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【週刊自己肯定感】ひとがこわいけどひとりではもうがんばれないとき、おまもりやまじないを頼るといいよ、の巻。

みなさまおこんにちは、


自分責めの毎日からわたしダイスキがあたりまえな毎日を。


あなたのドーパミン、
心理カウンセラーのイチカ✳︎ドーパミントです。


ブログにお越しくださってありがとうございます。



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これはわたしのたからもののうちのひとつ。


お告げ師でカウンセラー、四季と生きること、まもりまもられともに生きることを教えてくれる

ヨーコ先輩につくってもらった、わたしだけのリーディングブレス。



ヨーコ先輩にこれをお願いする直前のわたしは当時、じぶんひとりでがんばることに限界を感じていた。


きょうはそのころのおはなしを聞いてもらえるかな?


✳︎


そのころわたしは、罪悪感と無価値感とで自己肯定感は凹みに凹みまくっていた。


娘が高校を中退して、家から出なくなったのだ。


わたしが離婚して、忙しく働いているせいだと思った。

唯一無二の恋人と出会って、日々しあわせを感じているせいだとも思った。


娘のフォローをしなくてはならない、といろんなところに相談に行った。



だけれどうまくいかないし、「娘さんをこう変えるために」などとあれこれと指示されるばかり。


わたしがそう思っていたからなのだけど、だんだんとつかれはてて、知らない人と話すことがこわくなってきた。


その道の権威である誰かに頼ることがとてもこわくておそろしいものになってきていた。




だからといって、経験上癒され、前に進む力をもらえるとわかってはいるカウンセリングに行くには、こころがあんまりにも弱りきっていた。


また傷つくのはいやだ、勇気ならもうたくさんたくさん出してきたのだ、もう損はしたくない、と


「ひとはわたしを傷つける」「ひとはわたしを消耗させて損させる」というずっと持ち続けていた前提を増幅させることしかできないまま、


どうせ誰にも助けてなどもらえないと怒って、拗ねることを選んで生きていた。





でも、それがひとでなければ。


目に見えないものならば。


わたしがひそやかにお慕いして、こころの支えとさせてもらえるのならば。



そんなふうに願いを込めて、奈良は天理の石上神宮にお参りした。


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いつもは恋人と行くのだけれど、ここに娘を連れてきたかった。


