コウカイする勇気

公開する勇気、後悔する勇気。
そうです駄文です。

最近の・・・ここ2年で起こった心境のちょっとした変化。
これはどんどん思い出せなくなっていくんだろうなぁと思い書き初めた情緒録です。自分語り的な側面は大きいですが似たような悩みは誰にでもあるのでは?と思ってテキストにまとめています。
共感性羞恥持ちの方は極力客観視して文章をお読みください。

承認欲求

自分は自分自身のことを承認欲求が限りなく薄い人間だと思っていました。

DTM歴は2013年から、AE歴は2014年から、必要に迫られてモーショングラフィックスを真剣に勉強し始めたのが2018年、このとき誰かに監視されてないと続けられないと思ってtwitterを始めました。

おおよそ5年近く誰にも見せることも聞かせることも見せることもなく、独り自分を満足させるためだけに映像と音楽を作り続けていました。
誰に見られる必要もないし、誰かに見せたいという欲求もほとんど持っていませんでした。
振り返ってみると厳密にはそうゆう欲求を「持っていない」というより「あまり知らなかった」というのが正しいと思います。

自分の承認欲求を自覚したのはtwitterを初めたことがきっかけでした。

初めて上げたモーションに「いいね」がついた時、心底恥ずかしかったことを今でも覚えてます。
嬉しいというより、恥ずかしいって感じでした。「うわ、やばいガチで誰かに見られてる、どうしよう」って感じでした。

初めて承認欲求に気づいたのは、その後、当時なりに結構頑張って作ったモーションが適当にあげたモーションよりも全然「いいね」がつかなかった時、めちゃくちゃ悔しいし、「もっと人に見られたい!」と思った時でした。

「あぁ、これが世を悩ませる承認欲求か」と当時、呆然と思っていたのを覚えています。

行動と結果

正直、1日ぐらい悩みました。「この誰かに認められたいってのどうしたらいいんだ?」と。

微妙に恥ずかしいような気もしたし、でも当たり前の感情な気がして。
1日悩んで考えることをやめました。
「持ってしまったものはしゃーない、認められないと解消されないし、悩んでも誰かが認めてくれるわけじゃないし、認められるまで頑張るしかないよね?」と。

それからは狂ったようにモーションを上げ続けました。というか今も上げ続けてます。(現在、427ツイート中300メディアという狂ったレート、メディアの性質上、喋らんとなぁと思って最近は喋るようにしてます)

行動の先にしか結果はない。
自分が行動しなければ、他人からの良いも悪いもないんです。
良くても悪くても上手くても下手くそでも動画を上げ続けようと当時思っていました。

心地よい無関心

動画を上げ続けて気づいたことは、当然だけど他人は自分に基本的に無関心だということでした。

当然ですね、自分は誰かに動画を見て欲しいと思っていても、別に他人からすれば知らないことです、そもそも僕自身をしらないと思います。

悔しいような気もしたんです。8時間とかかけた動画が誰にも見られないなんてことままありました。「誰か見て!」と思ったりもしました。

ただ明確にいつからって訳じゃないんですけど。
自分の努力が認められないのは、自分の所為では無いという感覚も持っていました。
性格的なものな気もします。
昔からですが、大したミスも無いのに努力が評価が悪い時は評価者との観点の違いであって、自分の所為では無いというズレた感覚を無意識に持っていました

自分がどれだけ努力しても、評価されないなら、それは仕方ないよね次頑張ろとバッサリ切り捨てる性格だったのが自分にとって都合が良かったのだと思います。

そうするとSNS上のお互いへの無関心さが逆に何かをする上で都合が良かったりしました。

他人は基本的に自分を見ていないという感覚は、モーションを上げ続ける上で気楽で良かったし恥じらいを捨てさせてくれました、無関心だった誰かに「いいね」されたり「ふぉろー」されたりするだけで滅茶苦茶嬉しかったです。

コウカイする勇気

公開する勇気。そして後悔しても良いと思える勇気。

これに気づけたことがここ数年の1番の心境の変化だと思います。
最初の1歩が一番ハードルが高いということに気づけたことが一番の資産だと思います。

何かをしても需要が無いかもしれない、何かをしたら嫌われるかもしれない。意味ないかもしれない。新しいことをすると嫌われんじゃとブレーキのかかる気持ち。
自分にもそういう気持ちはあります。ここ最近はそれと向き合ってばかりでした。

「自分の音楽にモーションつけたとか、キモく無い?」とか
「モーションばかり上げてるアカウントなのに音楽とか上げても需要ないかもしれない」とか
「俺が声つきチュートリアルとか作っても誰が求めてるんだ?」とか
「作詞作曲動画一人でやってるボカロ曲とか恥ずかしく無いの?」とか
「ボーカルとかつけてみたけど、嫌われるかもしれない」とか
自分の中の承認欲求を知ってから、ここ数年で人の目がとても気になるようになりました。

このノート自体もそうですね。
テキストってモーションよりも具体的に伝わりやすくナルシズムが出やすいし、そもそも誰からも求められてないんじゃ無いかとすら思います。
もちろん成功していることばかりじゃ無いです。

「勇気」を持ちましょう。

世界人口70億人、日本人口1億人いれば、まぁ、一人ぐらい良いと思ってくれる人や頑張りを認めてくれる人はいると思います。

それに勇気には持ち方があります。
自己流ですが今はこう思うことにしています。

「認められないことは悔しいことだけど、恥ずかしいことじゃない」
そして「誰からなんと言われようと自分だけは絶対自分を認める」

難しい事ですが簡単な事です。要するにはただのマインドセットの話です。

公開する勇気。そして後悔しても・・・『失敗』しても良いと思える勇気。
今後もこれを必要な時に持つことができたらと切に思っています。

伝えたかったこと、自分自身への備忘録

「承認欲求は仕方ないことで、恥ずかしいものだと思っていません、むしろバネです」
「他人は基本的に自分にそこまで興味は無いのだと思っています」
「行動しなければ結果は無いのだと思っています。認められることも否定されることもありません」
「他者からの評価は変えられないのだから仕方の無いことだと思っています。自分の最大限の努力をしての結果なら受け入れて次に進むのが良いと思っています」
「認められないことや失敗することは悔しいことだけど、恥ずかしいことじゃないと思っています」
「そして僕は僕自身の作品と努力、もしくは労力を認めたいと思っています」

イチカワ
youtube:

twitter:

以下ちょっとした出展。

**人類にとっては小さな一歩だが、

自分にとっては大きな一歩だ**

自分の音楽にモーションつけたとか、キモく無い?とか

モーションばかり上げてるアカウントなのに音楽とか上げても需要ないかもしれない。とか

俺が声つきチュートリアルとか作っても誰が求めてるんだ?とか

作詞作曲動画一人でやってるボカロ曲とか恥ずかしく無いの?とか

ボーカルとかつけてみたけど、嫌われるかもしれない。とか


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