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女の履歴を読む

「あたたかい玄の部屋に入って闇の中にたゆたっていると、ときどき、とろりとした甘い吐息が起るのをおぼえる。それをこらえながら私は知らず知らず襞のざわめきやそよぎに歳月を読もうとしている。女の閲歴をまさぐろうとしている。ここを通過していったにちがいない、少なくとも二人の男の事業の跡を知ろうとしている。」

開高健『夏の闇』の一節。この中の「歳月を読む」、「閲歴をまさぐる」が俺がよく話す「女読み」に通じる。

「女読み」の元は「馬読み」という言葉で、これはパドックで馬を見る名人の言葉だが、馬連1点勝負を見切る「馬読み」はひとつの憧れであった。

で、「女読み」は会ってから数秒くらいでどう責めるかを見極める技術。

技術といっても、長く業界人やってれば、それくらいは皆できるようになる。風俗嬢が客を読むように。こちらは「男読み」である。

問題は責めのバリエーションをどれだけ持っているか、それも現場はアダルトビデオという見世物の撮影であるから、ある程度はそういう配慮もしなくてはならず、そのへんがプライベートの女遊びとは異なる。

最近、「女読み」の技術は「見切る」技術だと考えるようになった。正しいかどうかよりも見切れたかどうか。見切れればゴールが決まり、打つ手も決まる。未来から逆に打ち筋が流れてくる。見切れないと立ち止まるしかない。正しさを求めての停滞は禁じ手だ。

では外れた場合どうするか。どうするもこうするもない。読んで失敗したのだから、それで仕方ない。潔さも「女読み」には必要だ。

上の開高健の文章は挿入しながらの「女読み」である。これもスリリングだ。たった1秒がすごい情報を発信してくる。研ぎ澄ませばゴムのあるなしは関係ない。ただ、読みつつもいつの間にか読めなくなるような女が己を陶酔に連れて行ってくれるのではないか。そっちの方がずっとスリリングだ。


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