星に抱かれて     ワコのあるきかた2


なんとなく会いたい人              
                                       桜乃いちよう

夏のある夜。大きなかみなりの音がして、
 ふいに部屋は真っ暗になった。
 ワコは闇が苦手だった。
嵐がやんでも、電気はつかなかった。

 ワコは数ヶ月後、15人部屋に引越ししていた。
ベッドの部屋だった。
和子のベッドは、西側の窓際。薄いカーテンが窓をおおっていた。

なにも見えない空間は、からだが浮かんでいるような、そして、そこはかとない世界が広がってくような、そんな気持ちがわいてきた。
彼女にとって、広い部屋の隅にある自分のベッドで真っ暗になることは、とても嫌なことだった。


 なので、停電になると、いつもワコは泣いた。


「また恐がりが泣いているよ」
 同室の上級生の人たちは、あきれたようにつめたく言った。
「ワコ、うるさいよ。泣かないの」
 同室の上級生に怒られても怒られても、ワコはこういうとき、感情が暴走する。


 暗闇が部屋の隅のワコのベッドを占領している。そんな気がした。
見えなくなると言うことは、音を拾っている耳さえも聞こえなくなるように感じた。

 ワコはこの日、真っ暗になった部屋で、泣きながら、『こゆびのかお』を思い浮かべた。

 思いがうまいことイメージされたときだけ、『こゆびのかお』は指に現れる。
 小指の先で、ぷっくりと笑っている。
 そして、ワコにしか聞こえないぐらいのかすれたような声で、ぼそぼそ話し始める。


「今日はうちはハンバーグにしたよ」
この日は、そんな声が聞こえた。
ぜんぜん、おかどちがいの話だ。

ハンバーグか。食べたいなあ。
ちょっと思ったけれど。

だって『ホーム』では、ハンバーグはめったに食べられないから。
なぜかは知らないけれど。

 暗闇なので、ワコには『こゆびのかお』の顔がなかなか見えない。相変わらず部屋は真っ暗で、恐ろしい空間なのに、『こゆびのかお』の声だけがぼそぼそ聞こえてくる。
 こゆびをじっと見つめても、暗くてなにも見えない。
「そのうち、目がなれるからさ、なくの、やめなよ」
『こゆびのかお』はぼそぼそ言う。不思議とよく聞こえる。
「暗いところでみえなくなるのはね、目が明るいところになれているからなんだよ。慣れたら暗いところでもいくらか見えるようになる」
 ワコは返事をしなかった。怖いのだ。
「なに怖がってんの?」
 ワコは答えない。ただ、泣いていた。
「そんなに暗闇を怖がっていたら、電気が来なくなったら生きられないよ、ワコ」
『こゆびのかお』は、ぼそぼそと、口調をかえない。
「ま、仕方ないか。もともと生きられそうもなかったもんな」
 ワコは泣き止んだ。なんてこと言うんだ。


『こゆびのかお』はふと、ワコに言った。
「カーテン、めくって、外見てみなよ」


木枠のガラス窓にかかる薄いカーテン。ワコも手が届く。
 恐がりのワコは、『こゆびのかお』の言葉に、なぜ今、と思った。
まだ、夜になった窓の外はみたことはなかった。
 そっとカーテンの向こうをのぞいてみた。
 星だ。
 よく晴れた夜だった。窓の向こうは星がきらめいていた。
 すーっと手を伸ばすと、星の中へ意識が吸い込まれるようだった。

 山のきれいなこの地域は、星も天の川も見える。
「夜はたいていは、明るいんだ。見上げたらいつも、お星さんが住んでる」
 せっかく窓際で眠れる場所なのだから、暗くて怖いときは外を見なさい、と『こゆびのかお』は続けた。
「星がこんなに見えるなんて、すてきなことじゃないか」


 ワコは最初は気がのらなかったけれど、それでも『こゆびのかお』のすすめの通りにカーテンを少し広げて窓の外を見続けた。
 星たちの名前はまだ知らなかった。何も知らないどうしなのに、大きくひかる星々は、窓ガラスを通り抜けてワコの肩や袖にダイヤのような輝く印を残してくれた。
「月の涙って呼んでいるのよ」
 ある星のこえが聞こえたような気がした。


星の声は、すっとワコの心に入り込んできたのだった。
「本当は私たちはそれぞれ、お互いに確認できないぐらい遠くで輝いているの。私たちひとつひとつは、あなたがいつも昼の時間に見ている、太陽のような存在だから」
「ひとつひとつがたいようなの?」
「遠いから、そんなことわからないでしょう。ワコちゃんは地球にいるから、私たちひとつひとつの光の歴史が見えるのね」
「ひかりのれきし?」
「そう。光の歴史。ワコちゃんが見ている私たちの光は、もうずっと昔の昔に私たちが放ったものだから」
 星はそうやさしく、ワコの心に話しかけてくる。
「時々でいいから、こうして私たちの光を見てね。それだけでとても嬉しいの」
「なぜ?」
「誰かが忘れないでいてくれるということは、誰にとっても、勇気が出ることなのよ」
 ワコは、星に質問したくなった。

「ほしさんは、ひとりで、さびしくないの?」


 星は少し黙ったけれど、すぐに話し始めた。
「さびしいと思うときには、ワコちゃんのように、月の涙を見せてあげたい人を探すの。ワコちゃんみたいに、全身で喜んでくれる人に出会えたら、とても幸せだから」
「おかあさんが、そばにいなくても?」
 星は、ゆっくりと、ワコに聞いた。
「ワコちゃんは寂しいのね? 」
 ワコは何も言わなかった。
 さびしい、といってしまったら、大声で泣いてしまう気がしたから。
「ワコちゃんはまだとても小さいこどもなんだから、泣いた方がいいわ。おとなになるまで、時間があるから」
 それでもワコは何も言わなかった。
「今日はがまんしたいのね」
 星は、微笑むように瞬いた。
 ワコは、なんて答えていいかわからなかっただけだった。星はワコにとってとてもやさしくて心地よかった。
「ちょっと難しいけれど、やってみて欲しいことがあるの」
「なあに」
「泣いた後に、なぜ泣いたのか、少し考える時間をとるの。何がかなしかったのか、何がつらかったのか、とかね」
「むずかしそう」
「泣いた後に考えてみる癖をつけると、おとなになってもうまく泣けるようになるから。」
「ほしさんはおとな?」
「うん。月の涙を配るおとな」

 ワコはしばらく星と話していた。
 こどもは、いろんなものと話ができる時があるようだ。
 星のくれた「月の涙」は、いつまでもワコの服にきらきらとかがやき、停電が怖いことなんて、その夜はすっかり忘れてしまった。

『こゆびのかお』はいつの間にか、小指から消えていた。
ワコもすっかり、『こゆびのかお』のことを忘れてしまっていた。

ワコが星との会話に夢中になっていたから、『こゆびのかお』も自分の家に帰ったのかも知れなかった。


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