなあ」

「おとうさんやおかあさんは、聞きたくないんじゃないのかな」
「なんでそう思うの?」
「なんとなく」

 もう少し気を利かせて、知りたいと思うよ、なんて答えていたら、ワコはもう少し家族に心を開いたのだろうか。
 『こゆびのかお』は、自分の答え方に、このときすこし後悔した。


 三年生の冬休み。
なにも語らず、ただにこにこしてテレビをなにげなく見ているワコに、おとうさんが話しかけてきた。
「ワコ、最近は「ホーム」の生活はどうだ」
 ワコは突然話しかけられたから、どう答えていいかわからなかった。
「うーん、ふつうかなあ」
「そうか」
 おとうさんは、なにも用事がないのにワコをそっと抱き寄せた。
「ワコはまだこどもで、甘えていい年頃なのに、なかなか甘えられないな。たまにはこうして甘えなさい」
 ワコにとってその言葉は、突然で、奇妙に聞こえた。
 でも。いやではなかった。

 嬉しかった。

 ワコが両親に抱き寄せられるときは、たいてい理由があった。
 歩けないワコが、よつばいでは行くことのできないところに行くとき。
 例えば、玄関から車への移動とか、段を上がるなど。
 家に迎えられているときは、できない部分は必ず両親が助けてくれた。
 背中に負ぶさったり、抱えてくれたり。

 ただ、なにも理由なく、抱き寄せられたり、そういうことについては、ワコはあまり記憶していない。

「妹たちはどうだったんだろう」
『小さな母』がいるときに、ワコはそううつぶやいてみたことがある。
「妹たちは、普段の生活の中で、どんなふうにおとうさん、おかあさんとふれあっていたんだろう。……そんなことは、あまり意識しないのかな」

「うーん、どうかな」
『こゆびのかお』は、なにも意見してくれなかった。

 意見のない様子は、ワコはなんとなくさみしかった。
いつものように、ワコが忘れているだけだとか、妹たちもきっと何かしら思っているよとか、それらしいことを言ってくれたらいいのに、と思った。

 でも『こゆびのかお』の気持ちもわかる気がした。
何をここで言っても、ワコの知らない時間のことだから、「えそらごと」になってしまう。
ワコにとってそんな言葉はいらないと、『こゆびのかお』はわかってくれているのかも知れなかった。

 妹たちは、たくさんのスキンシップの思い出があるといいな、と漠然とワコは願った。
そして自分で考えたその思いについて、少し妹たちに嫉妬もした。

 なにも理由なくおとうさんとおかあさんに抱き寄せられるなんて、なんと夢みたいな事なんだろう。

『こゆびのかお』に話すと、ワコの思いを一笑するように言った。
「何言っているの。ワコの方が絶対数両親に抱かれることが多いじゃない。やきもち焼きたくなるのは妹たちの方だよ。だいたい……」
『こゆびのかお』は、しゃべり出すとやはり容赦ない。
「妹たちは、ワコより小さい子たちよ。ワコがおとうさんやおかあさんの手を独り占めする様子を、どんな思いでみているのか、少しは想像できるようになったかしらね」

「わかっているよ」
 ワコはしゅんとなった。
何も言われないとさみしいのに。
言われるのは、それはそれで、やっぱりきつい。

「そうね、そろそろわかんないと困っちゃうわ。ワコはお姉さんだし。妹がいるという事実は変えることができないのだから。妹たちのことも考えてくれないとね」

 その日のおとうさんのぬくもりと言葉は、とても印象的で、ワコはずっと覚えていた。
 だからといって 、自分から甘えることは、これ以降もなかったのだけれど。

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