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無正解の今


私は僧侶という立場から、お葬式に立ち合う事が多い立場だと思います。
お葬式では、縁があった多くの方々が、お亡くなりになった方を「仏様」としてお参りします。
お葬式を執り行う事で、初めてお別れする覚悟ができるのだと思います。
お葬式について、様々な意見がある事は私も知っております。
お墓についても同じです。
私達は、自分の意見や考え方を容易に手放す事はできません。
人が持つ自我のというものは、物事を時に厄介な状態にしてしまいます。
以前にも書きましたが、仏様は「気付き」を促す存在です。
何に気付くかと言えば、私は有難い存在として、今を生きている事だと思います。
私達は誰も、自分の命の始まりを知りません。
自分の始まりは何処から始まったのか、よく分かっていないのです。
当然ですが、親が存在して、初めて私が生まれてきました。
その親にも親が居ます。
どこまで遡っていけば私の始まりになるのか、よく分かりません。
よくわからない事に興味を持ち、研究される方も沢山おられます。
わからないところに面白さを感じ、今を楽しむ方も居ます。
大切な事は優劣ではなく、どちらも大切だという事です。
人類の始まりや変化の研究は、とても大切だと思います。
学問として過去を知る事は、未来の予測をしやすくなります。
当然、今回の様なコロナウイルスが出てきた時にも、今後はより的確な対応が執りやすくなります。
片や、わからないから面白いという考え方も大切です。
人は正解を求めがちですが、正解自体が時代と共に変化をします。
私が社会人になった時は、バブル経済の後期で、有名な大手企業に就職する事が正しい時代でした。
因みに、当時の理想の男性像は3高と言われ、高学歴・高収入・高身長でした。
私は全部が低いです。全敗です。トモアキです。
今考えてみれば、当時はまだ重厚長大の時代であり、量の時代だったのだと思います。
当時と比較して今の経済の形は、大きな投資はそれほど必要としません。
個人の能力があればパソコン一つで、いくらでも稼げる時代に変わりましたので、量から質の時代に変化したのだと思います。
わずか30年間で、世の中は大きく変わってしまいました。
変化の速い時代になりました。
正解にこだわるのではなく、川の流れに身を預ける様な、周囲の変化を引き受けながら生きて往くのも、人間として大切な生き方の一つだと思います。
正信偈には「信楽易行水道楽」という句が、龍樹の段に書かれています。
龍樹と言えば般若心経が有名ですが、縁に逆らわずに生きる事の大切さを、教えてくれた方です。
正解を大切に維持する生き方も有れば、正解を持たない手ぶらの生き方もあります。
今があるという事は、存在としての全条件が総て調っている事だけは事実です。
その今を、どう向き合い、どう過ごすかの選択権は自身が持っています。
ただ何を選んだとしても、自分の選んだ生き方が正解である事だけは、間違いありません。
合掌

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