図1

移住の話② パブリックのある家

ボクが移住した小さな港町は、漁業で栄えていた時代に建てられた船主さんの立派なお屋敷がたくさん残っています。その頃はこの町の商店街で船に関するもの全てが揃ったといいますから、私の事務所の前はさぞかし賑やかな通りだったのでしょう。

天然の良港と言われる場所は海が深いので背後に山が迫っていることが多いです。つまり人が住む場所が狭く坂が多くなります。ここに間口が狭い商店がひしめき合うわけですからぎゅうぎゅうです。町の道路側には「みせ」が並びその奥に「すまい」は建てられます。港町らしさとは駅前の商店街以上の密度であり、狭い土地につくられたぎりぎりの細さの急勾配の路地なのです。

更に言わせていただけば、船の維持管理で塗装するのが当たり前の「塗装文化」が存在し、木造住宅の下見板に何層も色を塗ってしまうのも港町らしさの一つだと思います。日本の農村集落の板張りの家はたいてい茶系で統一されているのに、世界中の港町がパステルカラーに塗られている点からも独自の「塗装文化」が存在するはずだと思っています。

ああ、話がそれてます。前回ニュータウンが苦手だと書きましたが、最大の不満が敷地境界線の内側は全てプライベート空間で誰も入ってはならないという空気感です。ボクだけがそう感じているのかもしれませんが、とにかく苦手です。

かつての商店街でパブリックのある家が当たり前だったこの地域(現在営業している商店は和菓子屋さんと釣具屋さんしかありません)には、当時の生活様式が今も残されています。数年前に廃業した電気屋の店舗部分は小さなサロンのようなスペースですし、漁協の婦人部だったおばあさんは料理をふるまうのが大好きです。私の事務所にチャイムを鳴らさずに入ってくる人はいつも地元の人です。

家の中にパブリックな場所を用意して、住民同士が共用する暮らしは偶然の出会いや出来事が頻発し、様々な情報や物品(主に生鮮食料品)が飛び交います。敷地境界線の内側の権利を主張する文化圏の方に、ここでの暮らしの豊かさを理解してほしいです。そして、敷地の内側(家の中でなくても構いません)に誰でも入っていい場所を設けて愉快に暮らしてほしいのです。

追記:
元旦の我が家には、あさ6時から10時半まで次々と来客がありました。神社のお札を取りに行けず、区長さんが届けてくれました。設計事務所は正月から港町のパブリックスペースです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?