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中山みき研究ノート2-12 迷信からの解放

迷信からの解放

教祖は、「をびやいっさいつねのとおり。どくいみいらず、もたれものいらず」と、全て平生通りであることを教えられました。これが、をびやゆるしなのです。

教祖のをびやゆるしやほふそゆるしは、人類には安産を許してあるし健康も許してある、ということですが、心得違い・通り違いによっては病気や怪我、災厄が起こってくるし、金儲けに走り過ぎれば川や海の汚れから、公害病なども起こってくるのです。神が病気にし、神が業を果たさせているのではありません。皆、人間の心得違いが病気を起こし、迷信にこだわる心が大抵の場合、難産を起こしているのです。全人類に安産を許してあるのだから、脅えないでお産をしなさい、と教祖は教えられたのです。

ところが、お産の風習は非常に根強いものでした。『稿本教祖伝』には清水惣助の妻、ゆき・・という人の話が出ています。 昔はお屋敷が小さかったので、近所の人となっていますが、場所からいえば、南礼拝殿の端の辺りに住んでいた人です。清水惣助は子供の時、教祖にお乳を飲ませてもらったこともあったと言われています。その妻が、ちょうど安政元年の大地震(嘉永7年が安政元年)の最中におはる・・・が少しも脅えずに安産をしたというので、しきたりも何もなしでお産が出来るならと教祖にお願いに来たのです。

教祖は「安心して産みなされ。同じことやで」と言われたが、ゆきにとっては、信者もほとんどいない時分なので、いくら立派な人だと思っても、教祖はやはり、只の近所のおばさんでしかなかったのです。しきたりを守らなければ安産しないぞ、という有名な帯解地蔵が近所にあっては、「安産するよ」と言ってもらっただけではどうも安心出来ません。それで、あっちのお守り、こっちの御礼ともらって来て、毒忌みをし、もたれ物もして、全てのお産のしきたりを守りました。ということは、ゆきは全ての迷信に脅えていたのです。教祖が直々に「安産できるで」と声をかけ、をびやゆるしを下さっても、迷信に囚われると、やはり脅えて、その結果、ゆきは大変な難産をしてしまいました。

をびやゆるしは迷信打破の教えが全てですから、教えを聞いても迷信に囚われている者には何の効果もないのです。教祖は産後の患いで臥せっていたゆきの面倒をみながら、いろいろとお話をされました。そうしたら次に妊娠した時には「もう、迷信には囚われません」と言って、ゆきは安産した、と伝えられています。

「この世始めた神が、 皆に安産許してある」ということを信じれば、安産するのです。しかし、迷信にこだわる人は、何か頼りとする物がないと不安だろうからと、教祖は自ら「声もかけてあげよう、お腹も撫でてあげよう」といわれたのです。現在では、をびやつとめをした御供を、教祖の教えをしっかり思い起こすようにという意味で出しているのです。

最近の話では、教祖殿でをびやの御供を渡すとき、「これを頂けば必ず安産する」などと言う本部員さんがいる、ということです。教理の勉強がおろそかになると、他の人が分かるように説得出来なくなります。そうなると、面倒になって「不思議なご利益があるのだ」と言って、説明することを止めてしまいます。教祖が、この世界の真実を教えて迷信を次々と打破し、世直しのために諄々と真理を説かれ、皆に納得させてきた骨折りを、後の取次人が怠けて、「ご利益があるよ」という迷信と拝み祈祷に落としめてしまっているのです。

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