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辻村深月『傲慢と善良』書評 「婚活」を通じて描かれる社会のリアル

■ミステリ/恋愛小説の皮を被った小説

 辻村深月の著作『傲慢と善良』の大筋はこうだ。 マッチングアプリで出会い、婚約した架(かける)と真実(まみ)。ところが、ストーカーに遭っていた真実は、ある日忽然と姿を消し、失踪してしまう。事件の手がかりを得るべく、架は彼女の故郷である群馬へ乗り込む。

 この小説は、大枠としてはミステリ+恋愛(婚活)と言ったエンターテイメント小説という体裁を取っている。しかし、この作品は、物語を通じて、社会のある部分の姿を浮かび上がらせた、日本社会論だ。 

■婚活という格付け市場

 架は真実の故郷で、これまで真実が婚活で関わってきた人たちと出会う。結婚相談所を運営する妙齢の女性や、真実とお見合いしたが、「ピンとこない」がゆえに真実に断られた男性…

 これらの人々とのやり取りを通じて描かれるのは、婚活で行われる「格付け」という行為の数々である。

 相手の容姿、コミュ力、年収、仕事…相手を値踏みして、自分に見合った人間なのかを査定する。自分と釣り合わないと思った人間に対しては、ある種の残酷さを持って、相手の存在を自分の中からなかったことにする。

■「格付け」というリアル

 この物語で描かれるのは「婚活」という場面における「格付け」であるが、このような行為は社会の至る所で行われているだろう。

 学校の教室の中で行われる「スクールカースト」、大人になったら、家柄や働いている仕事の内容などで他人を格付けする。 相手が自分より下だと思えば、マウンティグしたり相手を見下し、自分より上だと思えば、勝手に相手に対して気後れする。

 このような日本社会の至る所で行われている「格付け」は、この社会のリアルな姿ではないだろうか。 

■「従順さ」という「善良」

 先で述べた「格付け」が、この本のタイトルの「傲慢」であるとするならば、もう一つの「善良」とはなにか。それは、「従順さ」である。

 この物語のもう一人の主人公、真実は幼い頃から母親の言うことに、なんでも従って生きてきた。学校も、仕事も、そして婚活の相手選びも、母親の言うことに唯々諾々と従ってきたのである。  そんな彼女は自分の意志や基準というものがなかった。自分で何かを選択したり、判断したりする経験が圧倒的に欠けていたのである。要するに何かを決定したり、考えるための「自分がない」のだ。

 この「自分(の価値基準)がない」という状態は、真実ほど極端ではないにしても、この日本社会で生きていく人の多くに当てはまるものではないだろうか。作中でも「自分があると言える人間が、一体どれだけいるのか」と言及されている。 自分の価値ではなく、世間の価値やマジョリティの価値、そういったものを拠り所として生きている人が多数だろう。

■社会の姿を描き出す「文学」の役割

 この『傲慢と善良』という物語は婚活小説という枠組みを通じて、「格付け」「自分がない」という、日本に生きる人々の、ある種のリアルや生きにくさを描いた作品と言える。

 この2つは、どちらもこの社会で生きている限り、誰しもが逃れられない人間の性だ。この作品で筆者は、エンターテイメント小説という手段を通じて、日本社会の姿を描き出したのである。これはまさに文学が担える役割と言えるだろう。

 その意味において、この作品は真っ当な文学作品だった

 


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