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ラニアーのAIの本を読みながら、「原爆」ではなく、「芸術」の爆発について考える/一日一微発見444

ジャロン・ラニアーの伝記『万物創造を始めようDawn of the New Everything: Encounters with Reality and Virtual Reality』を読んでいる。めっぽう面白い。

彼は1986年からVRの研究・開発を現在にいたるまで続けているパイオニアで2010年には、「タイム」誌が選んだ「世界で最も影響力がある100人」にも選ばれたこともあるヴィジョナリーである。本を読めばVRの到来は人類にとり必然なのだと思わせてくれるし、自分が生きているうちにVR時代がやってきてラッキーだとも思える。

VRは当然のことだが、ディープラーニングされたAIの進化なくして成立しない。
VRが飛躍的に進化したらどうしたいを超勝手に夢想してみる。

ばかばかしい妄想。
僕なら1970年のジミ・ヘンドリックスがマウイのステージで「Voodoo Child」をライブでやっているステージの前席に、仮想に侵入したいと思う。ライブ映像はYoutubeに残っている。その場に進化したVRで没入したいと思うのである。

ジミヘンとバンドの3人はいたってシンプルなステージで、出している音楽(Voodoo Child)のわりには冷静なのがよい。ステージには何故か旗もはためいているし、ステージ横にいてジミヘンの頭にまかれているブルーのリボンとかが優雅に風にそよいでいるのを、間近に、酔っぱらって見たいと思うのだ。それは透明人間になってタイムマシンでやってきて世界にこっそり没入しているようなものだろう。

その事態を瞬時に生成し続けることができるには、AIもかなり大変だろうが、そこまではがんばって到達してほしいものだと思う。
そうなれば、人類文化は愉快極まりないだろう。

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