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勇気先生がショックで熱を出して寝込んだ将棋

棋譜並べをしようと思う。ただ勉強のためだと私はきっと続かない。だから何かエピソードがあるものをやりたいと思う。

第一弾の今日は

2016年8月31日 
第28期竜王戦挑戦者決定三番勝負第2局 
渡辺明棋王 対 永瀬拓矢六段

を並べる。


熱を出して寝込んだ将棋

この対局は新聞解説として訪れていた佐々木勇気五段が永瀬先生の終盤力を見て置いていかれるとショックを受けて翌日熱を出して寝込んだ将棋だ。

……そんなことある?

漫画みたいなあまりにも熱いエピソードだ。3月のライオンにありそう。この話は

こちらに掲載されている。勇気先生が丸々1ページ永瀬先生について語っていてとてもおもしろいのでぜひ。
さて、そんな熱を出して寝込むほどショックを受けた終盤とはどのようなものなのか。竜王戦中継サイトで棋譜が見られるので見つつ棋譜並べをしたいと思う。

棋譜はこちら

※他の記事を読んでくださった方はご存じかもしれませんが私はウォーズ2級でプロの将棋には到底ついていけません。温かい目でご覧いただけたらと思います。


棋譜並べしてみた

以下、並べながらメモしたことを書いていく。


戦型は矢倉。

20手目△3三銀で急戦の可能性はなくなった。じっくりとした駒組み。

29手目▲4六角、棋譜コメに脇システムになったとあったのでウィキペディアで見たら

相矢倉戦の序盤、後手△6四角に対して、先手も▲4六角と角をぶつけ、角同士を睨み合わせたまま、先後ほぼ同形で駒組みを進める。

とあった。なるほど。脇システムは棒銀しやすいって見て盤面見たらたしかにそうだなって。というか現状だと棒銀にしないと桂馬が使えないのか。角交換すれば別だけど。

40手目△4二角はへえーって感じ。撤退に見えちゃったけど直前の端歩受けた手を後悔させる手なのか。

44手目△9二飛ってやりたい手ではない気がしちゃうな。必要な手なんだろうけど。
この辺のやりとり、自分のやりたい攻めをやるために準備したり傷を消しといたり当たり前だけど攻めも受けも考えながらって感じでプロすごいなぁって。すごく駆け引きがありそうな感じは伝わる。

49手目▲7九玉、私なんかは囲ったら囲ったままにしときたいと思っちゃうけど展開によっては「戻る」ってことも普通にあるんだよなぁ。この感覚は身につけていかなければ。この時点で消費時間は渡辺先生45分、永瀬先生2時間。差がついてる。

52手目△4五歩で前例と離れる。棋譜コメ見て納得。いい手なんだなぁ。

56手目△9六歩で先手はもう歩を渡せなくなったのか。おもしろいなぁ。

72手目△4七歩、勇気先生は後手自信なしと見てる。

86手目△8六歩、銀取りを手抜いて歩の突き捨て。このタイミングで!

88手目△8五桂打、この手が激痛なんだなぁ。タダのところだけど歩で取ると飛車が素通しで危ないから取れない。勇気先生はこの手を読んでいたけど「先手がよくなりそう」という見解。しかし検討を進めていくと後手勝ちの結論になる。勇気先生はここで自分と永瀬先生の差を感じたかもしれない。

95手目の棋譜コメで80手目△3三桂からノータイムだったってあってひえー!ってなった。時間まで気にしてなかった……。読み筋通りに進んでたんだなぁ……。

104手目△6九角で渡辺先生投了。永瀬先生は80手目△3三桂から1分しか使ってない。相手の時間に考えられるとはいえ、読み切ってたんだなぁ……。

△8五桂打は渡辺先生は見えてなかったし勇気先生は見えてたけどそこまで厳しいとは思ってなかった。永瀬先生は読み切ってて鮮やかに即詰みに討ち取った。じりじりした中盤戦から銀取りを手抜いての速攻が決まった感じ。あっと言う間に永瀬先生が良くなったというか良い悪いの前にもう寄せ切ったというか。すごかった……。


