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スタートアップの企業を立ち上げるまで

はじめに、スタートアップとして立ち上げたIchi株式会社について簡単にご説明させてください。
Ichi株式会社は2019年7月、東京に創立したIT企業です。
日本から世界に手軽に販売できる越境ECオークションアプリ【セカオク】を開発運営しています。
それ以前、私は、長野県でまったく異なる業種の会社を経営しており、業績も好調でした。しかし新しい挑戦を決意し、第二創業のために家族とともに東京に引っ越してきました。
「安定した生活を捨ててまで、なぜ新たな挑戦に踏み出そうと思ったのか」
人生の節目にあたり、これまでの歩みと原点を再確認するために、noteにまとめてみようと考えました。読んでくださった皆さんが、少しでもセカオクに興味を持っていただけたら嬉しいです。また、起業を考えている方にとって、何か一つでも参考になることがあれば幸いです。

最初の起業を決意するまで

私は、もともとバイクや車が好きでした。自動車の専門学校を卒業し、ダイハツに整備士として入社したのが20歳。これが私の社会人デビューでした。2年が経ち、会社にも慣れ、長期的な展望を考えるようになっていました。そのころ世間を騒がせていたのが、堀江貴文氏のフジテレビ買収や、ソフトバンクのボーダフォン買収。これらのニュースを見て、「いつかはこの人達のように、世の中を変えるような大きな挑戦をしてみたい」という思いに駆られました。「まずは、ビジネスの基本となる営業を学びたい」と考え、上司に営業へのポジション変更を打診しました。しかし、「最低でもあと10年は整備士として修行してからでないと営業は務まらん、ダメだ」とあっさり断られました。私は退職を決意し、近くの自動車解体業の会社に営業職として転職することになりました。そこでは、起業するためのタネを探しながら営業の経験を積みました。1年後、自動車解体業の課題と解決策を発見した私は、それを実践すべく起業の準備を始めたのです。

社会人デビューの場所

社会人デビューした場所

業界の課題を解決したい

営業として勤めていた自動車解体業の会社には、業界特有の慣習がありました。既得権益を守るための、車屋との完全BtoBによる廃車買い取りスキームです。一般顧客からの廃車買い取りは、滅多にありませんでした。直接買い取りをすると、車屋から怒られることすらありました。当時、一般人が廃車する際の流れは、「近所の車屋に廃車処分料を払い依頼する→車屋はリサイクル業者に転売する」というものでした。車屋が二重取りする構図だったのです。車屋にとっては、中古車販売や整備に加えて、廃車依頼は重要な収入源となっていました。解体業者にとっても、廃車を定期的にまとめて出してもらえるメリットがありました。つまり、持ちつ持たれつの関係だったのです。しかし一般人からすると、処分料がかかるうえに、悪質な車屋やブローカーに依頼してしまうとトラブルになることもありました。実際、「書類手続きが進まない」「税金がかかり続ける」「解体を頼んだつもりが中古車として転売されていた」など、さまざまなトラブルに巻き込まれる危険性もありました。本来であれば直接、解体業者に出したほうが、「トラブルが減る」「手続きが早い」「お金になる」といったメリットがあるはずです。しかし生活するうえで、廃車のタイミングはそう頻繁にあるわけではありません。普段の接点が少ない分、近くの車屋に依頼してしまうという方がほとんどでした。そこで私は、この課題の解決をミッションとし、「一般人からの廃車の買い取り」に特化したビジネスをやろうと考えたのです。

これまでに学んだこと①
起業したいけどアイデアが浮かばない方は、一度就職や転職をしてみて、その業界の課題を探ってみるのもよいかと思います。課題の解決策を、起業のタネにできるかもしれません。

まずは小さく始めてみる

2009年4月、24歳の私は、会社を辞め個人事業主としてスタートを切りました。貯金は50万円しかありませんでしたが、まずは事務所と車を保管する場所が必要でした。創業融資をしてもらい、賃貸を探すことも考えました。そんなとき、ふと実家の庭に古い家を壊した跡地があったことを思い出しました。そこには、車5、6台を置けるスペースがありました。「まずは、ここから小さくやってみよう」と考え直し、さっそく、知り合いから8万円で購入したプレハブを設置。
「廃車のアクセル」という名前でスタートしました。次に、営業と宣伝が必要となりました。広告費をかける余裕は、当然ありません。素人ながら、名刺やチラシ、ホームページを自作します。
自ら市中を走り回り、放置車を探しては、ポスティング営業に明け暮れました。半年もすると、ポツポツと依頼が来るようになりました。
廃車のアクセルHPはこちら

