調和(ハーモニー)

世の中には霊能力がある人がいて、霊を降ろしたり、会話したりするのをYouTubeとかTikTokなどでみることができる。そんな動画が不意に出てくると、つい見入ってしまう。非科学的だから信じない人も多いけども、わからないだけだから、わからないままの方が幸せなのだとは思う。下手に見えてしまったり、憑依される体質だと、社会生活に支障が出るからだ。

最近では、宏洋さんがイタコ芸をやる動画なんかもいくつか見たが、たまに隆法さんが降りているっぽいことはあるなと思いつつ、ああいうのは寿命を縮めるからやめた方が良いとは思った。
自分の身体を他人に貸せば、自分の本来の魂が抜けてしまいやすくなると考えるのが普通だ。きっと隆法さんも、やりすぎたのだと思う。
役者さんで早逝する人も結構いるが、それも同じ理由だろう。自分を明け渡して何かを降ろすということは、本来の自分が抜けやすくなってしまうのだろうと思う。結局は自己責任だけども、その危険性の認識はあって良いと思う。

調和がそこにあるかないか

霊的な世界は、いつも危険とうらはらで、だからこそ、その技法なんかは隠されていて、誰もが習えるものではない。そもそも日本の歴史をみると、調伏とかポピュラーにみんなやりまくっていた。今の常識では荒唐無稽に見えるだけで、現代人がその知識を捨ててしまっただけなのだろうと思う。
けれど、そんな呪術で願望を叶えようとしても、きっと幸せにはなれなかったはずだ。何故かというと、そこに「調和」がないからである。

サンリオの世界がいつも素晴らしいな、と思うのは、そこに「調和」が表現されているからだ。ハーモニーランドは、まさにその名の通りの場所である。
誰かをやっつけたり、争ったり、悪口を言うところには調和はない。いくら正しいことであってもそうだ。勝ち負けが決する争いがあるとき、負けた側にだって当然その人なりの「正義」がある。正義というのはそういうものだ。だから、相手を認め、自分も認められることで実現される調和=「みんな仲良く」がメッセージとして乗っている限り、それは霊的にみても、清い十分に世界であると言えるだろう。逆にいうと、調和がとれていない霊的な世界は大変危険なもので、訴訟にまみれていたり、トラブルを抱えている宗教団体が危険であるのは、常識と一致する。

ピューロランドはある種の神社

私は神社が好きなので、よく参拝に行く。神社は「浄・明・正・直」を大事にしている。とにかく、清潔であることを重んじ、ケガレを嫌う。ケガレというのは物理的なものだけでなく、人との諍いとか、悪口とか、あるいは欲望とかも含めてである。そういうケガレは神社に持ち込まないように、参拝者は注意しなければならない。
それで、気がついたのはピューロランドも同じだということである。そもそもが、そういうケガレを消してくれるように、雰囲気が作られてもいる。また、あの場所で、ショーを見て帰ると、神社に参拝したときと同じように、心がスッと浄化される感覚がある。だからある種の神社だと勝手に思っている。
もうひとつ神社との共通点をいうと、動物が眷属であるということだ。有名なところでは、お稲荷さんはキツネ、出雲大社や住吉大社はウサギ、三峰神社はイヌ、伊勢神宮はニワトリとか、猫が眷属の神社もあるようで、いろんな眷属の動物が関係している。
ピューロランド・ハーモニーランドで出会うキャラクター達も、元々は動物である。神社に行けば、本殿からいろんな摂社・末社があるように、いろんなところでその動物達に出会うことができる。
会うことはできるけども、家に連れて帰ることはできないというのも一緒だ。持って帰れるのは、その分身のグッズ(神社ならお札・お守りなど)になるだろう。結局のところ、効能はだいたい一緒に思える。
さらに、ピューロランドの裏手には落合白山神社があるが、その本物のお守りだって、ピューロランドで買うことができる。

大事なのは自分を浄化すること

「七仏通誡偈」という、有名な偈文がある。

諸悪莫作 もろもろの悪をなすことなく
衆善奉行 もろもろの善をおこない
自浄其意 自らその心を浄くする
是諸仏教 これが諸仏の教えである

宗派によって、心を浄くすることの解釈やメソッドが違っているが、心を浄化させるということばにまとめられるのだろう。そのために八正道というのが仏教では説かれている。「七仏通誡偈」は元をたどるとダンマパダ(法句経)になるので、オリジナルのブッダに近い教えだ。

いろいろと、日常では嫌なことが起きることがある。そんなことを言う(する)あいつは、なんてひどいやつなんど、とか思うこともしばしば。でも、そういう考え方では、きっと幸せにはなれないのだろうと思う。いやそれは、きれいごとだというのもわかる。けども、誰かをワーーっと批難して、それで相手を凹ませたところどうなるか考えると、自分もそんなに気分が晴れるわけでもないと思う。だから「自らその心を浄くする」ことが大事になるわけだが、言葉の上ではわかってはいるけど、なかなかそのようにするのは簡単ではないと思う。でも、それができれば、きっと嫌なことも起こらなくなってくるのではないかとも思う。結局は自分の心が起こしている出来事をまわりまわって体験しているのだろうから。

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