YOASOBI解剖「夜に駆ける」編~伝説は、無二のどんでん返しから始まった~

別アーティストでつながったTLの知り合いが一人、また一人と話題に出すようになったな……と思っているうちに、もはや社会現象にもなっておりますYOASOBI
曲のハイセンスさ、りらさんボーカルの素晴らしさについては一発で伝わったものの、解釈や原作とのリンクは意識しないまま、というのが以前の聴き方で。しかしこれでは魅力の半分も理解できていないだろう……と思い立ち。
ならいっそ、物語に向き合う過程を記事にまとめてみよう、というのが本シリーズです。考察記事であれば他にも多数あると思いますので、あくまで(YOASOBI初心者の)一例としてご覧ください。
ただ、一つユニークな視点があるとすれば。

サイト違いとはいえ、僕もウェブに小説を載せている身でして。(いくら実績や人気度が違うとはいえ)同じ若い書き手として、ちょびっとだけ言葉に敏感なオタクとして、小説が音楽になっていく過程を解剖できればと思っています。

というう訳でまずは一発目、「夜に駆ける」。

MVも原作も知らず、「とりあえずぼんやり」聴いていた頃の印象は、
「【君】の自殺を止める歌……と思いきや?」
でした。トラックは爽やかなんですけど、不穏さが引っかかる。

という気分のまま、原作「タナトスの誘惑」に触れました。
(この先は原作にガッツリ触れるので、未読の方はぜひ読んでみてください。すぐに読み切れる量です)

……読みましたね? 

ではどうぞ。





原作「タナトスの誘惑」のアイデア性


自殺から救おうとしていた「彼女」が、実は「僕」にとっての「死神」だったというどんでん返し。ここまで読んで、曲に感じていた不穏さの真相が分かりました。そして同時に、一緒に生きていくのではなく「一緒に旅立つ」話であることも把握。(今回は曲で暗示されていましたが)フラットな感覚なら、スッと肝の冷える読後感を堪能できていたと思います。ショートショートの醍醐味ですね。

意外性だけでなく、それを支える伏線もしっかり利いていました。

彼女は、一瞬で僕の心を奪った。きっと一目惚れのようなものだったと思う。
死神は、それを見る者にとって1番魅力的に感じる姿をしているらしい。

約1900文字という短い分量の中で、導入・伏線・反転・結末という要素をまとめきる、非常にコンパクトな作りです。話に余白が多いのも、他メディアによる味付けのしやすさにつながっているように思いました。個人的には、より時間をかけて愛情の変遷が描かれた方が好みではありますが。

作劇だけでなく描写も、平易かつ効果的に、どんな人でも飲み込みやすく、というテイストになっていると感じました。アレコレ表現を変えてみたり、修辞を盛って独自の風味をアピール……というスタイルの方が僕の好みではありますが。実際に受賞した作品にアレコレ言うのも野暮ですね。
(特に若者向けのレーベルでは、凝った文体は控えて読みやすくしようね、という方向にディレクションされがちとも聞いています)

余計な主観も入れましたが、「夏の夜、君と僕の焦燥。」というお題に対してコレを打ち返せる発想力・センスは素直に脱帽です。そしてこの「ひっくり返し」と、キャラを包む「死への引力」の普遍性が、YOASOBIをはじめとした選者に刺さったのだと思います。一つの小説というより、求めていた「原作」としてのリンク。

この記事でAyaseさんは「厭世観」と表わしていましたが、それがピッタリですね。多かれ少なかれ誰もが持っている「この社会から逃げ出したい」という欲求。
「僕」の背景や心情のディティールが省かれがち(ブラック企業という説明はあり)のも、読み手からの代入のしやすさを意識してのことかもしれません(意図はなくても、そんな作用はあると思います)(とはいえ個人的には、動機は掘り下げてあった方が誠実かなと)

