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~第59回 ~「雅楽の歴史と氷川神社」

宮内庁楽部の楽師が演奏する雅楽は、昭和30年(1955年)に国の重要無形文化財に指定されました。
さらに平成21年(2009年)、ユネスコ無形文化遺産保護条約「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載決議がなされ、日本の伝統文化として世界的にも評価されるに至りました。

日本には上代から神楽歌や大和歌などがあり、これに伴う簡素な舞もありました。
5世紀頃、仏教文化の渡来と前後して、アジア大陸諸国の音楽と舞が中国や朝鮮半島から伝来しました。
雅楽はこれらが融合してできた芸術です。
雅楽は10世紀頃にほぼ完成しましたが、室町時代、応仁の乱以降、京都の楽人は地方へ四散、宮中の雅楽の担い手である貴族の勢力は大きく衰退してしまいます。
しかし、江戸時代に入ると江戸幕府が南都楽所(奈良)、天王寺楽所(大阪)、京都方の楽所を中心に禁裏様楽人衆を創設し、宮中の雅楽の復興を行いました。

明治時代、皇居が東京に移ると、明治政府によって三方楽所や紅葉山楽所の楽人が東京へ招集され、雅楽局が編成されます。
これが現在の楽部の基となります。
とはいえ編成当時は楽の曲のめぐり(メロディー)が楽所それぞれで若干違ったため、まず統一する作業をしました。
これにより現在耳にする雅楽の調べが奏でられるようになりました。

ちなみに宮内庁楽部が公式に祭典音楽を奉奏したのは氷川神社のみです。
また、現行の雅楽のめぐりをはじめて皇居以外で奏でられたのも氷川神社になります。

※明治以降に一般の人も雅楽を行ってもよいことになり、氷川神社でも昭和11年(1936年)に氷川雅楽会を発足しております。

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〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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