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『オーバークック』に夢中になった話。人として磨かれた話。

オーバークックをご存知でしょうか。
かわいらしい動物のキャラクターたちがシェフとなり、オーダー通りの料理を素早く作って提供するドタバタクッキングアクションゲームです。

赤いパンダさんが私。かわいいね。
「本作の録画映像やスクリーンショットはご自由にお使いください」たすかるね。

普段ゲームをしない私が、2023年、このゲームにどハマりしてしまいました。
なにがそんなに面白いのか?と聞かれると、友達とオンラインで集まってワイワイ盛り上がれるという楽しさはもちろん、特筆すべきは「協力しながら全員が活躍しないとクリアできない設計」になっているところでしょう。
誰かひとりが要領良く動いてもクリアできないため、改善できるところはどの部分か、誰がどうすべきか、手順、役割、連携などメタ視点での話し合いが行われます。
この、協力して改善して達成というプロセスに「チームで仕事をするにあたっての重要な学び」が詰まっており、自分を成長させるいい機会になったと感じています。
何言ってるんだ?って思いますか。わかります。
ここで少し、著名人の言葉をご紹介したいと思います。

こちらは女優の伊藤沙莉さんがテレビ番組で趣味を聞かれた際に答えていた、オーバークックについての発言です。

「オーバークックは人として磨かれるんです。オーダー通りに作って出すっていうだけなんですけど、友達と『邪魔!』『なんでフライ作ってないの!』って感じになって……そしたらみんなも傷付くじゃないですか。ごめん…って。だから私はそこで『人の失敗を責めない』っていう人間になったし、あと私は優柔不断でほんとに何事も決められないんだけど、さっさと決められるようになった。オーバークックはほんとに判断力が大事で。このスピードはオーバークックで磨いたんです。」

「伊藤沙莉 オーバークック」で検索すると動画出てくると思います。

「人として磨かれる」という表現がまさにその通り。本記事のタイトルにも引用させていただきました。オーバークックにハマったことのあるすべての人が「わかる」と目頭を熱くすることでしょう。そうじゃない人は、何言ってるんだ?って思うでしょう。

では具体的に、「私がオーバークックを通して得た学び」を7項目に分けてシェアしていきたいと思います。たぶん普通に良いこと書いてると思うのでよかったらざざ〜っと読み進めてみてください。

学び①人の失敗を責めない

伊藤沙莉さんも言っていましたね。
これはオーバークックをプレイした多くの人が気づく、代表的な学びといえるでしょう。

オーバークックはとにかくスピード命。
「慌てる」状況に置かれると冷静さを欠き、ついつい「人の失敗が目についてしまう」現象が起こります。自分のことは棚にあげて。
思い通りに動いてくれない仲間に対してどんどん言葉が強くなっていき、「ちゃうって何してんの!」「どう考えても先に米炊かなあかんやん!」なんて責めてしまったり。(申し遅れましたが関西人です)

そんなあるとき、悲劇は起こりました。
せっかちなうちの長女が、自分の思うように動いてくれない仲間の動きに腹を立て、逐一「だからなにやってるん!」「フライパンやて!だから鍋ちゃう!!」と強い言い方で責めました。
すると言われたほうはどうなるか。小さなストレスが積み重なり、あるとき突然パニックを起こし、「違う」と怒られた鍋を持ったまま、「ごめんなさい!」と咄嗟に身投げしてしまったんです。

これには爆笑。

いや、ゲームなのでその場は爆笑です。
「なんで死ぬんwwwwww」と転げ回ってひとしきり笑ったあと……
一息ついてから、全員でこの事態を振り返らざるを得ませんでした。
イライラして人の失敗を責め立てて追い詰める行為が招いてしまった悲劇。
ゲームだからよかったけど、実際に起こり得る心理状態の擬似体験
そこで全員今一度基本に立ち返ります。「オーダー通りに料理を提供する」という目的のために、仲間の失敗を責め立てる必要があるか?シンプルな問い。
答えはNOでした。

ここで私たちは大事な学びを得ます。
「失敗しない人はいない。大なり小なりみんな失敗する。責めたってチームの目標に近づくわけじゃない。お互いの失敗を許し合いカバーし合ってこそ『チーム』なのである」と。