楽曲とMVによる再演と、歌詞の精緻さ

という原作が、どのように曲で表現されているかを見ていきます。

まずはイントロ。繰り返される「沈むように、溶けるように」は原作には登場していません。主語は「僕」や二人だと思いますが、太陽を重ねてみたくもなりました。太陽を(幸福や希望だけでなく)命や「生者の世界」のメタファーにすると後々で面白くて。
この物語での「夜」ですが、生活の中での憂鬱や焦燥だけでなく、死後や異界のメタファーでもあると感じました。ここではない、向こう側には「二人だけの空」がある、という解釈もできるような。

1番Aメロは原作冒頭をなぞっています、LINEでの呼び出しと出会いの回想。「だった/分かった」のリズム一致も気持ちいいですし、ここから8行の脚韻をaで揃えていたりも。何度も触れますが、言葉によるリズム感が非常に秀逸。
変化が加わっているのは時間帯ですね、原作だと「もうとっくに日は沈んだ」で、曲だと「日が沈みだした」です。ここに太陽=命・生者を当てはめると、二人の命が終わりに近づいていく、この世から旅立とうとしていることの暗示になるようにも思いました。
あるいは、ラストの「夜に駆け出していく」に向けての時間経過の表現かもですね。

Bメロ、促音のリズミカルさが凄い! 
「チックタック」は原作にはないですね。音ハメ意識の他にも、時計という「急き立てる」モノ=焦燥感、あるいは心拍を示しているようにも思いました。
そこからの「触れる心無い言葉」も好きです、o-o-aのコンボもそうですし、「触れる心/」で区切ると見せかけて「触れる/心無い」になるという流れも。
後半ではMVで気になる所があって。「君」と「僕」で歩いている方向が違うんですよね、すれ違いの暗示?

そしてサビ。「騒がしい日々」とあるように、第三者の存在を悪と見なす描写が多いんですよね。MVでは「君」の目を塞ぐ場面もありましたし、サビの締めも「二人でいよう」になっている。この辺は単なる「迷惑なその他大勢」だけでなく、原作でも描かれていた「彼女」への独占欲の表れでもあると思います。
後で覆される心情ですが、「思いつく限り眩しい明日を」は励ましのフレーズとして非常に好きです……まあ、アナ雪のデュエット曲だってアレでしたし、安易に一部を切り出すのも悪くはないかなと。

1番では「僕」が「君」を励ます構図で、「夜」は悪側です。だから「明けない夜に落ちていく」になるし、太陽は待望するものになる。この構図が後でどうなるかを考えると、この辺の歌詞はまるっと伏線です。

それにしても、1番だけ聞けばまっすぐな励ましソングとして良い響きなんですよね……新海さんの「秒速5センチメートル」も1話で終わればホッコリでした。こういう「ここで終わっておけば~からの反転」展開は好きです。

2番Aメロ、「君」の表情について。初めて「君」への「嫌いだ」が語られるのに合わせて、トラックの印象も変わります(1番よりもピアノメインになってますね、ここの音の流れも非常に好き)

Bメロでの怒濤の心情描写、これも原作にはなかった。
「信じていたいけど信じれない」の対象が気になります。社会に向いているとも取れますし、後半の「僕らは分かり合える」を踏まえると「君」に向いているとも取れる。「二人なら大丈夫」から「二人だと辛い」に変わってしまったという解釈にもなると思います、原作では省かれていた二人の関係の変遷。
この辺はラップ寄りのリズムも印象的で、特に「きっと」連打は大好きです。「きっと」は繰り返すほど切実さや儚さが増すと思うんですよね。

間奏を挟んで、「僕」の説得、もとい「君」の誘導尋問です。
原作では一度きりの会話としてでしたが、曲では「何度だってさ~届かない」というフレーズが入ることで、説得が繰り返されてきたことを伺わせます。そしてとうとう、「僕」は言ってしまう。
直後の無音に掴まれますし、MVでは「君」の笑顔が合わさることでよりゾクリと来ます。

