ふるさとは遠きにありて
わたしにはかつて、ふるさとがあった。
四国にある、小さな街。
かろうじて「市」という名を持つ街である。
父が亡くなり、もともと四国出身ではない母はその街を離れ、わたしの現在住んでいる場所の近くに越してくれた。
なので、もう実家はそこにはなく、帰省することもない。
不思議なことに、帰らなくなると、妙に懐かしくなる。
そこまで故郷に思い入れがあったわけでなく、大学進学を機にあっさり離れたのに。
四国の中でも交通アクセスの悪いところにあり、飛行機とJR(しかも電車ではなく汽車)を乗り継いで疲弊しながら帰っていたのに。
不思議だ。
そこに帰ってももう両親がいるわけでもなく、友人もあまり住んでいないのに。
なぜか、突然、郷愁にかられる。
帰りたい。
と。
わたしが帰りたいのは、いまのふるさとではなく、自分が高校生のときのふるさとなのだと思う。
まだ街に活気があり、友だちもみんな近くに住んでいたころ。
思えば映画館やショッピングモールもない街で、よく楽しい学生時代を送れたものだ。
ネット通販もなかったから、大きな買い物は県庁所在地まで出掛けないといけない。
でも、毎日がとても楽しかった。
学校帰り、街にひとつしかない商店街をぶらぶらしたこと。
辛うじてあったカラオケ店に、テスト開けにみんなで行ったこと。
夏休み中から準備をして臨む体育祭。
市をあげての夏祭り。
神社のお祭り。
当時は、たくさん悩みも苦しいこともあった。
いま思い出しても辛いこともある。
でも、ふるさとのことを思い出すと、いまでも切ないような、懐かしい気持ちになる。
たぶんこれからも、ずっと。
たまにGoogleストリートビューやYouTubeで調べてしまう。
そして、そこを歩く自分を想像する。
それが、ふるさとを離れた自分のいまの習慣である。
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