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知らない誰かの見る夢ー無意味とスカシカシパン

例えば知らない誰かが見る夢の内容のような、およそ自分の人生には関わりの無いもの。
本書はそう言った無意味さに対する関心、あるいは思い入れについての本だ。

春日武彦氏の本は単純に好きで読んでいる。
本を読むときはマンガでも何でも、自分に向けてなのか、周囲の目を気にしてか、きっとその両方だろうけど、なぜその本を手にしたのか理由を説明しがちだ。
今では情報収集であったり勉強の為だったり、そう言った理由で本を読むことが多くなったし、そうなると好きな著者の本であれ読んでいて息苦しさもある。
noteを書き始めて、参考にしている書籍を紹介したり読んだ本の感想を書いたりしようかと思っていたところで、偶然にも本書を手に取る事ができたのは幸運だった。

正直に言ってしまえば春日武彦氏の本は積極的に人に勧めていいタイプの本が少ない。
勧めたところで下手すれば悪趣味な奴めという評価がされるだろうと容易に想像できる。
この「無意味とスカシカシパン」だって好きでもなければ手に取らないように思う。
あるいは変わった本だなと表紙につられて読んだところで、いったいどんな気分で読むことになるだろうか。

それでも今回の記事でこの本を取り上げようと思ったのは、この本で取り上げている無意味さと、そこへの関心の上に成り立つこの「無意味とスカシカシパン」という本自体が、連日投稿を書き続けて目指している場所に位置しているからで、要するにお手本のような本だからだ。

しばしば書いているけれど、僕のnoteの投稿ひとつひとつにそれほどの意味や価値があるとは思っていない。
たくさん集まった時に大きな絵が描写されている点描画の点を、ひとつひとつ打っていくような気持ちで毎回毎回書いている。
いつか僕の投稿だけじゃなく、他の平均化訓練に取り組む人達が様々な場所に記事を書き、大きな絵が描けるとして、その一部分となれたら何よりだ。
そうでも思っていなければ書いていられない。

しかし、それが叶ったところで「平均化訓練」なんて関心の無い人にとってみれば、僕の投稿などまったく無意味なものだろう。

まあ、でもそれでいいのだ。
意味も価値もまだなく、この先もそのままかもしれない。
世界はそんな無意味に見えるもの、自分に関わりなのないもので満ち溢れている。
それがそこにある。
それだけで世界は厚みを増す。
そしてその厚みに触れた時、僕達の感性はみずみずしさを取り戻す。
何も意味がないようで、存在意義はあるじゃあないか。

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