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「死」を「終わり」をどう受け止めるか ―Mr.Children「SOUNDTRACKS」感想—

noteにMr.Childrenのことを書くのは初めてなのでちょっとした自己紹介しときます。2004年に「掌」を聴いてファンになりました。なのでファン歴16年。ファンクラブ会員です。コンサートも何度か行ってます。最近好きな曲は「皮膚呼吸」。

「死の匂い」が強いアルバム

Mr.Childrenの20枚目のオリジナルアルバム「SOUNDTRACKS」が2020年12月2日にリリースされた。私は1日前にフラゲした。これがとんでもない衝撃作だった。どこか「深海」に似ている。

「深海」と「SOUNDTRACKS」に共通しているもの、それは「死の匂い」である。

初めて通して聴いたとき、このアルバムは「強烈に死を意識させることにより強烈に生を意識させるアルバムなのだ」と思った。

人によって、また体調によっては「強烈な死の匂い」だけを感じて気分が沈んでしまうかもしれない。気軽に人に薦められるアルバムではないなと思った。薦めるときには「体調が良いときに、覚悟して聴いてね」と一言付け足さなければならないなと。


全曲感想

一曲ずつ感想、そして考察とも言えない考察を書いていく。

1.DANCING SHOES
一曲目重いパターンだ!と歓喜した。音もメロディも歌い方もかっこよすぎてこれだからミスチルは!(歓喜)という感じ。「四半世紀やってりゃ色々ある」という歌詞を聴いて「これはMr.Childrenの歌なのか!」と鳥肌が立った。
この曲では「We were born to be free」、自由になるために生まれたとある。しかし鎖につながれていたり両足に負荷をかせられていたり自由に生きられていない。現実はそんなものだ。けれどそのままでdancing shoesを履いて「踊れるか? 転んだってまだステップを踏め!」と力強く励ましている。曲調は重いが暗い曲ではない。

2.Brand new planet
「DANCING SHOES」は「転んだってまだステップを踏め!」と言い、最後は「Do it!!」と力強く何度も繰り返されて終わった。そしてこの「Brand new planet」の最初の歌詞は「立ち止まったら そこで何か 終わってしまうって走り続けた」。つながっていると思った。このアルバムには流れがある。それこそ「深海」のようなアルバム全部で1曲と思えるようなところがある。
この曲も「Mr.Childrenの歌」である。普通に聴いても素晴らしくいい曲だし「Mr.Childrenの歌」として聴いたらまたちがった感動がある。この曲はとにかく音が、メロディが気持ちいい。サビの開けた感じ。桜井さんの伸びる声が気持ちいい。家で自分で歌ってみても気持ちいい。
「消えかけの可能星を見つけに行こう」歌詞はとても前向きだ。この曲のシチュエーションは夜空を見上げて星を見ているというものだ。そこに点滅してる飛行機が通る。歌詞の「可能性」を「可能星」という表記をするセンスが大好き。このシチュエーションだからしっくりくる。夜の暗闇の中で光ってる星を見たからこそ「可能星」を感じたのだ。「消えかけの可能星」というのは遠くてよく見えない星かもしれない。また元々明るくない星かもしれない。そのまま、消えてしまいそうな星のことかもしれない。けれどそれは確かにある可能性だ。それを見つけに行こうという前向きな曲。励まされる。
前向きな曲なのだが、ただCメロは初めて聴いたときに「え……?」と思った。「さようならを告げる詩 この世に捧げながら」。「え……?死ぬの……?」と思った。胸がざわっとした。何度も聴いてこれは「通り雨」の「生まれた瞬間から ゆっくりと死んでゆく」と同じ意味じゃないかと思ってやっと自分の中で納得がいった。しかしドキッとするね、いきなり死を匂わせられると。

3.turn over?
かわいい曲だ。初期感がいい。「Brand new planet」で夜だったのが「turn over?」では朝に変わってるというのもいい。聴きながらにこにこしてしまう。「叫びたいくらいだダーリン」が好き。Mr.Childrenのダーリン呼び好き。「名もなき詩」とか「しるし」とか。

4.君と重ねたモノローグ
この曲順はどう解釈すればいいのだろうか。「turn over?」の若々しさと比べたら「君と重ねたモノローグ」は非常に落ち着いている。このアルバムには流れがある。とすると、「turn over?」と同じ登場人物と考えていいだろうか。
2番Aメロでリアルな「老い」を感じさせるところはドキッとする。
「君は僕の永遠」は「turn over?」の「forever love」と重なるかな。
しかしいい曲だなぁ。モノローグ(=独白、独白劇、一人芝居)を重ねたっていうのがいいよなぁ。人は結局一人で、でもそれを誰かと重ねることはできる。「君と重ねたモノローグ」というのはすなわち自分の人生のことなんだな。君と重ねた独白劇(人生)。アウトロは今までの楽しかった思い出を振り返っているのだと思う。劇のエンディングで舞台上で主人公一人が軽やかに踊ってるイメージだ。「僕の人生は喜劇だった」みたいな独白が流れて。そして最後踊り終わるのだ。

5.losstime
サッカーじゃないやんけ。こう思ったのは私だけじゃないだろう。桜井さんでlosstimeって言ったらサッカーだと思うじゃんね。ちがったね……。
loss、timeなのか……。聴きながらすごくドキドキした。こわいと思った。こんなにも直接的に死を表現した曲があっただろうか。音の不思議な感じ。間奏の口笛が不気味さを増す。流れを考えると「君と重ねたモノローグ」の主人公は踊り終わって幸せなまま死んだのではないかと思ってしまう。
この曲の主人公は誰なんだろうか。誰の視点かはっきりわからなくてそれもまた不思議でこわい。いろんな方の解釈も聞いてみたいところだ。

