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お釈迦様の人生4 出家(棄国財位)

お釈迦様は二九歳の時、一三年間に及んだ結婚生活の終止符を打つ決断をいたします。

仏説無量寿経には、二つの棄国という言葉があります。

最初に出てくるのが「棄国財位」です。

廃棄の棄なので必要が無いものとして、財産、位と表現されています。

ここでの国は、財と位の基礎を表しています。

「真宗聖典」という我々の教科書にある現代語訳では、「国の財と位」とあり、財は財産とか有価証券、国の位は位(くらい)とか肩書として解釈する事が自然だと思います。

ちなみに、お釈迦様は家族の同意を得て出家をしております。

その時に、父親である王様から、飾りの沢山付いた白馬をもらい受け、この馬に乗りお城を出たとされています。

ただし途中で馬は、飾りをつけたまま、返品したとあります。

ここでの飾りは、棄てる事ができる物なので、一般的存在と捉えれば良いと思います。

馬は飾りを支える礎と、で良いと思います。

ここでも、財と位が表現されていると思います。

この表現から想像できることは、しばらくはお金と地位をある程度、使われたように思います。

当然ですが、それなりの身分の人がいくらその身分を辞めたとはいえ、元の身分もありますし、彼の向こうには王様一族の親戚も控えています。

最初のうちは何だかんだと、チヤホヤされていたのだと思います。

ただ、何かのきっかけで、幸福と成功の違いに気が付いたのだと思います。

三木清さんのお言葉を借りれば、飾りは脱ぎ捨てられるモノなので、量る事ができる範囲のモノです。

三木師は、一般的に量る事ができるモノの事を「成功」と表現されています。

幸福とは成功とは違い、量る事ができないモノであり、量れるようなモノではない、とされしています。

以前にも書いたと思いますが、浄土三部経の一つに、「仏説無量寿経」があります。

このお経を、親鸞聖人は「真実の教」と書き残されています。

もしかしたら、親鸞聖人は「仏説無量寿経」を、幸福を追い求める姿が書かれている教科書として、このお経を読まれていたのかもしれません。

お釈迦様も最初は成功に囚われてしまい、結果を出す事に執着をし、苦労をなされたのではないでしょうか。

幸福を追い求めているはずが、成功を求めていた自分の姿に、何の縁で気付かれたのかを考えてみたいと思います。

次の「棄国」である、棄国捐王の文字が出てくるまでに、六年の際月がかかっております。

続きは後日書かせていただきます。

合掌

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