観戦記を読んでみた

読売新聞2015年10月14日~21日にこの対局の観戦記が載っている。私は取り寄せて読んだ。取り寄せる方法はこちらの記事をどうぞ→過去の新聞観戦記を読む方法

観戦記って並べたあとに読むとこんなにおもしろいんだなぁ。将棋の内容とか流れが残ってるうちに読むとおもしろい。44手目△9二飛は前例はすべて負けてるけど選んだんだから前例を覆す用意があるとか。なるほどー。
もっとも並べなくて普通に読んでもこの観戦記はおもしろい観戦記だと思いますが。渡辺先生のエピソードも永瀬先生のエピソードもいいのよなー。特に永瀬先生の「攻めの意識」の話は永瀬将棋を考える上で大きなものだと思う。この対局は永瀬将棋の歴史を考える上でもかなり大きな対局だったんだな。

観戦記の中で永瀬先生は
「攻めないと勝てない」「(攻めの感覚を)少しでも身につけていきたい」と語った。そしてこの対局、86手目△8六歩と銀取りを手抜いて歩の突き捨てを入れた。そして88手目△8五桂打。攻めたのである。「以前の自分なら受けに回っていたかもしれない」と永瀬先生は言う。受けから攻めへ。この将棋は永瀬将棋の一つの革命の将棋だったのだ。

(もちろん急激に攻め将棋になったとかそういうわけではないのは一応断っておく)


勇気先生がショックを受けた背景

さて、すごい将棋であり、永瀬先生の革命の将棋であるのだから、勇気先生が熱を出して寝込むというのもだんだんわかってきましたね。さらに当時の勇気先生と永瀬先生を振り返って考えてみたい。

2015年といえば電王戦FINALがあった年だ。この電王戦FINALの前と後で大きく変わる。勇気先生はNHK将棋講座 2015年11 月号の中で

佐々木四段、永瀬五段のときから電王戦の前までは毎週土日に蒲田道場で会っていました。

と書いている。有名な月8VSは電王戦より前に行われていたことがわかる。そして電王戦後は勝又先生の観戦記の中でこんな会話をしていたことがわかる。

「今度指す日いつにする?」「じゃあ持ち時間3時間で」「長すぎでしょ」「毎日Seleneと5時間の将棋指していたから1時間じゃ短すぎて」「せめて2時間にして」「ユーキも、もっと考えないと」

これを見たら「ああ、VS再開したんだな」と思いそうなところだけど(私も思ってた)、どうやらそうではないらしいのである。

永瀬先生「(勇気先生とのVSをやめたのは)電王戦を機になんとなく。深い理由はないです」「他の研究会では指すし会ったら話すので仲が悪いわけではない(笑)」(15年12月 ニコ生にて)
勇気先生「私が強くなれば永瀬さんとのVSも復活するはずです。そのためにも、もっと頑張らないといけません」(15年12月 NHK将棋講座 2015年12月号

VSは再開されなかったのである。

月8VSからいきなり0へ。研究会では指してたとはいえ月8VSの頃と比べるとお互いの将棋への理解度は下がっていたのではないだろうか。

そして観戦記の項目で述べたとおり、この対局は革命の対局なのである。攻めを強く意識し実行して見事に決まった対局。勇気先生からしたらこんな永瀬先生は知らないわけで、自分の知らないうちに棋風を改造してこんなに強くなっている、置いていかれる、という気持ちがあったのではないだろうか。熱を出して寝込んだのも頷ける。


いやー、将棋の内容もおもしろければ背景もドラマがあっておもしろい対局でした。

(ちなみに勇気先生と永瀬先生のVSは2016年には復活したようです。この影には横歩取り勇気流の存在があるのでは?と私は考えているのですがここでは語らないことにします)

読んでいただきありがとうございました!
これからもエピソード×棋譜並べの記事は書く……かもしれないし書かないかもしれない……(でも棋譜並べはやっていこう)。




おまけ。イメージのイラスト。

5ショック

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