当時8万円で購入したプレハブ

当時8万円で購入した事務所

廃車から収益を得るには

ここで、私がどのようにして廃車から収益を得る仕組みを手に入れたかを、ご説明しておきます。
通常ですと、車を解体したうえで、素材やパーツに分けて転売する必要があります。しかし、解体を請け負うには「自動車解体業」という、県の許可が必要となってきます。これの取得はかなりハードルが高く、始めたばかりの私にはまず不可能でした。そこで、私は以前勤めていたリサイクル会社の社長に頼み込み、「受注〜書類手続きは私が行う」「引き取り〜解体作業は社長の会社が行う」という取引を快諾いただきました。さらには、通常よりも高い価格で買い取ってもらえるよう特別な契約まで交わしていただきました。
これにより、初期費用をかけずに、多少の利鞘を稼ぐことができました。はじめてにしては、リスクが少なく、よいスタートを切ることができたといえます。

これまでに学んだこと②
「スピード感をもって大きく勝負しないと、他社に先をこされる」と、焦る気持ちもわかります。しかし私のように、初期費用を抑えて小さくスタートし、徐々に大きくしていくやり方もあります。大きく勝負するのは、需要が立証されてからでも決して遅くはありません。

土地を購入し法人化する

社員も増えたので、私はビジネスの幅を広げるプランを考え始めました。2013年6月には、銀行融資と貯金とを合わせた5,000万円で、1,500坪の土地を購入。新工場の建設にあわせて解体業許可の取得も目指し、一気通貫ですべてを行うビジネスモデルに変更することにしました。

実際購入した敷地と工場

実際の敷地と工場

許可申請に苦戦する

土地の購入、新工場の建設、法人化が終わり、いよいよ自動車解体業の許可を取得する段階に入りました。しかし、取得に向けて県との話し合いを進めていたとき、大きな難関が立ちはだかりました。近隣住民との話し合いで承諾を得る必要があったのです。住民からすると、産業廃棄物の処理をするのと同様イメージが悪く、「オイルが、河川や田畑を汚染しないか」といった懸念が示されました。もちろん、万が一にもそういったことが起こらぬよう県の工場建設基準は厳しく、対策も講じていました。場を何度も設け、「自動車の廃材は、ほぼ100%がリサイクルされる。むしろ環境には良いことだ」との説明を重ねました。ご納得いただくまでには、時間がかかりました。しかし最後には、「こんな田舎で若者が『起業したい』って言ってくれているのだから…」との応援の声をいただくことができたのです。許可を取得できたのは、周り皆様の助けがあったおかげと、今でも心から感謝しています。

これまでに学んだこと③
この経験を通じて、「一人では、どうしようもないこともある」「最終的には、周りの助けが必要になる」ということを学びました。日ごろから、人とのコミュニケーションを大切にして、振る舞いにも十分注意しておかないと、いざというときに困ることになります。武田信玄の格言に「人は城、人は石垣」とあるとおり、最後は人が一番大事なのです。

テレビCMを始める

一般の方に「廃車のアクセル」をもっとよく知ってもらうために、テレビCMを開始しました。「ハイハイハイ廃車のアクセル」と歌いながら、廃車の前で赤ちゃんの服を着て登場するインパクトあるCMでした。予算削減のため自ら出演したものの、「気持ち悪い」とクレームが入ることも。真面目なパターンや、俳優を使った別バージョンも試してみました。しかし、結果としてトラクションが一番高かったのは、この赤ちゃんCMでした。2021年時点でも、このCMは健在です。今ではクレームもなくなり、「廃車のアクセルって、赤ちゃん社長の会社だよね」と、長野県民に浸透するまでになりました。
赤ちゃんCMはこちら

今でもテレビ放送中の赤ちゃんCM

現在も放送中のアクセルのCM

これまでに学んだこと④
CMは、15秒、20秒という短い時間での勝負であり、商品の説明を入れたCMでは、数字は伸びないことに気づきました。CMの中で内容を理解してもらうより、顧客がのちに必要と思った瞬間に社名を思い出してもらうほうが重要なのです。また予算が少ない場合は、中途半端な俳優を使うよりも、自ら体を張って出演してみる。営業の際にネタとして使うことができ、スムーズな商談にも繋がります。

