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薄明の中で


トワイライト

まだ聞かせて 下らない話を
根も葉もない 自信に満ちた声を
もっと教えて 僕の知らない世界を
すぐ忘れそうな しがない事も全部

外はもう冬が来て 音の無い世界だね
あなたがいてくれたら 何処へでも行けるのに

まだ居させて 例えばこんな夜は
ちょっとうろ覚えの 好きな歌を歌うから
そっと寄り添って 月明かりに照らされ
沈んでいく街を いつまでも見ていたいの

だけどもう宵は明け 闇は晴れてしまうね
あなたが居ないなら ひとり暁光を待つよ
木々はもう燃え尽きて 街は雪に閉ざされ
明日が来ないなら 当てない旅にでも出ようか

きっと分かっている このまま朝が来て
光が降り注げど そこには何も無いと

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極夜行を投稿してから10ヶ月ほど経った。雪は解け花が咲き、夕立が去って花火が上がり、そしてまた寒い季節が顔を出そうとしている。自分がどうあろうが、何をしていようが、季節は巡ってそのうちまた雪が降りだす。

カーテンレールや極夜行は春だったり朝だったり、そういう全てが報われて全肯定される何かを期待して待っているような気持ちでいたけど、なんかそんなもん無いのかな、みたいに思い始めて、そういう曲になりました。でもそれって絶望だけじゃなくて、希望にもなり得ると思います。元気なスティールパンとかからそういう少しの光をなんとなく感じ取れる(気がする)。±0では笑顔で包丁を握って、今回は無表情で車を燃やしたけど、この狂気性というか暴力みたいなのは案外ポジティブな感情からきてるような気がしています。一旦全部ぶっ壊そう、何もかも燃やそう、そうしてまた一から始めようぜ。みたいな。いや、違うかも。

ずっと独りで家にいると頭が狂っちゃうので、今年はかなり頻繁に車で温泉に行ったりラーメンを食べに行ったりしてました。一人で。久しぶりに絵を描いたら車がおもったより上手に描けてびっくりしたけど、もしかしたらそのおかげなのかも。こういう何もしてなくても上達してるみたいなことは割とあると思ってて、それはつまり会話や料理やテレビや本や音楽や、そういう何でもない生活が全部インプットとして自分の中に蓄積されてるってことなんじゃないかな~とか考えたり。もちろんそこに甘えて手を動かさないのは違うけど、普通に生活してるだけでも得ているものは実は沢山あって、自分でも気づかない間に自分は(多かれ少なかれ)変わっているんだと思うと、なんかそれだけで生きるモチベーションになり得るような気がする。

なんかつい最近年越しそばを食べたような、桜を見たような、そんな気がしていたのに、いつの間にか10月になってました。もうすぐ鍋がおいしい季節になりそう。白菜安くなってくれ~。こうやってこの先も季節が巡っていくんだろうな。あんまり未来に託し過ぎないで、今日とか明日が何てことない良い日であることに意識を向けるべきなんだろうな。ゴミを捨てるために外に出たら月や星がとても綺麗でした。写真を撮ったけど送る人がいませんでした。来年とかには送る人がいることを願うばかりです(未来に託しすぎ)。