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“いじめ”にならない構造をやっと理解できた。〜中学2年生の記事を読んで実体験と照らし合わせる〜

2つの資料から、ようやく私の「イジメ構造と対策」の言語化ができました。中学2年生の作文に“全て”書かれているんですが、彼女の作文のおかげで自分の実体験と頭の中が整理されたので、メモしておく。


1つ目の資料。
音声配信「Voicy」田中慶子さんの番組。
#49では、オードリー・タンさんの通訳をするにあたり、事前準備のために彼女の動画を研究していて発見したエピソードです。

オードリーさんを含む集団での会議中、誰かがその場に居ないとある政治家を揶揄し、楽しそうに場が盛り上がっていた時の話です。
オードリーさんは、同調せず無表情だったといいます。
田中さんがそのシーンが印象的だと感じたのは、大きく反論やリアクションをせずとも彼女が「その場の空気を変えられた」からだと思っています。


2つ目の資料。2016年中学生人権作文コンテスト
内閣総理大臣賞「日本のいじめ対策は間違っている」:北海道・旭川市立永山中学校 2年 紙谷 桃歌

くしくも5年後に、旭川市の中学2年生がイジメが原因で凍死。
この作文に表彰・感銘を受けた大人たちは何をしてたんかしら?

私はこの2の資料を見て自分の小学生時代を思い出しました。

私の小学校生活の前半は、発話や理解に時間がかかり一言も言葉を発しないまま帰宅する時間の方が多かったです。
何をやっても反論しないので、ヤンチャな男子が面白がって嫌がらせをしてきました。今思えばイジメですね。仲が良い友人もいず、近所の幼馴染は別のクラスで大勢の友人に囲まれていました。劣等感でいっぱいでした。
「虐められていて学校に行きたくない」と表現する事もできなかったです。

そんな私が気持ちよく自分を表現でき始めたのが小学校5年生から。
岸本先生という、トークが面白い青年が私の担任になってからです。
のちに成人してから同窓会をひらいた時に、岸本先生が言っていました。
「後にも先にも、あんな朗らかなクラスはなかった」と。
もちろん担任の功労もありましたが、陰キャの私もクラス作りにちゃんと貢献していた自負はあります。

私は小学校5年でようやく、ちゃんと会話ができる友人が出来ました。それまでずっと1人で過ごしていたので、孤独な時間は絵を描いているか人間観察に勤しんでいました。孤独な時間がここで糧となります。

イジメが始まりそうな予兆ってあるんです。クラスの人気者が、目立たない子に対して揶揄したり持ち物を雑に扱ったり。

その予兆を感じた時に、”いじめる側・いじめられている側“ 以外の中間的なクラスメイトの「さりげない行動」で「いじめ」の芽を摘むことができる。
私はそれに気づき行動したことで、自分自身が目立つ事もなく、いじめも起こる事なく平和な小学校生活で幕をとじることができました。

どんな行動をしたか?
陽キャ男子が、ひ弱男子の女性的な行動や性質をあぶり出して揶揄した時。
陽キャ男子に刃向かいません。先生に告げ口しません。敵対しません。
しばらく、ひ弱男子と休み時間を過ごします。
何気なく、持ち物を褒めたり、折り紙を教えてもらったりして、接触を増やします。一緒に過ごす時間が心地良い事を伝えます。
楽しそうな私をみて、小さいながらもクラスに折り紙ブームがやってきます。
ここから、陽キャ男子が陰湿な行動に出にくくなるんです。
なぜなら、皆んな見てるから。
「ちょっと、何それイジメ?ダッサ!」とボソって言える人数が増えるんです。この空間に中心的な人物はおらず、私が仕組んだ空間だと言う事は誰にも気づかれないから、陽キャ男子の逆襲にあうこともありません。
これが、今思えば「いじめストッパー」なんだなと。

人権コンテストの作文には以下の3要素がカギだと書いてあります。
「いじめストッパー」3要素
(1)正しい善悪の判断ができること
(2)自分の意見を持つこと
(3)他人の意見を尊重すること

日本人に足りないのは(2)
小5までドイツで過ごしていた、作文の著者は言っています。
私もずっと思っていました。教育現場、家庭内でも自分の意見を持つ事が極端に少ないと。

私が小学生時代にあみだした「ストッパー」行為も。本来必要な要素としては、だいぶ弱いなと思っていました。
でも、
「いじめストッパーの3要素」
「中間的立場の意思が場をコントロールできる」
この2つを書いてくれたJKにお礼を言いたい。
過去のふんわりした実感が言語化されて、ハッキリとこれからの行動指針になりました。なによりその基礎となるのが
「自分の意見を表現すること」

まずは、自分からやってみよう!
そんな低レベルな段階ですが、少しでも成長しようとする自分
嫌いじゃないんで!

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