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中山みき研究ノート2-13 女松男松のへだてなし

女松男松のへだてなし

当時、武家の意識が浸透して来るに従って、庶民のあいだでも、女性は子供を産む器械という位にしか思われていませんでした。 武士というのは殺しの専門家だから、戦闘員である男にだけ存在価値が認められ、禄が与えられていました。非戦闘員である女性は蔑視されていたのです。さらに、当時の知識程度が、どうしても男女差別を当然のものにしてしまっていたのです。

その一つは、男は子種を持ち、女は苗代だ、という考えです。子種の方に次の子供になるものが全部整っていて、それを女はお腹を畑として、栄養を与えて育てるだけの補助的役割しかない、という考え方が常識でした。これでは、男の血筋だけが大事にされて、女の腹は借り物だということになり、どうしても差別的になります。それで、女は「三年子無きは去る」べきものと考えられていたのです。昔の西洋の医者も種には全てが整っているとして、精子の中に極めて小さな人間が入っている絵を描いています。これが子種です。その後、顕微鏡が発達して、精子の形が直接見られるような時代になっても、やはり、女は栄養を与えるだけだ、という考えが強かったのです。

確かに、教祖も「種、苗代」という言葉を使っていたのですが、その意味は違っています。をびやゆるしによって女性が旧来の因習から解き放されて、生き生きと活躍するようになり、教祖の周りには女松男松の隔てはなくなりました。それは、をびやゆるしの話から教祖は大変に重要なことをお教え下さったからなのです。

みかぐらうたが作られる前に、教祖は元初まりのお話ばかりをされていた、と古い人達は伝えています。教祖は農民だったから、植物のことは良くご存知でした。教祖は或る日、山本利八に、

南瓜や茄子を見たかえ。大きい実がなっているが、あれは、花が咲くで実が出来るのやで。花が咲かずに実のなるものは、一つもありゃせんで。そこで、よう思案してみいや。女は不浄やと、世上で言うけれども、何も、不浄なことありゃせんで。男も女も、寸分違わぬ神の子や。女というものは、子を宿さにゃならん、一つの骨折りがあるで。女の月のものはな、花やで。

『稿本天理教教祖伝逸話編』

と言われました。かぼちゃの花には、農家なら子供でも知っていることですが、雄花と雌花があります。雄花を持って雌花に花粉を付けてまわらないと、雌花がどんな立派な子房を持っていても萎んで駄目になってしまいます。かぼちゃは風によって自然に交配する、ということはありません。虫達がその役目を果たすことがあるが、大抵は人間が付けてまわっているのです。花粉が付けば実が稔り、種が出来ます。この種を翌年に蒔くと、新しく生えて来ます。種には命があります。干からびたようになっていても、種は永遠の命を秘めているのです。

さて、人間の場合はどうでしょう。女性が成長すると、卵巣にある卵子は成熟して、毎月一つずつ排卵されるようになります。しかし、成熟して卵巣から放出された時は死ぬべき時でもあります。未熟な時には、卵細胞として卵巣内にひしめいて生きているのですが、成熟して一人歩きした時には、数時間から十時間位で死んでしまうのです。

子種と言われた精子も射精の後、わずか百時間位で死ぬべき運命にあります。成熟して一人立ちした時には、わずかの時間で死ぬべき旬を迎えてしまうのです。

私達の命は、元初まりの時から途切れることなく続いてきた大きな生命の流れの中にあります。その中で、精子という男性的なものと、卵子という女性的なものが受精し結合して、互いの機能を出し合いたすけ合うならば、新しい個体として新たな生命を宿し、永遠に続く生命の流れに合流することができるのです。

精子と卵子は、それぞれ数十時間の寿命しか持たないのですが、互いにたすけ合うことによって、その千倍、万倍の寿命が与えられるのです。教祖の時代の平均寿命は、「人間五十年」といわれるように短いものでした。その中にあって、教祖は「百十五歳定命と定めつけたい」とおふでさきに記され、人間同士で争うことを止め、互いにたすけ合うならば、それが可能になると教えられたのです。

自分と性質の違う者が、補い合いたすけ合って陽気ぐらしの世界を創る、という心になったとき、永遠の命が生まれるのです。これが元初まりの話に込められた真実であります。これは後にかんろだいづとめに集約され、完成されるのですが、この原理を教祖はかぼちゃの花の姿によってお説き下されました。したがって女松男松の隔てはないし、女は穢れてはいないのです。

疱瘡神が病気にするのだ、という考えは「病気の者は因縁が悪い。病気の者は業が深い」という言い方の元になっています。また、体に障害を持っているのは、その人の魂が穢れていることに対して神が与えた罰である、という考え方は、障害者差別の元にもなっており、部落差別も同様の考え方から成り立っているのです。しかし、教祖は、「ほふそせんよに たしかうけやう」という言葉で、神が穢れたものとして扱っているのではないことを教えられました。これは、徹底した平等観に基づくものであり、疱瘡神が疱瘡を起こすのではない、という教えは障害者差別や部落差別の是正につながるものであることを提示しているのです。

教祖は元初まりの話を背景に、をびやほふそのゆるしを出され、男女差別や病人、障害者、それに部落差別から人々を解放して行きました。その中で差別された村の人が、立派な教祖の高弟として誰もが認め、皆の高い評価と尊敬を受けている、ということもありました。

「ろっくのぢにふみならす」として、平等の世を作るのだと言われた教祖は、いろいろな差別を根本的に正す理合いをお教え下さっています。 それが、「をびやほふそのゆるしだす」ということです。

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