学び②優しく言えばわかる

上記から地続きです。人は優しく言えばわかります。

恐怖で業務は改善しません。
むしろ強い言い方をすると相手を萎縮させてしまったり、パニックを起こさせてしまったり、冷静な精神状態を奪って結果的に目的の達成を遠ざけてしまうことも。
「小麦粉取って」と言えばいいだけのところを「なんで気づかへんの??そこにおるんやったら小麦粉取るやろ!!」なんて言い方をすれば相手は傷つき、反発心がうまれ、信頼関係にヒビが入りますよね。
自分の苛立ちをぶつけることが目的なのか、チームの目標を達成することが目的なのか。私たちはまた大事な気づきを得ます。
優しく言えばわかる。

誰かの言葉が強くなり始めたら出てくる合言葉になりました。

「優しく言えばワカルヨ〜」

言葉が強くなりがちな人の脳内に私たちは直接(なぜかカタコトで)語りかけたい。

「優しく言えばワカルヨ〜」

学び③自分の状況は言葉にしないと伝わらない

仕事の現場で「察して」は通用しません。
なにを当たり前のことを、と思うでしょうか。
これが意外とできてなかったりするんですよ。

「私今こんなに忙しくしてるんだから、誰かがサッとサポートすべきでは」
「重いタスクを抱えてる俺にそんな作業を振るなんて」
「私がAに着手したってことは普通あの人がBやるよね」
全部「言わなくてもわかるだろう」つまり「察して」ですよね。

オーバークックは時間勝負で常にドタバタしているので、声を出さなければ他の人に状況なんて伝わりません。「察して」は甘え。状況を伝えなかったばかりに火事が起きたりゾンビが侵入してきたりする厨房で仕事をすれば嫌でも痛感します。
「言わなくてもわかるだろう」で火事が起きることはあっても「伝えすぎ」で火事が起きることはありません。ひとりで抱え込まずに「鍋お願い!」と声をかける。それだけで誰かが飛んで来てくれて解決します。

困ってる、または困る前に自分の状況はきちんと伝えておくべきです。
そのために「伝えやすいチーム」でいることをみなで心がけることも大切。

学び④なんでも自分でやろうとしない

オーバークックで一番必要な声かけは「〜して」という要望。
我々チームに「責任感が強く、なんでも自分で抱え込んでしまう」という性格のメンバーがいます。人にものを頼むことが苦手なんですよね。初期のころは人にものを取ってもらう声かけをせず自分で取りに行ってしまうということをよくやっていました。

「自分で取りに行った方が早い」と持ち場を離れ、人の作業領域に踏み込んでいく。すると何が起こるか。業務フローに混乱が生じました。
自分の担当している業務に突然別の人が踏み込んで来て、やろうとしたことをサッと奪っていく。ポカンとして、立て直すのに時間がかかったり、持ち場を離れるわけに行かずに結局待つだけだったり。そんな様子を見て、私たちはまた気づきます。「自分でやったほうが早い」が業務の効率化を妨げている、と。

「なるべく声をかけて連携しよ」「そこに置いといてくれたら私が焼くから任せて」声を掛け合って改善していきました。

「にんじん投げて」このたった一言でチームの生産性が上がる。
この体験を通して私たちは、仲間を信じて頼ること、任せることの大切さを学びました。

学び⑤みんなそれぞれ得意が違う

食材の場所も配置もさっぱりわからない厨房に配置され、何がなんだかわからないまま突然ゲームが始まります。瞬時にやるべきことを掴む人、慣れるまでに時間がかかる人、指示出しが得意な人、コツコツ集中型の人、さまざまなタイプがいます。

どうしても、「理解が早く声が大きい人」が目立ちます。でも、目標達成までのプロセスを細かく見てみると、みんなそれぞれの得意を持ち、それぞれのやり方で貢献しているのです。目立たない人が仕事ができないのではない。得意、役割が違うだけ。

オーバークックをしていると、「最初は目の前の仕事に必死で、狭かった視野がだんだん広がって全体を俯瞰して見られるようになる」という変化を何度も味わうことができます。これは実際に会社組織で味わうとしたら年単位の時間がかかりそうですが、オーバークックなら1、2時間で体験できるからすごい。
「持ち場を完全に入れ替える」なんてこともゲームならサクっとできて、これが本当に学びが多い。今まで見ていた世界とはまるで見え方が変わるという体験がお手軽にできるのです。
人のポジションになってみて初めて気づく、他の人の仕事、苦労、配慮。
あぁカメさんは、私が困らないようトマトをそっと置いてくれてたんだね…。

