「母は現役JW。未信者だった父の葬式、こうしました」#6
勧めはしないが、いちおう書いておく…
※この「#6」、とっくにアップしたつもりでいましたが、下書きのままでした……。今さらですが、アップしておきます。
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前回の「#5」にコメントをいただき(ありがとうございます)、その頃ちょうどこの「#6」を書きかけているところだったのだが、もしかするとJW的にはこれが究極の“埋葬”かもしれない……という、遺骨を「焼き切る」という方法がある。私は、初めて知ったときは、かなり衝撃だった。
と思うので、個人的には全然お勧めしたくはないが、JW的には、というか自分ではなく「家族がJWの人的には」ですかね、選択肢としては「あり」なのかもしれない。あとあと納骨方法で家族がもめるなら、いっそ……という考え方はあるだろうなとは思うので、書いておくことにする。
「焼き切る」という方法
私自身は「焼き切る」については事前には知らず、父の葬儀もすっかり終わって、樹木葬墓地のプレートが入るのを待っている時期に、なんだかぼんやりと、葬儀とか墓地とか相続とかの情報をネットで見ていた時期に知った。
火葬場で、「これより火葬いたします」と遺体が火葬炉に入れられて、終わったら遺族が火葬炉の前に呼ばれて、台に乗った遺骨が出てくる。それを拾って骨壺に収めて……っていう流れが当たり前だと思っていたが、実はこの、「骨だけが残るように、いい案配に焼く」というのは、かなりの技術なのだそうだ。
焼けなさすぎて肉とかも残ってたりとか(そそそれは、みみみ見たくない……)、逆に焼きすぎて骨が残らず遺族に渡せなかったりとか、どちらもマズイわけで、電子レンジみたいにスイッチを押して一定時間たったらいい具合に焼けましたぜっていうようなものでは全然なく、火葬場のスタッフが様子を見ながら焼いてくださってるんだそうだ。
すごいと思う。実に頭の下がるお仕事だと思う。
喉仏の骨が残っていないと、クレームがあったりもするらしい。元JW2世にはあまりピンとこない感覚だが、仏教では喉仏は人間の体の「仏」なので、とても大切なものだそうだ。だから喉仏を拾って骨壺に入れるのは、喪主の大事な役割らしい。喉仏が残らないのは焼き方のせいではないことも多いそうだが、一般的に、遺骨が全身きれいに残ることに遺族はこだわる。らしい。
気をつけて焼かないと骨が残らない……ってことは、「骨すら残さないように焼いてしまうのも可能」ってことだ。
これが「焼き切る」だ。骨も残らないくらい、火葬で完全に焼いてしまう、ということ。
正確にいうと、焼き切るといっても、粉みたいなものというか細かい灰というかみたいなものは、さすがに残る。でも、それも遺族が引き取らず、火葬場に最終の片付けまでゆだねてしまう、ということだ。
(また、もともとの風習として、「部分収骨」といって、遺族は主要な骨だけを拾って持ち帰り、後に残ったものは火葬場で処理をするのが普通だという地域もあるそうだ)
なお、この「焼き切る」は全国どこでもOKというわけではなく、自治体が許可しているところでないとできないそうだ。
冒頭でも書いたが、私は「焼き切る」という方法を初めて知ったときはショックだった。「さすがにそれはひどすぎやしないか……!」と。
SNSでも、この方法を取った人たちが、「お母さんはお父さんの骨をゴミにした。一生許さない」とか「骨くらいは拾ってお墓に入れてあげたかった」とか、激しく怒ったり悲しんだりしている声をけっこう見た。なので、気軽に勧めることはしない。
なお、明言しておくが、焼き切る方法を取った人を非難するつもりも一切ない。亡くなった人をどのように見送るかは遺された家族が決めればいいことだから、他人が口出しすることではない。
最初に父が倒れてから亡くなるまで9年もあったので徐々に心の準備はできていたし、私はもともと死後の世界や輪廻などを信じてない派なので葬儀やお墓に強いこだわりはないのだが、そんな私であっても、「お父さんは死んだんだなあ」ということを実感していくための時間と、“それがわかる物”って、やっぱり必要だったと思う。
「それがわかる物」っていうのは必ずしも遺骨ではないとは思うので、遺骨がなければダメだと言うつもりもない。父を海洋散骨しようかなと考えたこともあるし、私自身は死んだら散骨してもらうのがいいかなとか思っているくらいなので、遺骨にはあまりこだわりはない。
ただ、遺骨が手元にあって「さて、どうしよう。お墓に入れるか、散骨か」と考える時間がある状態と、考えるまでもなく遺骨自体がもともとないという状態では、心情的にだいぶ違うのではないかなと思う。
亡くなった本人が、生前から「焼き切ってほしい」と希望していたならそれはそれでいいかもしれないが、そうではなくて、遺族の誰かが他の遺族の気持ちを無視して焼き切ってしまうのは、かなり禍根が残るのではないかと……。
というわけで、最後にもう一度繰り返すが、私自身は「焼き切る」方法は勧めない。マジで勧めない。
ただ、家族にJWがいる場合、
・生前の本人が明確に望んでいた
・遺骨があるほうが、納骨の方法で無用にもめる原因になる
といった場合なら、選択肢としてはありかもしれない。
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以上、6回に亘り、つらつらと長くなりました。
これを書いている今日は、父が亡くなってから約1年半が経ちました。早いものです。
意外と、月日が経ってからこそ思うことやわかることもあるので、またなにかあれば書こうかなと思いますが、「未信者だった父の葬儀」の話は、ここでいったん区切りとしようと思います。
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