『〆切』春風亭貫いち

僕は警察署の一室で待たされていた。

アパートのドアをノックする音で目を覚ました僕は、朝食を食べる暇も与えられず任意同行を求められた。今日は完全に遅刻だろう。部長からは遅刻でも会社にきちんと連絡を入れるように言われていたが、今は電話すらかけさせてもらえない。僕は今日の夕方が納期の仕事を抱えている……今晩は徹夜が決まったようなものだ。

僕の名前はNo. 32742292、『〆切』。
日本には古来より言霊信仰、つまり言葉には霊力が宿るという信仰が根付いていた。このテーマは既に掘り尽くされた鉱脈のように思われていたが、近年になって著名な文化人類学者たちが再び議論を重ね始め、ある仮説を提唱した。「ある条件下では霊力の宿った言葉は具現化する」という仮説である。これに興味を持った文部科学省が国立粒子化学研究センターや米国の諸研究機関の技術援助のもとで、言霊を立体化させる三次元プリンター、通称「3KP、3 dimensions Kotodama Printer」の開発に成功した。これにより32742292番目に産まれたのが僕だ。
言霊が生物、それも人間の形をして産まれてくることに研究者たちはとても驚いていたが、言葉とコミュニケーションを取れるのは人類にとって革新的であった。今では言霊も人権を持ち、人間と同様に生活している。

お腹が盛大に鳴りそうだなと思っていた頃に僕は取り調べ室に連れて行かれた。取り調べいうのは薄暗い部屋の中でPixarのような電気スタンドに照らされながら、脅され賺され、おっかなびっくりに証言を強要されるものだと思っていた。しかし僕が行った部屋は小綺麗で明るく、流線型のお洒落な机と椅子が置かれた部屋であった。目の前には柔和そうな刑事が座っていた。

「突然お呼び立てして申し訳ありません。実はあなたにはある強盗団の調査に協力してほしいのです」
「な、何をいきなり…?」
「説明させて頂きます。あなたはニュースをご覧になりますか?」
「毎朝見るようにはしてます。『殺人』の起訴猶予処分に『被害者』涙だとか、『美女』が『野獣』との婚約解消……原因は『鬼畜』との不倫だとか、3KPにAIを導入しただとかー」
「それです」
「美女と野獣ですか?」
「違います。3KPの件です。
ご存じの通りAIを導入したことで3KPは独自の進化を遂げ、最近はネット上のスラングや画像媒体に映りこんだ単語まで三次元化することに成功しました。しかしこれには誤算がありました。ネット上には誤字が多すぎるのです。若者たちは誤爆などと呼んでますが、これにより本来存在し得ない単語まで三次元化し始めてしまいました。
そして誤爆によって産まれ、『〆切』を名乗る似た容姿の者達が複数人で徒党を組み、先週の金曜日、大手銀行の金庫から輸送中の3億円を盗み出したのです。」

そんな……確かに僕は『〆切』だけど、先週は仕事があり、十分なアリバイになるはずである。

「えぇ~ですが、容疑者全員にアリバイがあり、一番の問題はあなたとよく似た容姿を持ち、あなたの名前を騙っているので、私たちではあなたと偽物を見分けることすら出来ないのです。なので今日ここで偽物との明確な差を示して頂きたいのです。まだ調査段階ですが、あなたともう1人は犯人でない可能性が高いので、今回のように協力を仰がせて頂きました」

そう言って刑事はおもむろに数枚の写真を僕の前に広げ始めた。

「まずはこの男です」

差し出された写真を見て僕は驚いたーー
全然似てないっ!!

「何ですかこの男はっ!? 僕とは似ても似つかないじゃないですか。こんなにもブクブク太った中年男性と僕のどこを見間違うんですか?」

「そう言われましても……」

「これが僕の名前を語るなんて…
こんな丸っこい男は『α切』ですよ!」

「流石は本物の『〆切』候補ですね。次の一枚はいかがでしょうか?」

「今度は大分痩せてますね。手足なんか骸骨みたいに細いじゃないですか。姿勢も悪いし……これは『ナ切』ですよ」

「成程、ネット上にはこんな誤植もあるんですね。もう一枚お願いします」

「……もっと酷いですよ。ヤクザ顔してて、一番悪事に手を染めそうじゃないですか」

「確かに右目の上から左頬にかけて大きな切り傷がありますが、これが無ければあなたにそっくりでは?」

「いい加減にして下さいっ!!
こんなの『め切』ですよ」

「ちなみに早々に犯人と認定された人達の写真見ますか?」

「ここまで来たら見ます…………この写真、双子ですか?」

「はい。『卜切』と『ト切』です」

「全く同じに見えますね」

「ですよね。強いて違いを上げるなら片仮名の『ト』と、卜部兼好の『卜』です。諸説ありますが卜は〆の字の原型と言われてますよ」

「ちなみにもう1枚見せてもらえますか?」

「協力してもらってますからね。誰ですか?」

「もう一人の候補者っていうのはーー」

「あぁ……あなたとどちらかが犯人だと思うと心が少し痛いですね。お二人とも協力的ですし…」

刑事が差し出した写真は僕によく似ている。
敢えて名前をつけるなら……『メ切』


ーーと、私はこんな自作のショートショートを茶封筒に入れた。来週が〆切の新人賞に応募するためである。出してもいないのに結果にドキドキしている。
期待に胸を膨らませながら、表に宛名を丁寧に書き、切手を貼る。閉じ口をスティック糊で閉じて、仕上げに封字の『メ』


2019.6.29

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