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1.優しさと葛藤の書き手「香蔦一伽」さん #届ける座敷童子



見たものに幸運を届けると伝えられている「座敷童子」。

noteという街のとっての座敷童子になりたくて、今回はこっそり香嶌一伽さんのところへお邪魔してきました。



書き手の魅力3選


わたしが読ませてもらった記事の中から、ぐっときた魅力的な記事を3つ紹介させてください。


きゆかさんの#聞いてよ20歳 の企画に寄せて書かれている作品。20歳だった頃の自分の話を交えながら、こう綴っています。

人生に無駄なんてないとか、そういう大きなことではなくて。その時々で、自分ができる精一杯をきっとやってきたはずで、学んだことも感じたことも、わたしの中に色んな形で残っている。それを今は失くしたくないなと思えるから。

「将来に生きてくるから」とか「いつか役に立つから」ではなく、今の自分が「失くしたくない」と思えること。それが「人生に無駄なんてない」という言葉に起点になっていることが、すごく優しくて、自立した考え方だと思いました。

「将来」も「いつか」も、自分ではなく「未来の自分」に託す言葉。それも充分に美しいけれど、「今」そのときの自分がどう感じて何を思っているかも大事だよね、と語りかけられているような気がします。

自分が20歳のとき、数え切れないほどの不安があった。楽しいこともたくさんあったけど、まだ見ぬ就活という大きな壁、実家を出るかどうかという問題、慣れ親しんだ地・友人たちと離れること、それらすべてが漠然とした「将来」や「いつか」への不安だった。だから20歳のわたしは、未来の自分を素敵に描くことなんてできなくて途方に暮れていた時期もあった。

だから一伽さんの考え方はその当時の自分の不安に寄り添ってもらうようで、未来ではなく「今」を思うことを許されているようで、わたしはとても安心してしまいました。


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一伽さんがゆっくりと自分の思いを綴ったエッセイ。この中の一文に、心を打ち抜かれたような衝撃がしました。

泣くことに対して「なぜ」と聞くから、泣き顔を見せることもなくなった。泣く理由ってひとつじゃないからね。それを説明すると彼は、そのいくつもある理由の説明を求めるから、言えないことも出てきてしまう。

自分の気持ちのゆく先に「泣く」という行為がある人も多いのではないでしょうか。わたしもそうです。

でも「そうじゃない人」も世の中にはたくさんいて、行動と思いのつながりを言語化して説明しなければならない場面も少なからずある。そんなときにいつも思うのは「感動的な映画で泣くように、涙の理由がひとつならいいのに」ということ。

人の行動原理はすごく単純なように見えて、実は意識的な部分と無意識的な部分が重なり合ってできていると思う。「○○だからこう」なんて数学みたいにはいかない。いくつもの複合的な要素が涙の理由に占めるパーセンテージに振り分けられ、さらにそれがメーターを振り切ったときに一粒ずつこぼれていく。だから簡単に説明なんてできない。

説明できないことは、自分でも苦しい。苦しいからしだいに泣かなくなって、言わなくなって、そうして表に出せない感情だけが折り重なって溜まっていく。

この言葉の中に生きているのは一伽さんであり、わたしであり、あなたかもしれない。

誰かの素直な言葉には、読む人の心を自然と自分自身と向き合わせる力があると思う。それを持っているのが一伽さんという書き手さんの文章だと感じます。


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最後に、一伽さんの書く物語について紹介させてください。

わたしの思うnoteという街のいいところのひとつに、「ひとりの書き手さんのエッセイと小説が地続きになっていること」があります。

本来「物語」は一度作家の手を離れれば、ひとつの独立したものとして読み手のもとに届く。そうやって物語が育って、大きくなって、更にたくさんの人のもとに届く。

だけどnoteにはひとりの書き手専用のページがあり、そこには物語だけでなくエッセイも、日記も同じように並んでる。だから「あのエッセイや日記を書いた人が、この小説を書いたのか」という読み方ができるのがひとつの醍醐味だと思う。

手を軽く振って、歩き出す。
振り返らない。
振り返って耕平さんが見ていてくれたら、わたしは新しい気持ちを見つけてしまうかもしれない。
見ていてくれなかったら、勝手にがっかりして帰り道が暗くなる。
だから、いつも振り返らないと決めている。

叫びたくなるような救いと、それでも止まない葛藤の物語。

「新しい気持ちを見つけてしまう」ことは許されない、でもそれがなかったら残念がる自分も見える。裏腹な気持ちが混在して、泣きたくなるような描写でした。

どうか「もっと自分を大切にして、幸せになって」と口を挟んでしまいたくなるような、そんな物語が読む人の心を離さない。

素直な気持ちの吐露が読む人の心に「ひとりじゃない」と語りかけてくれるようなエッセイ、それを書く一伽さんのつむぐ物語だからどうしたって感情移入してしまう。

その中にも自分自身を見て、そして一伽さんという人を見る。だから好きになってしまう。寄り添ってもらうだけじゃなくて、自分も誰かに寄り添いたいと思わせてくれる。

そういう強い衝動と暖かさがあるような気がしています。



ひとことで表すなら

香嶌一伽さんという書き手をあらわすなら「ねぇ、少し一緒に休もうよ」という言葉が浮かぶ。

ご本人がそういったわけではないけれど(もしかしたらどこかでおっしゃってるかもしれないけど)、彼女のエッセイや小説を読んでいるとまるでそう言われているような、また自分がそう言いたくなるような気持ちがする。

悩んでいる自分が孤独ではないと思える、同じ感情をもつ人の存在に救われる。そういう人とのつながりとか感情を分かち合うこととかが、一伽さんの書くものには精一杯に詰まっています。



香蔦一伽さんという魅力的な書き手の文章が、必要としているたくさんの人のもとに届きますように。



あとがきという名のファンレター


紹介は前段までで終わり、ここからはわたしから一伽さんへ向けた個人的なファンレターです。


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一伽さんがはじめて声をかけてくれたとき、わたしは心底嬉しかったんです。当時はあまりほかのnoterさんとのつながりもなくて、自分から話しかけることもできなくて、「きっとわたしとわたしの書くものには魅力がない」と思って、noteを続けていけるかすら不安でいました。

でも暖かく声をかけてくれる一伽さん、新しいことをはじめたときにそっと背中を押してくれた一伽さんがいてくれたから、ここまでやってこれたところがあります。本当です。

一伽さんはそうやってほかにもたくさんの人に優しさや暖かさをわけてくれて、それに救われている人が数え切れないほどたくさんいると思う。そのブレのない優しさが素敵だし、いつまでもそうあってほしいけど、やっぱり疲れてしまったときは誰かにあげた優しさの分だけゆっくり休んでほしいとも思う。

一伽さんにとってnoteという街がそういう場所のひとつであり続けたらいいな、そして今は辛く感じていることがひとつずつ「楽しい」とか「嬉しい」になっていくといいな。そう願えるのは、一伽さんがそれだけのものをわたしにくれたからです。

これから一伽さんがもっと自分らしくいられますように。





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