ヤフオクを始める

2014年、中古パーツのネット販売を本格的に始めました。まずは、ヤフオクにショップ登録をして出品し、1年ほどで出品数は5千点を超えるまでになりました。出品数が増えると、売り上げも増えてはいきます。しかし、ライバルが多くなり、競争原理が働くことで、落札単価は徐々に下がっていきました。私は、ライバルがまだ少ない、海外販売を検討するようになりました。

eBayを始める

2015年、海外販売の方法としてeBayを始めました。eBayでは、出品の際に英語の記載が必要です。そこで、英語のできる人材を募集することに。すると、間もなく近くに住むニュージーランド出身の方から応募がありました。自動車に詳しく、ネット関係の仕事経験もあったため、即採用を決めました。

当初は予想通り、国内より単価も高く、販売は好調でした。しかし、月の売上高が300万円を超えたあたりから、出品数に対しての伸びが悪くなってきました。購入者を調べてみると、ほとんどがアメリカ人でした。日本車人気が高い他の国々の利用者が、少なかったのです。eBayのシェアはアメリカが圧倒的で、世界的にみるとまだ浸透していない印象でした。eBayの手数料の高さも、ネックになっているようでした。そのころから、個人向け世界販売の以外の販路も考えるようになりました。商品単価は安くとも、コンテナで大量買いしてもらえるような、外国企業を探してみることにしました。

コンテナ輸出を始め1年で撤退

2016年、コンテナで部品をまとめ買いしてくれるドバイの企業と契約をすることになりました。
ドバイは税金の安いお金持ちの国で有名ですが、実は中東、ヨーロッパ、アフリカなどへの「輸出中継地」としての顔も持っています。コンテナでの輸出では、まず40フィートコンテナを部品で満載にし、1ヶ月かけて船でドバイまで運びます。さらに1ヶ月かけて、契約先のドバイ企業が各国の商人たちに転売します。「大きな輸出ビジネスだから儲かるのでは」と思う方もいるかもしれません。しかし正直、そう甘くはありませんでした。その理由は、
十分なキャッシュを準備しておく必要があることです。
40フィートコンテナを部品で一杯にするには、相当な在庫をストックする必要があります。毎月商品の種類も変わるため、十分な資金と在庫を常に確保していないと、ショートしてしまいます。
回転率が悪いことです。
船での輸送には時間がかかります。一方で、相手企業からの海外送金は、事前に全額もらえるわけではありません。よって、回転率はかなり悪くなります。
③ネット販売に比べて薄利多売の勝負になることです。
倉庫、設備、人件費などの販管費が高くなり、利益率が低くなることが背景にはあります。

以上のことから、コンテナでの輸出事業は、1年を待たずして撤退となりました。

実際のコンテナ出荷前

コンテナによる出荷準備中

これまでに学んだこと⑤
新規事業をやる前に、売り上げだけでなく、回転率や販管費を計算しておくことの重要性が身にしみました。利益率の高いビジネスなのか、将来的にもスケールしていけるビジネスなのかを、総合的に判断する能力も必須です。


東南アジアを一人旅する

2017年、ドバイへのコンテナ輸出を辞めた後も、ヤフオクやeBayでの販売は続けていました。しかし、売り上げは思うように伸びませんでした。
そこで、eBayが対応しておらず日本車が人気の東南アジアの国々を一人で旅しながら、戦略を練ってみることにしました。ミャンマーの自動車部品市場を訪れた際、疑問に感じたことがありました。それは、みんながスマホを使いインターネットでSNSをしているのにもかかわらず、部品を買う際は現地まで行き現金決済で取引をしていることでした。それはなぜなのか、現地の方に詳しく聞いてみました。すると、3つの大きな気づきが得られました。
① 日本で言うところのヤフオクやメルカリのようなサイトが無いことです。
たまたま聞いた人が存在を知らなかっただけかもしれませんが、少なくとも普及している感じは皆無でした。
② 配送方法が乏しいことです。
そもそも全国対応の配送会社は少なく、ホームページすらない企業が当たり前でした。一般人が配送サービスを使う機会は、あまりないとのことでした。
③ クレジット決済やネット決済が普及していないことです。中には、銀行口座すら持っていない方もいました。

