愚痴

 他人が私を見て小さいだとか、頼りないだとか、そう思うのは仕方がないことでした。それが事実であって、しかしながらそのまま事実でないことを私が他人に知らしめるには、それなりに時間を要するのですから。
 身長はそこらを歩く小学生と変わらないし、事実私にできることは同じ年の他人よりも少ないのです。自分より弱く小さいものは、鬱憤を晴らすのにもってこいですね、通行人のおばさん。自分たちより小さくて、畑違いの仕事をしてきた、直接知らない先輩なんて尊敬には値しませんよね、十代の少女たち。それでも私はMT車の運転も、トラクターの運転も、フォークリフトの運転もできるのですよ。この身体さえ動くようにあれば、なにか仕事にはありつけるだけのものは持っていて、それが何一つほとんど役に立たないところへ移ってきただけで。
 お前らに何がわかる、なんてことは言いませんよ。私にだってあなたがたのことを簡単に知ることはできない。だからといって、他人をそう簡単に判断して、知った気になって、暴力とも思わずに言葉や態度で暴力を振るうような所業は、人としてあまりに未熟だと思うのです。

 たとえば、いつも頼りになる家族がいますか。進学や留学が叶うだけのお金がありますか。徹夜のできる体力はありますか。一人で街を歩ける身体がありますか。全て揃っていたって、ままならないのが人生でしょう。他人の幸せに頬がひきつってしまう自分を恥じはしますが、ある人に当たり前にあるものが、またある人にはないのです。それを忘れて他人を己の物差しで測るのは傲慢というものでしょう。失くしてはじめてそのものの大きさを、重さを知るのが人間かもしれません。私もそうです。いつでも、私達は己の目が見落とすもののことへ思いをいたさなければ、幾らでも愚かになってしまうのです。

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