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私は「ミニマリスト」と名乗れるのか?

 イラストは、isshi projectsさまのすてきなイラストを使わせていただきました。ありがとうございます。^^

  自己紹介にも書いたが、わたくしことichieは、結構長いこと捨て活をしている。物の数だけを見ると、ミニマリストと呼ばれている方々とそう変わらないため、ミニマリストと名乗ってもいいかもしれない。

 しかし、今現在使われている「ミニマリスト」「ミニマリズム」の言葉の中にある考え方や主義とは程遠く、とてもじゃないが「私、ミニマリストです」とは名乗れない。

 ミニマリスト界におけるカリスマ、重鎮の方々を私は、密かに「悟り系ミニマリスト」と呼んでいる。「大量消費社会」である日本において「悟り」を得た方々。

 私は?というと、そんな高尚な考えで、捨て活を始めたわけではない。少し注意散漫な気質を持っているがゆえに、部屋にモノが散らかっていると、気が散って集中できない。上手く整理整頓ができない。そして、カレン・キングストンさんの「ガラクタ捨てれば自分が見える」を読み、スピリチュアル的な「捨てれば幸せが来るんだ!」に惹かれ、私利私欲にまみれた捨て活を行ってきた次第。

 そんな私は「ミニマリスト」ではなく「私利私欲にせミニマリスト」だ。一見ミニマリストのように見えるが違う。では、その違いをお話したいと思う。

少数精鋭?

ミニマリストの持ち物は少数精鋭。
ひとつひとつが、デザイン、機能的な面でこだわり抜かれていて
それらのみが置かれている空間も、統一感がありスッキリ。
あこがれる。

私の持ち物は少数凡雑。
ひとつひとつが、選定、価格の面でテキト~~に妥協されていて
それらのみが置かれている空間は、統一感がなく殺風景。
あきれる。

ブラッシュアップ?

ミニマリストの方々
使っている持ち物ひとつひとつに、真摯に向かいつつ
生活を向上させるため、ブラッシュアップをしている。
見習わなきゃ。

私は?というと
使っている持ち物に、不満2%を感じつつ
検索が面倒くさいため、そのままにしている。
見直さなきゃ。

お金が貯まる?

お金の管理も徹底されているミニマリスト。
質素倹約のおかげで、セミファイヤされる方々も。
羨ましいかぎり。

私は?というと
お金の管理が徹底されていない散財ミニマリスト。

衝動散財のおかげで、火の車状態。
情けないかぎり。

私の中の 「真ミニマリスト」基準

 十数年前のこと。私は、すごい人に出会ってしまった。その人こそが、「真ミニマリスト」。私の中での「ミニマリスト」基準は、その人になってしまった。

 夫の友人なのだが、(韓国人)一流大学卒、サムソンにて研究職として勤めていた彼は、韓国においては、エリート中のエリートだった。前途洋々な30代前半。そんな彼は母子家庭に育ち、敬虔なカトリック教徒。
 母親が亡くなり、彼は神父になることを決意。それまでの肩書、仕事を捨てることを決めたのだ。前から考えていたそうなのだが、母親に心配をかけまいと思いとどまっていたよう。

 「神父になるためには、全てを捨てなければいけません」
 彼は、私たちに話し始めた。「唯一の肉親である母親の写真も、捨てなければいけないんです」と淡々と他人事のように語る、静かで穏やかな表情に衝撃を受けてしまった。

「何ももう、思い残すことはありません。」
神父になると、結婚もできなくなる。いわゆる「出家」というかたちなんだろうが、信ずるもののためにモノだけでなく名誉、財産、人生の安定をすべて放棄した彼は、私にとって「真ミニマリスト」の基準になってしまった。

 モノの数だけはいっちょ前にミニマリストな私であるが、以降「ミニマリストです」と名乗ることができなくなってしまったわけだ。

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