『死ぬ前日にやっておきたいこと』 春風亭与いち

先日、師匠からこのお題が出されて震えた。
恐らく師匠は死ぬつもりだ。
才能のある人はそれが故に思い悩み、若くして自害してしまうということが多々ある。師匠もそのパターンだ。
そして、死ぬ前日にやっておきたい事を決めるに当たって、その参考程度に弟子に聞いてみようという魂胆だ。
阻止しなければ。
師匠自身が死ぬ前日にしそうな事の目星をつける。
それらをさせなければ悔いが残り、踏みとどまるはず。片っ端から潰していこう。
まず、家族には必ず会うだろう。
師匠が自害する前日の朝、おかみさんに事情を説明し、そーっと子供たちと、どこか遠くに行ってもらう。もちろん、師匠とおかみさんのご両親にもそれぞれ何処かに姿を眩ましてもらう。
次に、思い出の地を回るだろう。
春日部高校、日大芸術学部、江古田の天下一品。
大師匠に弟子入り志願をした新宿末廣亭の楽屋口、入門が決まった上野広小路の風月堂。最初に大師匠にご馳走になった御徒町の珍満。これらすべてを封鎖する。爆破予告かなんかして人を近づけさせない。末廣亭の楽屋口には隣のキコーナのお客さんをひたすら並ばせて風情を無くす。
最後に、どこかで落語をしようとするだろう。
寄席に爆破予告をしたところで普通に営業してしまうだろうし、正直に落語ファンに「一之輔の最後の高座になってしまうから来るな」と訴えたとしても、かえって押しかける人達が出てくるだろう。
やむを得ない。師匠が高座に上がってしまったら、袖から飛び蹴りを食らわすしかない。私の心が痛むが、師匠に死なれるよりはマシだ。

作戦決行。
全て計画通りに事が運んだ。
そして私は破門になった。

2021.6.19

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