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ぴぃちゃんだって、今週誕生日だもん!

 先日、外食先で「ゲロの匂い」を感じた。何かしらの生き物の体内から出たような、生臭い匂い。それはここ最近で一番お気に入りのお店で、家族でよく出向く居酒屋だった。

 言おうか、言うまいか5分ほど迷った。しかしコロナ禍ということもあるし、もし誰かのゲロが近くにあるとしたらそれは感染予防の側面から見ても掃除をしてもらわなくてはいけない。何より、お気に入りのお店を嫌いになりたくない。
 HSPだからなのか、私は匂いに非常に敏感である。その場所のことを思い返すと匂いがしてくるとか、歩いていると前に嗅いだ匂いがしてくるだとかいうことがよくある。この匂いを記憶してしまったが最後、もう二度とここに来られなくなると思った。意を決して席の移動を申し出る。こちらの迷いとは裏腹にスタッフさんが快く対応してくれた。
 お気に入りのお店というのは、ほとんどの場合スタッフがいい。程よい距離感、感じのよい接客。よいスタッフがひとりいれば、大体残りのスタッフも全員いい。この店も例に漏れず、活気があって感じのいいスタッフが揃っている。私はていねいな対応を受けた後、「どこかにゲロがあるのかも」というようなことを耳打ちした。

 移動した先の席で私と夫はビールとハイボールをメガジョッキにして飲んだ。子連れの外食はほとんどの場合ハッピーアワーの時間帯(16時~19時)に済ませることになる。最近はなんかもうどこに行ってもほぼ飲み放題である。ハッピーアワーを作ってくれた人に、マジ乾杯。

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 しかしこの日私は、女優さんの急逝報道により気持ちが落ち込んでいた。落ち込んでいると酒が変な方向に進む。ビールが延々と体内に吸い込まれていく。夫に「やっぱり自分の幸せって自分だけのものじゃないと思う」と話すと、「幸せって、周囲にも幸せを与えるし、不幸せもまた同じだよね」といわれた。「そうだよね、みんな幸せでいてほしい」と言葉を返したところで、涙がこぼれてしまった。
 そのときふいに店の奥から「お誕生日おめでとう!」という声が聞こえてきた。隣の席にはいつの間にか若い男女のグループが楽しそうに騒いでいる。乾杯のシャンパングラスがぶつかり合う音。涙を拭きながら、若い子たちって可愛いよなぁなどと思っていたら、なぜか逆隣りにいた娘が突然立ち上がった。

「ぴぃちゃんだって、今週誕生日だもん!!」

 ギョッとした。娘のマウント癖がこんなところで。娘の誕生日は5日後。5日後の他人の誕生日を聞かされて、一体どうしろと言うのだ。しかし謎の告白を聞いた隣のグループの若者たちは、優しく娘に話しかけてくれる。「真ん中バースデーができるね」「おめでとう!」という言葉たちを聞いて娘は嬉しそうにニヤニヤしていた。
 ありがとう知らない若者たち。娘の承認欲求は無事に満たされた。いい人たちでよかった。


 しかしここで話は終わらない。席で会計を終わらせ、帰ろうとしたそのとき、先ほどシャンパンを運んでいたスタッフさんが店の奥から走ってきた。

「これ隣の席からです」。

 なんと「お誕生日おめでとう」と書かれたプレートを頂いた。ケーキのおすそ分けだそうだ。若者たち優しすぎでは……?
 「どうしよう泣きそう」と夫が言った。彼はいつでも泣いている。娘は大喜びで、拍手をしていた。私は隣の席の彼女たちに「本当にありがとうございます。生きているといいことってあるんですね、すごく嬉しいです」と話した。今思い返せば突然何のことなのかわからない、謎の重すぎる言葉である。

 先ほどのスタッフさんによると、隣の席の子たちは店のグループ店で働いているらしい。「新卒で田舎から出てきたばかりで友達もスタッフしかいないという感じだから、仲良くしてあげてください」とのこと。
 それならば、とシャンパンを注文し、隣の席にお返しして私たちは店を出た。

「あの子たちは心が豊かだなぁ」
「おかげですごくいい日になったよねぇ」
「本当、あの子たちのおかげだわぁ」
「悲しくて泣いてたのにねぇ、嬉しくて泣いちゃったよねぇ」

 なんて言いながら歩いていると、後方から「ママー!」と呼ばれる。振り返ると先ほどのグループのひとりが走ってきた。

「シャンパンのお礼に!」

 そう言って彼女が娘に渡したものは手持ち花火だった。そういえば先ほどグループのうちのひとりがドン・キホーテに入っていくのを見かけたが、花火を買いに行っていたのか。君たちは心が豊かすぎでは? お礼と、またあのお店で飲もうということを伝えて私たちは帰宅した。

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 さて、家に帰って驚いたことがある。ゲロの匂いがするのだ。それも私のカバンの中から。背筋が凍り、鼻の奥に刺激が走る。

 カバンをひっくり返すと、娘が長年持ち歩いているメルちゃんが出てきた。なぜ私のカバンの中にいるのかはわからないが、ここで突然、娘がメルちゃんに牛乳を飲ませていたことを思い出した。時間が経った牛乳とは、何かしらの生き物の体内から出たような生臭い匂いである。驚愕の事実の発覚。あの店にゲロなどない。ゲロ臭の根源は私が持ち歩いていたのだから。私はすぐさま店に謝罪の電話を入れた。

 スタッフさんは笑って許してくれた。対面での謝罪のためにも、またあの店に行きたい。

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娘は最近反抗期。

いただいたサポートはチュールに変えて猫に譲渡致します。