「みんなの仕事の裏に、私には想像できてない苦労やがんばりがある」それに気づけたことで今までよりも一歩深く人を思いやり、尊重できるようになった気がしています。

学び⑥「言葉」を統一する

チームにとってシンプルかつ重要な課題です。
「ものの名称を統一する」「言葉を定義する」。

我々チームに「言葉を間違いやすい」メンバーがいることでこの問題が露見しました。


ねずみさんはあらゆる呼び方に揺れがあり、例えばこの食材であれば、「肉」「ビーフ」「牛肉」「豚」と様々な呼び方をします。最後のに至っては明確に「間違い」です。(ゲーム内に豚肉も鶏肉も登場します)

「豚切って」と言われた側は「豚??なるほどこの場面ではおそらく牛肉のことを言っているんだろう」と察することができるため、周りが推測のコストを支払いながらしばらく指摘せずに進んでいたのですが、ゲームが複雑になるにつれ「周りの配慮前提の運用」に限界が見え始めました。

豚肉も牛肉も鶏肉も出て来る場面になると「察する」ことでは補いきれなくなり、何のことを言ってるのかわからず現場は混乱するし、ねずみさん自身も「咄嗟に正確な呼び名が出ない」という事態に困ることとなるのです。今まで誰も指摘せず、意識して取り組まず、なぁなぁで来てしまったことによる綻びでした。

咄嗟に間違えることは誰しもあるのでそこは責められるべきではないのですが、言葉を丁寧に扱わないと「受け取り手にコストをかける」、「言葉のズレが認識のズレを生む」という意識があるのとないのとでは大違いだという問題です。

ズレをなくしてチーム全体の思考の質を高めるために、おろそかにせず取り組むべき課題だと痛感しました。

学び⑦「できること」だけ続けても達成感は得られにくい

オーバークックは徐々に難易度が上がる作りになっていませんなっていないんです。なんでやねん。
めちゃくちゃ難しくて苦労してみんなで何度も挑戦してやっとクリアできた面のあとに簡単すぎる面が続いて拍子抜け、みたいなことが平気で起こります。「少しずついい感じに難易度が上がるなんてことはない」これも仕事の縮図のようじゃありませんか。
そこでまた、私たちは気づくんです。「簡単な面ばかり続くと、ちっとも面白くないなぁ」ということに。

めちゃくちゃ難しくて苦労してみんなで何度も挑戦してやっとクリアできるあの喜びをまた感じたい。みんなでPDCAを回したい。業務改善のミーティングをしたい。課題を特定して改善したことで変化が起こって目標を達成するあの快感を味わいたい。

特に頑張らずぬるっとクリアできてしまった面はつまらなさすぎて、いつも「もっとPDCAを回させろ!」とねずみさんが叫んでいます。
「どうしてできないんだろう」と考え、PDCAを回し、挑戦した分だけ達成感。わりとシンプルな方程式かもしれません。

この体験を通してフリーランスで働く私は「仕事って、自分ができることだけやってるとつまんなくなるのだな」と悟りました。挑戦し続けることでしか得られない喜びがある。チームメンバーと協力しながらどんどん挑戦していかねば!という気持ちがより強くなりました。


まとめ

たかがゲーム、されどゲーム。
オーバークックは私たちに大切なことを教えてくれます。

やりこむと学びが深いですが、本来は食材をうまく投げられないだけで笑い転げられるようなポップなゲームです。操作や動きはシンプルで小学生から大人まで一緒に楽しめるので、お正月にご家族で、親戚で、友達で、挑戦してみてはいかがでしょうか。

長女は言います。
「同じメンバーで1年続いてんの?!暇やな」

暇上等。
いい年になっても毎週ゲームで集まってワイワイできる友達がいるって素晴らしいことです。
『同じ志を持つ仲間と協力して成し遂げる喜びは何ものにも代え難い』
このことを教えてくれた仲間(🐻‍❄️🐭🐢)たちに感謝。

この記事のサムネイルイラストは🐻‍❄️ちゃんが描いたもの。
めっちゃかわいい。宝物です。使わせてくれてありがとう〜!
🐻‍❄️: https://twitter.com/bear_illust

オーバークック様へ
お願いですから早く『3』を出してください。

687円(税込)は正直安すぎやと思う。※現在価格
https://store-jp.nintendo.com/list/software/70010000010088.html

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