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その”可愛い”はおいくらですか?

トイストーリー4を見たことがあるだろうか。

未視聴の方にはぜひおすすめしたい映画なのでネタバレは控えるが、触りだけ話させてほしい。

ウッディーの持ち主・ボニーはちょっぴり人見知りな女の子。両親に連れられてはじめて幼稚園に行くのだが、誰も彼女と仲良くしてくれる子供はいない。今にも泣きそうになるボニーにウッディーがクレヨンやゴミ箱の廃材を持っていくと、彼女は先割れスプーンで人形を作った。それが新たなおもちゃ・フォーキーの誕生だった。

ボニーはどこへ行くにもフォーキーを連れて行ったし、いつも枕元に置いて眠った。彼女は持っているどんなおもちゃよりもフォーキーを大切にした。

………という感じのお話。実際はその様子を見るウッディーの心に芽生えるボニーを想う気持ち、一緒に遊んでもらえない切なさが胸にグッと来るのだが、今回話したいのはそこではない。

ボニーがゴミから作られたフォーキーを何よりも大事にしたってこと、ここにぜひ注目してもらいたい。たとえ一万円のぬいぐるみが目の前にあったとしても、彼女は迷わずフォーキーを選ぶだろう。自分で作ったはじめてのおもちゃで、幼稚園に一人取り残された寂しさを埋めてくれた大切な友達、ボニーにとってはただの先割れスプーンじゃないから。

あぁ、なんて可愛いのだろう。

世の中にはたくさんの可愛いものがある。だがひとたび無粋な見方をしてみれば、それぞれの可愛いにつけられた金銭的価値がピンキリであることにすぐ気づいてしまう。悲しいかな、大人になると大なり小なりそういう見方が身についてくるのだ。

ぬいぐるみ一つとってみても一万円を超える高額なものから、小学生の女の子のお小遣いでも買えるようなものまでたくさんある。良くも悪くも一つの明確な価値基準が、彼らの首には必ずかかっている。

わたしはもうぬいぐるみを親にねだるような歳ではないが、やっぱりぬいぐるみを見ると欲しくなることもある。特に丁寧に縫製され、触り心地抱き心地のよい上質な、それこそディズニーランドに置いてあるようなぬいぐるみはついついぎゅっとしてしまう。

大人が子供に与えたくなるような良質なおもちゃはおそらく値段に比例するし、知育面を満足させるような音が出たりするものもきっと金額が高いほどいいものだろう。

だけどね、これが可愛いものの面白いところ。値段の高い安いが”可愛い”に比例するわけではないのだ。

背中の紐を引けば音が出るおもちゃとして優秀なウッディーよりも、一円の価値もなかったフォーキーをボニーが選んだように、一万円のぬいぐるみよりも人の目を引くものがあったっておかしくはないのだ。”可愛い”に値段は関係ない。大切な物語があればそれで十分。

そう、100円ショップのぬいぐるみみたいにね。

そりゃあ使われている布地も、立体感も、抱き心地も、金額の張るものには敵わない。でもぜひ一度見てみてほしい。

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我が家に飾ってあるぬいぐるみ。100円ショップ出身だ。

たぶん恐竜だろうけど、だいぶファンシーに作られている。背中の突起が色鮮かで目に楽しい。ちょうど生後半年くらいの赤ちゃんほどの大きさで、大人が持つとぎゅっとするのに良いサイズ感。子供が持てば一緒に夢を見てくれる心強い友達。

これを可愛いと言わずになんと形容したらいいのか。

決して「100円ショップで売っているくせによくできている」なんて皮肉らしい可愛さを褒めているのではない。

値段は安くとも人の目を楽しませよう、喜んでもらおうという健気さ。高級ぬいぐるみほど特別感を持って購入されなくとも、買う人の日常に寄り添おうとするいじらしさ。それが彼らに縫い込まれた物語。温かい心意気。そう思ったら彼らをぎゅっとせずにはいられなくなる。

それが100円ショップぬいぐるみの”可愛い”の源。

ディズニーランドで買っても、町の100円ショップで買っても、ぬいぐるみはぬいぐるみ。価値は変わらないのだと教えてくれる。愛しかったらそれでいい、愛着が沸けばそれでいいのだ。

ただ一つ断っておかなければいけないのだが、このぬいぐるみは100円ショップで買ったが100円ではなかった。わたしの記憶が正しければ、確か0が一つ多かった。

なんて値段の話、”可愛い”の前ではどうでもいいことでしたね。







こちらの記事は#わたしの愛するかわいい のエッセイコンテストに参加しています。

最後になりますが、投稿に際してきちんと応募要項を満たしていなかったところをご丁寧にお声がけくださったimpress QuickBooks編集部様に感謝を*

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