参道いっぱいの豊かな緑、掃き清められて大切にされているさまを感じながらふたりで歩いた。


娘もまたそとの世界にたくさん傷ついて、母に対する怒りも悲しみもあらわせなくて、ただただ息をして日々を凌いでいる時期だった。


わたしはそんな娘に対して無力感と罪悪感しか感じられず、それを否定して力でねじ伏せるようにしてこころに閉じこめていた。


それをもうやめたかった。



わたしのせいで娘が苦しんでいるという気持ちを手放して、


娘のためにも自分をしあわせにするという生き方をあらためて模索しはじめた頃だった。



わたしはもう今度こそ、しあわせになりたい。


そう感じて、決めて、失敗して。


何度繰り返してきただろう。


探し求めすぎてなおさら道が見えなくなってしまった。


もう限界だ。

たすけてほしい。


おすがりしたい。




✳︎




娘はいきものが好きだ。


鶏のいる石上神宮なら、気持ちが晴れるかもしれない。


ふたりで霜月の奈良の古い古い神宮の参道を、静かに、息を白くさせながら歩いて登る。



ふと、耳に鳴き声が聞こえた。



こけこっこー



ここー



こー




境内のそこここから、何羽もの鶏たちが鬨の声をあげている。


その声を聞くまで、娘のことやいろんなことに対して、


自分のせいでひとを不幸にすると考えてどろどろとよどんでいたわたしのこころは一気に晴れた。


こけこっこー、の響きのなかに


気になることは誰にでもあるものだ

人の世はままならないことがあるものだ

だからこそ我々がいるのだよ

いつだって頼ってくれるのを待っているよ


そんな声を聞いた。



わたしは神前にてお賽銭箱に精いっぱいの1000円札をそうっと滑り込ませ、

たすけてください、神さまのお力をお貸しください、とただただすがった。


神さまを絶対なるもの男性性とし、
自分を守られるもの女性性として、
ただただすがった。



社務所にておふだを求め、帰途に着く。


坂道を下っていると、娘が立ち止まって何かを見つめている。


鶏のママがなにかを啄みながら歩いているうしろを、三羽のひよこがぴよぴよと鳴きながらついてきている。


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「かわいいねえ」


「かわいいねえ」


「ママおつかれさま〜」


「ママきりっとしてるねえ」


後ろから知らない女性がにこにこしながらこう言ってくれた。


「神さまが歓迎してくれてるんやねえ」



わたしと娘はしあわせな気持ちになって家に帰り、


石上神宮のふつのみたまさんのおふだを飾って、どうぞわたしたち家族をお守りくださいとお願いした。


ふつのみたまさんは一説によると、日本神話に出てくる素戔嗚尊のおとうさんの持ってらした刀が神さまになったものなのだって。


ピンチのときにはこころに巣食った乱麻を断ち切り、そのひと本来の姿に戻らせてくれるのだって。


ひそやかにまもってくださるかたがいてくださると信じることで、なんだかこころにほわっとあかりが灯った。


こんなあかりがほかにもあれば、ふつのみたまさんだけにご負担をおかけしないで済むなあ。


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神さまに頼ることに慣れてきた折、ヨーコ先輩が「リーディングブレスをつくります」というブログを発表された。


わたしにとってヨーコ先輩は、神さまの声を伝えてくれるひとである。


即座にメールを送った。

そして何度かメールをやりとりした。


どんなブレスにしたいのか
どんな願いを込めたいのか
ブレスがあるとどんなわたしになるのか


実に事細かにことばにすることをもとめられた。


おお、こんなにも、修行のようだ、と感じながら自分の気持ちを文章にする。



ヨーコ先輩のブログタイトルは


「毎日はなうた」


という。



わたしは娘が生まれた19年前、毎日思わずはなうたが出るような人生を送ってほしいと願った。


それでそのような名前をつけた。


ヨーコ先輩に感じたご縁からのお守りを欲した。こころから欲した。わたしに必要だと欲した。




ブレスが届き、お礼のメールをしたその返信にヨーコ先輩はこう書いてくれた。


「娘さんの名前を呼んだ数だけ、まじないがかかっています」


「はなうたのような毎日に恵まれます」





わたしは今までどれだけ娘の名前を呼んだだろう。


どれだけ娘の名前を書いてきただろう。


そのたびにわたしは、娘が生まれてくれて存在してくれることに、どれだけ癒されてきたことだろう。




娘はいま、ライフワークを見つけて師や仲間たちと忙しく活動しはじめた。
そのためにアルバイトもはじめた。


ヨーコ先輩のブレスと石上神宮の神さまのおふだにすがったことで、わたしはひとつの荷物を下ろすことができた。


ひとに頼ることがこわくて、


でもひとりではもうがんばれなくて、


お守りを欲したら、もうすでに守られていたことを識った。



あなたももし、ひとがこわいと感じることがあれば


でもひとりでがんばることがつらければ


神さまや綺麗なもの、ふしぎなものを頼ってみることを、


あなたをしあわせにする手練手管のうちのひとつに加えてみてほしい。



自己肯定感をフルにするには、なにかを頼りに頼っていい。


男性性を発揮してひとりでがんばるばかりでなく、女性性もフルに発揮してすがりにすがっていい。



そんなおはなし。



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今日もおつきあいくださってありがとうございました。


すてきな今日をお過ごしください。


イチカ、あなたのドーパミンより。

ずっと罪悪感を抱えて、自己肯定感ひっくい人生を送ってきたんですけれど、いまは応援していただくことの修行をしています。よかったらサポートお願いします。いただいたサポートで土偶や土器の博物館に行きます。