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【聴講】オブジェクト指向インターフェースデザイン講義【3/5】

はじめに言っておきたいが、この note で「GUI の原則とパターン」の各論について具体的に触れるつもりはないので、ご了承願いたい。前回の「GUI の原則とパターン1」に引き続き、今回は「GUI の原則とパターン2」ということで、完全なる各論回である。つまり、この note 的には何もコメントすることがなく、私としては、ひたすら「原則とパターン」を実践するしかなさそうに思っているし、講義内容もそう捉えている。

……問題は、原則ないしパターンの数の圧倒的な多さである。それぞれは特定の個別具体的なケースから抽象化され、別のケースに適用することが想定されたある程度の一般性をもった法則の類だろうと思われる。いま講義中に用いられていたスライド(※大学が用いている Teams で閲覧できる。)について目視でカウントする限りだと、第2回のスライドで22個、第3回のスライドで43個の合計65個の法則が観測できる。とても多い。リアルタイムで聞いていると特にそう思うが、とてもじゃないがその場で覚えられる気がしないし、そもそも単純に覚えればいいようなものでもなさそうだ。最終的には使いこなせなければ意味がない。私は、司法試験受験生時代の「論証パターン」を思い出さずにはいられなかった。

ここで少し法律家業界について説明しておこう。法律家業界は法律を硬直的に適用する杓子定規な堅いイメージがあるかもしれないが、実際には、まったく逆である。定型化を極度に嫌う傾向さえ認められる。というのも、法律実務家が向き合うべき目の前の事案というのは、些末に見えるようなものも含めて、それぞれ当事者や関係者があり、それぞれに固有の人生や歴史があり、固有の人間関係があり、どれひとつとして同じものがない、と考えられているからである。むしろ、こうしたケース・バイ・ケースの考え方(たとえば、アドホック・バランシングや事実に基づくレンジの狭い経験的推論の積み重ねの志向)が強固に過ぎるため、先のわからない状況下でゴールから逆算したり、ケース別に仮説を立てて対策を立てたり、プロジェクトマネジメントや組織としての仕組み設計を行ったりすることにかけては、法律家は最も不得意な職業であるとさえいえる(マニュアル処理やシステム的処理を嫌悪するため、現在のところ、IT 領域では業界としておそるべき後進性を誇っている。)。これは、根本的には、彼・彼女らが生きる世界観が事後的な紛争解決=裁判に置かれているからである。

こうした法律家業界も、実利的要請の前ではスタンスを後退させざるを得ないこともある。特に、法曹であれば基本的に誰でも通過することが要求される司法試験においては、必ずしも「パターン化」は否定的に受け止められていない。すなわち、少なくとも私が受験生であった時の一般的な慣行というか基本的な試験対策においては、受験生は「論証パターン」と呼ばれるものを覚えて使いこなせるように訓練することがほぼマストであった。

「論証パターン」とは、簡単に言えば、特定の状況における問題を解決するために適用されるある種の法則性ないし定型的記述のことである。もともとは過去の具体的なケースにおける解決基準が抽象化されたものが多く、受験生は試験においてこれを別のケースである目の前の事案に適用してよいかどうか検討を行うことになる。ひとつひとつの法則性に対する理解はそこまで劇的に難しいわけではないが、数として膨大な量になり、こうした法則性をあらかじめ理解して暗記しておき、試験の場で適切な法則性を選択して具体的な事案への迅速な適用を行うようにすることが司法試験における最大の問題である。一般的には、試験問題は特定の法則性がそのまま使えないようになっているほか、複数の要素が組み合わされており、本質的な理解や応用力が問われる。「論証パターン」自体は極めて短い試験時間という特性に起因するものであり、もともとはこうした状況下で迅速に処理するためのツールであった。

受験生がこうしたパターン化された記述を理解して使いこなすにあたっては、その問題意識、目的、機能、根拠、射程、批判、他の規範・他分野との連絡関係を押さえておく必要がある。どういう事実関係があればどういった規範が妥当するのか、妥当しないケースはどういったものなのか……といったことを考えることになる。そういう意味では、実際のところ、法律家のロジックとは論理的な演繹的推論ではなく比較衡量の遡及的な正当化論証であると考えられており、デザインの世界で「アブダクション」と呼ばれる思考様式に近い。違いがあるとすれば、適用について言葉で表現するのか、造形するのか、とかではないだろうか。あるいは、法則性以前のレベル、根っこの部分の違いだろうか。

ここまでの記述で読者の皆様においては私の言いたいことがある程度ご想像されることと思われるが、デザインの世界で膨大な数のパターンが出てきた場合の学習については、法律家の学習方法を転用し、応用することが考えられる。造形という法学の世界にはない要素はあるが、基本的な考え方の線は変わらないはずである(そして物量戦であることも変わらないだろう……つら)。デザインの世界は総論や根本的な部分こそ多様であるが、各論レベルでは「パターン」や「法則」といった形である程度の規範化が進んでいる。もちろん、百戦錬磨のデザイナーや法則以前の本質的なものを重視するデザイナーであるほどドグマティックで硬直的な判断に陥ることに対しては警鐘を鳴らすはずであるが、私は造形技術自体に関しては「ほんの初心者」に過ぎない。こういう状況下では、とりあえず「真似ぶ」ほうが第一歩としてはいいのではないか。いや、こうした学び方には熱烈なアンチがいることは知っているが、まぁ最初のうちだけだし……

そういうわけで、デザインに関するパターンについても、問題意識、目的、機能、根拠、射程、誤用、批判、他の規範・他分野との連絡関係といった観点を持ち込み、具体的なケースについてあてはめていくかんじでいきたい。この仮説が奏功するかどうかはまったくわからない。大失敗したら笑ってほしい。ちなみに、あくまでも法律実務家的な思考回路からの話に過ぎないが、デザインの教科書の類でいつも不満に思うのは「パターン」をビジュアルで綺麗に見せてくれるが、上述のような適用上の注釈があまり存在しないことである。最近では良いケースと悪いケースは提示してもらえるが……。こうした見せ方はおそらくドグマ化を回避する意図があるからであろうし、教科書の執筆者がそもそも技法自体の限界問題にあまり興味がないからであろうと思われる。感覚的に嫌ならそのパターンを使わなければいいだけの話だからだ(法学の世界では嫌とはいえないんだなぁ……)。

えーっと、そういうわけで、つまり物量戦である(つらみ

(執筆:平塚翔太)

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