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人として生きる、大切な権利

私は、1969年(昭和44年)生まれなのですが、生まれたときから、テレビがありました。
また、両親ともにテレビが大好きなので、一部屋に一台、テレビがあるような生活でした。
さらに、食卓兼居間では、テレビが部屋の中心にあり、テレビを囲むように並んで座って食事をする、というような形になっていました。

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テレビが中心にあって食事をする、という形が当たり前になっていたのですが、子供心に、テレビが中心になっている家具の配置は、なぜなんだろうなー、と思っていました。

子供のころは、同級生たちの話題に乗り遅れないように番組を見たりしたこともありますし、コマーシャルの真似なども、みんなで面白がってやったりしました。

学校に行ってほぼ全員が同じ話題で盛り上がったり、ニュースなども、一つの話で統一されていたように思います。

変わった考えを持ったり、変わった行動などをしないように、など、親からよく言われたりしていたように思います。変な人だと思われては絶対にだめだ、とよく言われていました。

気が弱くて、自我も強い方ではないので、親に逆らうということもなく、素直に従っていましたが、それでも心の奥の方で、なんとなく違和感を感じていました。

みんなが同じことを考え、同じ情報を聞いてそれが正しいとなっている・・・

今は、インターネットが登場して、いろいろな情報が玉石混交な状態であふれています。

一つの情報に対しても、いろいろな意見を探して判断する、ということが可能です。

しかし、私の親世代になると、やはりどうしても、テレビが正しいと信じて疑いません。

私は、本当に小さい頃からテレビに囲まれて生活していました。毎日BGMがテレビの音です。

そんな毎日だし、周りを見回して、自分が人と比べて浮いてないかどうか、気にしないといけない、というような話を親から聞いて応じていた反面、物事のつじつまが合わないと思うと、抵抗感を強く感じていました。


いろいろな個性があるのが人間じゃないのか、人から変だと言われようが、理解されなかろうが、その人が好きだと思うことが、倫理観に逸脱していなければ、いいのではないか、と、強く思っていました。

親を尊敬する面もありますが、親世代のものの考え方に、とても違和感を感じていた部分があります。

世間をとても重んじるのは大切なことかもしれません。私は気が弱くて親に逆らえない方だったのですが、テレビを正しいと信じ込んだり、世間に白い目を向けられないように自分を作る、という考えは全く受け入れられませんでした。

テレビは嘘は言わない、とか、日本は政府が国民を守っている、と、私の親は信じています。金に目がくらんでおかしな政治家はいつの時代も存在してるけれども、日本の官僚などはとても優秀なので、国は滅びない、と思っています。庶民は難しいことを考えなくても、普通にしていれば、国がなんとかする、と思っています。

しかし、国やテレビは、ワクチンの問題一つとっても、真実を報道せず、嘘を言います。「厚労省のデータ改ざんを指摘した小島勢二教授によると、2021年4月~9月の半年間で、ワクチンを接種した高齢者のうち、約4万6130人が副反応によって死亡した可能性があるとのことです。」

また、報道も規制して、言論弾圧をしています。


選挙で投票するということは、国民の権利であり、公共の電波で、政党の党首が発言することを遮ったり制限したりすることは、民主主義を否定していることです。これを当たり前に日常的に行っている国が、隣にあり、また、日本に大量に移住しようとしています。

民主主義という言葉は、教科書に出てくる社会科の言葉だと、思考を停止させてしまっちゃいますか?小難しい言葉は、日常生活で語ると、嫌われやすいでしょうか?

そんな風に庶民を誘導してきたのも、テレビのお笑い番組だったり、バラエティー番組だったりします。

私の両親の前では、民主主義などという言葉はいえない空気があります。

今、日本のテレビやマスコミや政治、大学・学校、行政、大企業、芸能界などあらゆるところに、諜報・謀略のプロ集団、中国共産党が浸透しています。

RAPT理論+αサイトのニュースをぜひ読んで、一人一人が、日本を守ってほしいです。また、どのように考えて、生きて、本当の自分を見つけて生きていけるか、を見つけてほしいです。

シンプルに、善と悪を見分けて、シンプルに考えて、本当の実力をつけて行く方法までも教えてくださっています。


一人でも多くの人に、知ってほしいと、強く願っています。





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