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引きこもり

引きこもり
お釈迦様は思春期に、引きこもりになったと言われています。
原因は、他の命を殺す事で命をつなげている自分の姿に、気が付いたとも言われています。
諸説ありますが、当時引きこもりになれる、恵まれた環境があった事が大切だと思います。
学校を英語ではスクール(school)と書きます。
ギリシャの言葉でスコーレ(schole)という言葉が語源だそうです。
スコーレとは余暇とか余裕という、働かなくても良い時間を表現します。
つまり、考える事、学ぶ事ができる人は、生活に余裕や時間がある人であり、恵まれた環境に身を置けている証拠にもなります。
法然上人や親鸞聖人も、いろいろな事があり大変だったと思いますが、当時としてはお釈迦様と同じ様に、恵まれた環境に身を置くことができた、運のよい方達だと思います。
引きこもりの時期に、家来の方達と一緒に出歩いたのが、四門出遊というお話になります。
「四門」は東西南北の方向を表しています。
「出」はお出掛けで、「遊」は多目的の表現なので、散策と考えれば良いと思います。
一行は最初に、東の門からお出掛けになりました。
その際、門の出口で出会ったのが、老人です。
お釈迦様はそこで、家来に彼らは何者かと訊かれています。
そこで、家来は「彼らは老人です。みんな年を重ねれば、老人になります。」と回答します。
お釈迦様は頷き、お城に戻られました。
次は、南の門からのお出掛けです。
南の門からのお出掛けで出会ったのは、病人です。
ここでも同じように、家来に訊いています。
家来からの回答は「彼らは病人です。みんないろいろな病気に掛かります。」と答えています。
西の門からのお出掛けではお葬式に遭遇しました。
ここでの家来からの回答は「これはお葬式です。みんな何時か必ず死を迎えます。そのお弔いをしています。」
とあります。
最後に、北の門から夜中に一人でお城を出た際、出会ったのが沙門と呼ばれる修行者です。
非常に楽しそうで、生き生きとした雰囲気をお釈迦様は感じたそうです。
この出会いが、後のお釈迦様を生み出したともいえます。
老化、病気、死亡の三点はみんなが何時か往く道であり、何時の間にか通って来た道です。
四苦の内、老病死は身の事実であり、特別に誰かだけが、免れるものではありません。
では、残り一つの北の門で出会った沙門はどうかと言えば、総てを棄て、自分らしく生きる自由を獲得した存在です。
無量寿経にも棄国財位とあり、自分らしく生きる事は、たくさんの勇気が必要で、とても大変だという事実です。
当然ながら、棄てるという行為は、これから来るかもしれない、貧困や孤独など、数多の恐怖と向き合う事になります。
一人一人が、自分の選んだ独創的な時間を作り上げるしかなく、教科書も無ければ、正解もありません。
これも「生苦」の一つだと思います。
世間には、お釈迦様も同じ様に、社会とうまく馴染めずに苦しまれている人は、沢山います。
四門出遊から学べる事があるとすれば、「引きこもり」はお釈迦様と等しく、自分と向き合う、大切な時間の過ごし方の一つです。
その経験を人生の糧にして、後に豊かな時間を過ごした象徴が、お釈迦様です。
あいにく私には、引きこもりの経験がありません。
ただ今現在も、多くの人達が、引きこもり経験を知りたがっています。
四門出遊という言葉には、
老病死の三苦には、みんなと同じ私が居ます。
それは、命の営みをしているという身の私です。
生苦には、みんなと違う私が居ます。
それは、個の存在として、みんな違う私が居ます。
みんな違う事は自然な事です。
個性は、時に社会に溶け込めない事もあります。
今の引きこもりや、社会に馴染めない方々と、お釈迦様が社会に馴染めず苦しんだ姿は、全く同じです。
今の経験を糧にして、生きていける可能性を教えてくれたのもお釈迦様だと思います。

合掌

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