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もし客死するなら~間際に何を思い欲するか

 今週初めから、ひどい体調不良で食べ物が喉を通らなかった。発信予定だった、書きかけのnoteは来週に持ち越すことに。今週は、こんな話をしてみたい。

在韓邦人の私は病んだら何が食べたいか

 私はどこに行っても日本食なしに過ごせるタイプである。ここ韓国においても、普段は日本食を食べに行くこともなければ、作って食べることもしない。現地食が一番だと、韓国食を楽しんでいる。しかし、無性に日本食が恋しくなる時がある。

 そう、それは病んだ時。韓国おなじみの辛系はもちろんのこと、にんにくの匂いもダメになってしまう。韓国人は、病んだ際でも「しっかり食べなきゃ治らない」とアワビ粥や、鶏や野菜を入れて作る滋養粥を積極的にいただく。普段なら喜んで食べる料理だが、病み中のカラダは拒んでしまう。

 そして、私はやっぱり日本人だったんだと思わされること。それは梅干しが無性に欲しくなるのだ。半日ほど絶食し、白粥を作る。そして、数年前に漬けた梅干しを潰し、おかゆに混ぜ混ぜしていただく。「そうそう、これよ、これ」カラダが喜ぶのを感じる。

最期に何を欲するだろうか

 海外で病み、そのまま死を迎える可能性が高い私。最期に私は何を欲するんだろうか?たまにそんなことを考える。

 病むたびにいただく梅干しの酸っぱさを味わいながら、思いを馳せてしまう、ある人がいる。韓国が日本の植民地であった頃を生きた、田内千鶴子さんという在韓日本人女性のことを。彼女は、韓国人の孤児たちを世話し育て上げることに尽力した方である。
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 彼女は亡くなるまで、韓国にて韓国孤児たちのために半生を費やしたわけであるが、死の間際に日本の梅干しを欲したというエピソードはよく知られている。それじゃ千鶴子さんは、最後に梅干しをいただく事が出来たのか?答えはNO。息子が梅干しを探しに行ったが、結局見つからず病院に戻ったところ、すでに千鶴子さんは息を引き取っていたという。
 このお話を思い出すたび、切なくなる。彼女のように立派なことをしているわけではないが、同じ邦人として自分事のように共感できてしまう部分があるんだろう。

 海外での生活。それも反日感情の強い強い韓国での。気丈な千鶴子さんだって辛いこと多々だったろうし、日本に戻りたいと思ったことだって皆無ではなかったと思う。
 私の独断的な考えだが、彼女はそういった弱音を吐くことすらなかったのではないだろうか。戦後、日本に戻ることもできたはず。しかし、韓国人と結婚した彼女は帰化し、韓国人として韓国で生きることを選んだ。

 でも最期の最期に、2重にも3重にも施錠していた祖国への思いが、舌の記憶と共に口をついて出てきたのではないのだろうか。「梅干しが食べたい」と。実際問題、息子さんが梅干しを持ってきたとしても、臨終間際の千鶴子さんがちゃんと食べられたどうかは疑問である。

 そんなことを病み時に考えていると、いろんな思いが湧き出てきて涙ホロホロっとなってしまう。


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