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『かわいそ笑』読書感想文

ネタバレ有り。

かわいそ笑 
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昨今、SNS使用者の興味は多岐に渡っている。人によってはソーシャルゲームの話題をより多く求めたり、創作に興味のある人は絵や文章の掲載サイトや絵の描き方講座等を知りたがるなど、その本人が求めて検索さえしてしまえば広くタイムラインは流れるものである。筆者のように広く、今やさして興味のないジャンルを惰性でフォローし続けた結果、得られたフォロワーとの会話も減り、そもそもリプライを飛ばす行為自体が減少傾向にある人々も少なくないことだろう。昔は、少なくとも10年ほど前は、Twitterよりも匿名掲示板の方が遥かに盛んであった。興味のあるトピックは『板』という形で各ページに存在し、その中にあるスレッドに匿名の『住人』として住み着くことが古のインターネットにはあった。現実世界ではない、インターネットだけの世界で繋がる縁。懐かしいものであれば、mixiやGREE、個人サイト等があるだろう。そこに望郷の念を持つことは恥ずべきことではない。誰しもそこに『黒歴史』を作り、誰しもそこに『出会い』と『別れ』を持つものである。Twitterにおいてもそれらは変わらず、依然として存在し続けるものだ。それが良い思い出だけならばさして問題はないが、遥か昔から存在する忌むべき事柄、誹謗中傷もまた在ったものだ。

元来人は、被害者になりたくてなるものではない。当然加害者になりたくてなるものでもなく、いわゆる『レスバ』を好む傾向にある人以外は、他人を不必要に傷つける行為を忌み嫌うものである。しかしながら、ときおり人は『知らないところ』で『被害者』にも『加害者』にもなることがある。

『炎上』というものがある。これは実際に火が燃え上がる様を意味する言葉であると同時に、今やネット用語としての意味合いの方が遥かに使用回数が多いと言える傾向にある。インターネットの書き込みや意図せぬ『暴露』や『晒し行為』などを発端にし、批判や誹謗中傷が発生すること。これこそが昨今もっともホットな『炎上』の使われ方だろう。

『炎上』の実例など、挙げたところでキリがない。少なくとも毎日、目の届かないところでも目の届くところでも問わず、常に誰かが『炎上』している。本人に非がある場合はもちろん、本人に非はなくても炎上することがある。事実これは厄介なところで、前者であれば常識から外れた振る舞いが明るみになったり、己こそが正しいと誇示した結果他者の注目を浴びてしまって生じるものである。後者であればまったくの無辜の存在が、常識から外れた外野や己以外は全て間違いだと考える論理的異常者に目をつけられ、大々的に『晒し行為』を受けて発生するものだ。法律上、名誉毀損や侮辱罪といった、被害者が加害者を訴えることで成立する罪状もあるが、筆者は法律関係にまったく詳しくないのでここには記さないものとする。

先述したように、被害者にも加害者にもなりたくないと思えるのは、およそごく一般的な感性と言える。筆者も同じく炎上する側にも、炎上させる側にもなりたくはない。人は面倒を嫌い、面倒に関わることを嫌うものだ。それが自身の生きる上で必要な面倒(受験勉強、資格取得、就職活動、先方への挨拶等)であれば、躱すことは難しい。むしろ面倒と分かっていながら、その面倒へと向かっていかねばならないという気持ちの上での矛盾を解消する必要もある。

だが人は、少なくともこの本を読んだ人は、自身が簡単に他者を貶める能力を持っていると嫌でも理解させられてしまう。

これは事実呪いのようでもあり、自身の持つ『面倒』との関わりを強く意識させられるようでもある。

じんわりと、嫌な気持ちになることがある。

書き込みの内容が人を傷つける内容であったり、
個人的に顔や肉声が好きじゃなかったり、
なんかムカついちゃったり、
文の書き方が気持ち悪かったり、
性格が嫌だったり、
性的嗜好が受け入れ難かったり、
幸せそうなのが嫌だったり、
なぜか喧嘩腰でしか話ができなかったり、
「理解がある」と言いたげなふうが嫌だったり。

そうした時の捌け口を、そんな気持ちの捌け口を、何かにぶつけられたら楽だと思うこともある。それがスポーツや運動であれば健全であり、創作活動であれば良い作品の糧たり得る。しかしそれらに該当しなかったり、それらを行うことすら嫌な時などに、人はサンドバッグを欲しがるものだ。こいつなら好きに殴ってもいい、こいつなら悪いことをしたのだから好きに鬱憤を晴らしていい、手口の荒い晒しのようなものを人は驚くほど受け入れてしまえる。

そういった、人が無関係の人を呪う行為のようなものの最中は、誰もが無敵で痛みを覚えない。だが熱りが冷めた頃、自分が被害者に向けて行った謂れのなき呪詛の難点に気付いた際、誰しもその責任から逃れたくなるものだ。人目につかせる必要がある、あなたの嫌なところを嫌だと思っているのは私だけではないのです、他にもあなたのことを嫌う人はいるのです。そうして自身の名を消して、他者にも呪わせて自分だけしか責任を負わなくて済むように行われる『洗い晒し』には、何となく覚えのある人もいるのだろう。

この本には、恐ろしいことがたくさん書かれています。
決して、ネットでの脅迫行為を助長するものではありません。
当然、私もネットでの脅迫行為を助長したいとは思いません。
名誉毀損や侮辱は立派な犯罪です。
誰もあなたに嫌がらせをされたい訳ではありません。
最後まで読んでこそ、この本の良さが分かるものと思います。
最後まで読んでこそ、この感想が理解できるものと思います。



ここまで私の読書感想をお読みくださり、
本当にありがとうございました。

おそらく、そろそろです。

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