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100記事達成 noteを続けてみた感想

 前回の記事で100回達成したとnoteが親切に知らせてくれた。そういうことに気をかけない私ではあるが、それでも達成感を感じる。

 noteを始めた頃、三日坊主の私がどのくらい続けられるのかと、自分に対してたかをくくっていた。だが、意外な自分を発見。毎日更新は無理でも、週1ならやれると自分に言い聞かせた途端、自分の意志とは無関係にnoteに向かっていけ、100記事達成に辿りついた。

 そもそも私がnoteを始めた理由は、日本語作文の練習のためだった。詳細はこちらに↓。

 もともと、作文は得意ではない。そこにきて、長年の海外生活で日本語の感覚が鈍っているものだから、最初のほうの記事は、あまりに稚拙で、とても読めたものじゃない。だからといって、今、まともに書けているの?というと、そうではない;;「恥をしのぎながら」を通り越して、厚顔無恥レベル(笑)それでも、みなさんよりいただく「いいね」やコメントは、とても有難く、この上ない励み^^より良い文章を書こうと心を奮い立たせることができる。今回は、noteを続けた感想を、いくつかお話したいと思う。

横書きと縦書き

 noteは書くのも楽しいが、他のnoterさんの記事を読むのは、もっと楽しい。だが、この過程で自分の弱点を見つけることになろうとは。
 字面を追う。この無意識的な作業には、癖があるのかもしれないと気づいた。
 以前より横書きの文章は、何となく読みづらいと感じてはいたが、noteを始めてみて、はっきりと意識できた。横書きの文をササっと読むのが苦手なんだと。
 学生の頃、ハマって読んでいた小説はほとんど縦書き。だからか、目ん玉が下の方向に向かっていく習性があるよう。頭の回転が速くないことも加わり、横書きの文章を読むのに時間がかかってしまう。
 そんな理由で、フォローしている方の記事をひとつひとつ読むのが遅くなってしまっている。実は、もっと多くのnoterさんをフォローしたいが、残念なことに私のキャパシティが今のところいっぱいいっぱい。だが、noteを始めた1年前と比べると、横読みに慣れてはきている。「好きこそものの上手なれ」だ。

頭の中を点検できる場

 他のnoterさんたちの記事は、とても勉強になる。明瞭簡潔で面白い。伝えたいことがきちんと伝わる文章。noterさんのレベルの高さは以前から伝え聞いてはいたが、その中でコッソリとnoteを始めてみた。
 それまでは、他のブログにて韓国生活に関する記事を書いていたのだが、使いづらさを感じていた。新しく乗り換えたnoteは私にとっての無用な機能がなく、文章を書くことに集中できるのがとても良い。

 さて、普段外国語で暮らしている私にとって、日本語作文はとにかく楽しい。自分の気持ちや考えを心底から汲み上げ、思いっきり母国語で表せるという、この爽快感。なくてはならない存在である。
 と同時に、自分の頭の中が、いかに支離滅裂な状態なのか、気づかされる良い機会ともなった。書いているうちに、「この考えは筋道通ってないな。」と内省、書き直すのは毎度のこと。別視線でコメントをくださるnoterさんのお話は、とてもありがたい。ハっと気づかされること多々で、独りよがりだった考えを改めることもできる。道のりは遠いだろうが、いつか、私のnoteも伝えたいことがきちんと伝わる魅力的ものになればいいなと思う。

「私」という人間はどう見られているのか?

 自分のnoteを読み返すことは多い。公開後でも、なぜか気になり、再度読み返し、言葉の使い方などをチェックしてしまう。だが、その作業を繰り返すと、文章がおカタい感じになり「私らしさ」が無くなっていく感触も。その時の気分にまかせて、サラっと書いた方が、自分らしさが出ていて躍動感も感じられる。しかし、そうしてしまうと、脱線癖が出すぎてしまい、何を伝えたいのかよくわからないものに仕上がる。自分らしさを出しながら筋の通った文章を書くことの難しさ。

 ところで、私は、その人の文面から「この人、こういう人なのかな?」と、ついつい印象を持ってしまうことがある。他の方もそうなんだろうか?だとすれば、私の記事をいくつかお読みくださったnoterさんは、「私」にどういう印象を持っているんだろうか?そのおカタめで、ぎごちない文章から「えらそーだな」「クソ真面目だな」なんて思われてるんだろうか。
 リアル私は、自分でいうのもなんだが;;天然の入った「おちゃらけ&いじられ」キャラ。ここnoteでは、そうは見られていないかもしれないし、見透かされているかもしれないし^^少しだけ気になるところではある。

「文字」世界の危うさ

 文章だけで自分の思いや考えを発信する場における、一語一語を選ぶ大切さを身にしみて感じている。その言葉の持つニュアンスが、読む人にどう伝わるか?日本人は、「言語」よりも相手の表情や話し方などの「非言語」で、相手の心を読み取ろうとする民族であるため、言葉や文脈のみで感情やニュアンスを表現するのが苦手とされている。
 例えば、その場を和ませようと、ちょっと相手をからかったり、冗談を言ってみる時。対面であれば、それが攻撃していないということを、表情、声のトーンや話し方で演出できる。しかし、知らない人同士のSNSの文面では、上手くいかない。絵文字で演出してみるのが最大の配慮だろう。それでもリアル対面でのやりとりほど上手く伝わることはないのではないか。
 非言語ツールが使えない場だからこそ、一言一句に配慮していかなければばいけないんだろう。

 私は、ここnoteにて、主に日韓に関することを記事にしている。私の記事を読んでくださる方が「韓国」に対し負のイメージを持ってしまわないようにと、気を使ってはいる。だが、私も人間。お隣の系統が近い民族というには、あまりにも違う価値観から、持ってしまう負の感情が出ることも。たまには、半分おちゃらけで(決して攻撃はしていないのだが)日本人の立場で揶揄してしまいたいことだってある。だがリアル対面とちがい、文字のみの世界だと、助長され深刻に捉えられてしまう恐れも。
 そこは、これからも重々気をつけていきたい。

私の目指すnote

私はこんなnoteを目指している。
ちょっとためになるような
ちょっと笑えるような
ちょっと気分の上がるような
そんなnote。

こんな私ですが、
これからもよろしくお願いいたします。



 
 
 


 


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