ちなみに曲において、「終わり」は言われていても「死」は使われていません。どこでも流れるであろう歌ということで、刺激の強いワードは使わずに物語を表現しようとしたのかもしれません(がっつり歌っている曲も割とありますが)

そして落ちサビで、全てが反転します。
笑えなくなっていたのは「君」→「僕」
何かを見つめる君が嫌いだ→僕の目に映る君は綺麗だ
(僕が)抱きしめた温もりで溶かすから→君の笑顔に溶けていく

……というように、それまでに出ていたフレーズを逆の構図で歌っていく、これがラスサビでも続きます。
小説のような台詞での説明が使いにくいぶん、同メロの反復という枠の中で「同じフレーズで逆の構図」を用いて鮮やかにどんでん返しを表現。

そして最後の最後でタイトル登場。「夜に落ちてゆく」のではなく、「夜に駆けだしていく」のは、終焉ではなく解放だからでしょう。

ここまで見てきたように。原作の展開を踏まえながらも、歌ならではの仕掛けと言葉の音楽性(響き、リズム)を非常に高いレベルで両立させたのが「夜に駆ける」だと言えると思います。僕は読み込みながら「ここもか……ここもじゃん、ウッワ~」と震えっぱなしでした。

勿論、歌詞だけではなくメロディも技巧だらけだと思うのですが、音楽理論は疎いので僕からは語りません。

その代わり、「タナトスの誘惑/夜に駆ける」という物語が僕らにとって何なのか、少し考えてみました。

「自ら終わる物語」なりの寄り添い方

解釈は人それぞれだと思いますが、やはりこの物語は「導かれて自殺する」話になるんですよね。それで、導いた「君」の正体はというと。

作者さんの後日談より。輪廻や前世といった概念の気配もしますが、リアルな言葉で表現すると「自殺願望や希死念慮によるイマジナリーフレンド」になると思います。
そうした感情によって形になったモノ……という意味で、この小説や楽曲自体が、作中での「君」に重なるようにも思えました。

何かが見えてしまう人、はっきり自殺を考えている人は今すぐ然るべき機関に行った方が良いと思いますが、軽い希死念慮ならそれなりに一般的でしょうし、自分にもないとはいえないです。だから、優しく前向きな自殺というテーマが受け容れられるのは分かります(尤も、「夜に駆ける」にそうした解釈を持たずに聴いている人もいるとは思いますが)

フィクションは、「やっちゃダメだけどやってみたい」を疑似体験する場でもあると思います。人や生き物を攻撃したり、社会を敵に回したり。自分を終わらせることもその一つでしょうし、この物語を読む/聴くことで得られるカタルシスは大きいと思います。

それでも。創作で救いとしての死を描くのは、やっぱり僕はやりたくないな……という感覚も確かだったりします。死んで異世界に転生したら前より幸せだった、というのも書く気になれないので、自殺には限らないのですが。
やはり僕は、避けられない自分の終わりにどう向き合うか、大切な人と別れた後をどう生きていくかにこそ、小説で向き合いたいみたいで。計らずも、そんな創作論を意識するきっかけにもなりました。

……ということを書いておいてなんですが。自分を投影する人は少なくて、純粋に客観視点の物語として楽しんでいる人ばかり、ということなのかもしれません。自分のアンサーは出したことですし、他の人の聴き方・読み方も調べてみようと思います(ここまで公式インタビューの一部しか読んでませんでした)

という訳で、お読みくださりありがとうございました。新しいYOASOBIの魅力を発見するきっかけになれば幸いです。
次は僕の(暫定)最推し曲である「あの夢をなぞって」です、もし本記事がお気に召したのなら、またご覧ください!


【追記】

この時代に小説書きやってる身としては逃せるはずのないチャンスでした。
次は僕の番だ。

【さらに追記】

上記コンテストは受賞せずでした、また研いでいきます……!


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東北住みの学生。カクヨムにて(市亀名義で)小説「Rainbow Noise」など執筆中。 アーティストfhánaを中心に、映画・小説・音楽など節操なく摂取中。 Twitter:@ichikamefina