6.Documentary film
この曲は生きている曲だ。「終わり」(=「死」)を意識しながらも生きている曲。生きていく曲。メメント・モリという言葉を思い出した。もしこのアルバムのコンサートがあったらどこかで「花 -Mémento-Mori-」が歌われてたんじゃないかなぁ。
美しいメロディ。美しいサウンド。震える声、掠れる声。ものすごい表現力だ。この曲の世界に飲みこまれる。

7.Birthday
目が覚める。「Documentary film」の世界から現実へと戻る。なんだこの曲は。この曲を私は知らない。いや、知らないはずはない。CDを購入して何度も何度も聴いた曲だ。それなのにこの流れで聴くと今までと全くちがって聴こえる。この流れで「Birthday」はすごい。新しさを感じた。生まれたのだと思った。アルバムの死の流れのリセット。新しく始まる命。「Birthday」の歌詞を読むと主人公は生きて歳を重ねていっていることがわかる。「シャボン玉が食らったように」シャボン玉をするのは幼少期、「歴史なんかを学ぶより」歴史を学ぶのは学生、「期待された答えを吐き散らかして」これは大人になったからできることだ。
「消えない小さな炎をひとつひとつ増やしながら」これはバースデーケーキのろうそくとかけているのだろう。歳を重ねることをこのように表現している。生きていくのだ。
今までの流れがあってそれで生きていこうって歌だからこんなに切実で必死な歌い方なんだな、と思った。「Brand new planet」みたいな気持ちいい歌い方じゃなく。
駆けてる足音のような鼓動のようなドラムがたまらんね。

8.others
この曲は生々しい「生」だ。主人公は「アンドロイドが感情なんかなく ただ互いのエネルギーを吸い合うように」と冷めた目で自分と相手の関係を見ている。それでもアンドロイドなんかではない感情の動きを音楽が伝えている。「君の指に触れ くちびるに触れ 時間が止まった」恋しているからだ。複雑な関係の自分と相手。アウトロで言葉にならない想いがあふれていく。激しい想い。抑えきれない想い。それが最後の最後、穏やかなものになる。穏やかになったのは恋の成就か諦めか。前者であってほしいと思うが。
個人的に曲も歌詞もすごく好き。

9.The song of praise
この曲も今までとちがって聴こえる。以前から優しいあたたかな光を感じていたがアルバムの流れで聴くとその光が何倍にも感じられた。強い光ではなくてあくまで優しいあたたかな光。聴いてて泣きそうになる。いろんなことがあってそれでも「讃える歌」なんだな。Cメロは「これだけは絶対に伝えたい、どうしても伝えたい」という必死さを感じてそれがとても優しくてうれしい。

10.memories
正直、「The song of praise」でこのアルバムが終わるのならばコンセプトアルバムとして分かりやすいし完璧だと思った。だからどんな曲が来るのかドキドキしていた。イントロで「ん……?」と思った。悲しい雰囲気。歌詞を聴いて、息をのんだ。これは、死の匂いに戻っているじゃないか。「Birthday」でリセットして生きていくことを讃えたのに。「前向きに生きていこう」と思って終われたはずなのに。混乱した。どうしてこの曲を最後に持ってきたんだろう。この曲に流れる濃い死の匂い。喜劇の舞台で踊っているようなメロディで歌われる「僕だけが幕を下ろせないストーリー」。
「生きていくしかない」。それが答えなのだろうか。ここでふと思った。このアルバムはループものではないのかと。大切な人を失って悲しくてつらくてたまらなくてそれでも生きていくしかない。舞台の上で踊り続けるしかない。それはdancing shoesにつながるのではないだろうか。
ああ、ちがうかもしれない。思い出があるから「生きていける」のだろうか。愛おしい気持ちを抱えたまま美しすぎる記憶を手繰り寄せながら生きる。それはある意味幸せなことなのだろうか。いわゆるメリーバッドエンド?


解釈の乖離

このアルバムは何をどう伝えたかったのだろう。一人じゃわからない。作り手本人のインタビューを聞くのが一番だ。

映像作品「MINE」やロキノン等のインタビューを見て、解釈の乖離に驚いた。私はMr.Childrenは死を強調させることにより生を強調させるという大きなこと、とんでもないことをしでかしたと思った。それは意図的にそうしたのだろうと。そうではなかった。作り手としてとてもフラットだったのだ。

―「終わり」を受け入れること。死の匂いを強調することも排除することもせずそのまま封じ込めたこと。それは穏やかで静かな日常だということ。

インタビューを見て、私は拡大解釈をしていたのか、見当違いのことを考えていたのか、と一人赤面した。


死を受け入れるために生きていく

「終わり」も「死」も日常の中に当たり前にあるものとして私もフラットに受け入れるべきなんじゃないかと思った。そして再びアルバムを聴いた。

……うーん、フラットに受け入れることは、やっぱり、むずかしいなぁ。

初めて聴いたとき大きな衝撃を受けたし、あらためて聴いてもやっぱりドキッとする。息をのんでしまう。私はまだ「死」に対して身構えてしまう。

考え方の差だろうか。私は自分が未熟であることをよく感じる。私の未熟さが一つあるとして、その上で歳月によるものもあるだろうか。私はMr.Childrenのみんなほど生きていない。そしてMr.Childrenは今だからできたものだと言っている。

今のMr.Childrenのみんなの年齢まで、あと、約20年か、と思う。20年後にこのアルバムを聴いたらどう感じるだろう。私は「終わり」を「死」をフラットに受け入れることができるようになっているだろうか。20年か……長いな……。何をどうして生きていこうか。


いつの間にか、生きることについて考えていた。


(死を受け入れるために生きていく)




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