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存在するという事②
前回の続きです。
量子論をふわっと知った
30過ぎの頃だったか「サルでも分かる量子論」的な本に出会います。こういう数式を伴わない物理のお話は何となくふわっと分かれば満足レベルですが大好きで、相対性理論の本も読んだことがあります。そして観測論を知るわけです。
これが知識のアプデに繋がりました。上記のように思考だけの存在からさらに一歩踏み込んで、思考すら失われた状態になった場合、それでも自分は存在しているのか?
私の答えは「YES」です。結論から言うと「私という人間が心肺停止せず、時空間に存在する限り、自分は存在している事になる」です。
いっちーという人間の定義は自己観測だけでは完結せず、外部からの観測も含まれます。そしてこの外部は人間だけでなく物体や空間そのものも含みます。物質が時空間に存在する=重力が発生する(で合ってますよね?w)わけで、私が心肺停止せず空間にいる限り、確かに私はそこにいるわけです。
ちなみにシュレーディンガーの猫とかも、この解釈からすると自分が観測できないだけで時空が猫の存在を確定していると考えました。しかしシュレーディンガーさんはなぜ猫様を思考実験の材料にしてしまったのか…どうせならゴキブリでやってくれ😡
ちなみに、この話を物理学に明るい先輩にした時に「それはコペンハーゲン解釈だね!」と言われ、帰ってググってみましたが、さっぱりわかりませんでした\(^o^)/所詮、おバカはこの程度で、私はそれで満足です🤤
この時点で自分が存在している事の定義が確定します。
では存在し続ける意味は?
存在の定義は確定しましたが、存在理由への解には少し遠いと思い、さらに深く考えます。自分が存在する理由です。価値と言い換えてもいいですね。
これについては死生観でも述べた通り「自分だからという理由はない」と考えます。であれば自分の存在価値は0なのか?
正直微妙なところですが、現状のままであれば0どころかマイナスにしかならないと思います。本来貰える年齢ではないにも拘らず障害年金を頂いて暮らしているので。
この制度はあくまで社会復帰を前提としているので、凄く厳しい言い方ですけどこう考えて当然と思っています。
逆に考えて、存在し続ける意味とは他への影響を与える事と考えられます。これは物理的ではなく論理的な影響ですね。
つづく🤤