以上のことから、ミャンマーでの部品販売の厳しさを痛感しました。「何か可能性はないものか」と思いを巡らせながら、いったんは日本へ帰国しました。

ミャンマー現地から

ミャンマーの市場を視察中

ミャンマーで会社を設立する

2018年、私は、ミャンマーでフリマサイトShop.comを運営する会社が、中国のアリババに1,000億円ほどで買収されたニュースを耳にしました。そこで、Shop.comの詳細を調べてみることにしました。すると、開始して2年足らずの新興企業で、最大都市ヤンゴンでも流行り始めで、収益はまだ出ていないことがわかりました。ではなぜ、1,000億もの企業価値が付いたのでしょうか?私は、「もう一度経営を勉強し直そう」と考え、参考書を読み漁りました。そして、IT企業の収益率の高さや、PL、BSだけでない将来に対する企業価値(ファイナンス思考)を知ったのです。
スモールビジネスとスタートアップの違いなども学び、自分のビジネスに対する視野の狭さを痛感しました。同時に、「世の中を変えるような大きな挑戦をしたい」との熱意から起業したことを思い出し、新たな気持ちがふつふつと湧き上がって来ました。ミャンマーの物流システムを一から作るという意味で、「Ichi」というミャンマー現地法人を立ち上げることにしました。

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ヤンゴンに営業所を設立

なぜミャンマーで物流会社のDXをやろうとしたのか

ミャンマーでもshop.comのようなEコマースが普及する予感がありました。それに伴い、現状遅れている「物流会社のDX」が急務であるとも考えました。ミャンマーでは、ホームページもなく、Facebookや電話で注文を受ける中小企業が乱立していました。日本のように、ヤマト、佐川といった数社が飛び抜けてシェアを取れている状態にはないということです。日本では、受注から顧客管理、配送状況の確認などで、当たり前のように物流システムが稼働しています。しかし、ミャンマーの配送会社ではほとんど整備は進んでいませんでした。実際、企画書を持ってシステム構築のプレゼンを行ったところ、反応が良く、受注を獲得することができました。一度基盤を構築すれば、バックエンドのシステムは使い回しができます。各社が同じものを使っていれば、Eコマースが普及した際に外部企業にとっても一つのAPIでシームレスに繋がれるので便利になるはずです。
「ミャンマーのインフラの一端を担えるかもしれない」という期待が膨らみました。

日本で開発しミャンマーは営業所とする

開発にあたり、当初は「ミャンマーで、すべてやろう」と意気込み、現地でエンジニアを募集しました。しかし、プログラミングスキルが高く、日本語もできるCTO候補はなかなか見つかりませんでした。地元の長野県にも広げて人材を探していたところ、知り合いの紹介で現在のCTOである加藤氏と出会うことができました。すぐに加藤氏とは意気投合し、開発プロジェクトを受けていただける運びとなりました。開発は日本で行い、営業と顧客サポートはミャンマーで行う形でのスタートとなりました。長野県の田舎からミャンマーに挑戦するというのは珍しかったこともあり噂を聞きつけた地元テレビの特集にもなりました。
その特番映像がこちら

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プログラミング中の加藤氏

納品のタイミングでコロナとクーデター

2020年3月、物流システムも完成し、いざ納品というタイミングになりました。ところが時を同じくして、コロナウイルスによるミャンマーへの入国制限が発令され、現地に行くことが困難になりました。さらに最悪なことに、ミャンマーで軍によるクーデターが発生。経済自体が混迷を極める事態になってしまったのです。納品先の物流会社は「軍と関係があるから」と、市民によるボイコットの対象となり倒産。弊社としても、資金回収が不可能な状態に陥りました。

ミャンマーのクーデターによるデモ

ミャンマー市民によるデモ

これまでに学んだこと⑥
海外展開の際に言われることですが、「カントリーリスクは付き物で、思いもよらない事態が起こりうる」ことを、身をもって知りました。リスクを抑えた海外展開を考えるなら、「現地法人を立ち上げる必要のないネットサービスが良い」とも改めて感じました。FacebookのようなC向けの世界サービスは、どこにいてもできる最高のビジネスモデルです。

日本のサービスにピボットする

コロナとクーデターが重なったことが決定打となり、ミャンマーでの事業は中止する決断をしました。しかし、海外事業は諦めきれませんでした。
「日本にいながら、世界展開できるサービスはないか」と考えていたところ、海外に行った際によく聞かれる質問を思い出しました。現地では手に入りにくい日本製品の入手方法を聞かれることが、実に多かったのです。例えば、ミャンマー人からは自動車の中古部品、台湾人からはアニメの限定フィギュアを日本から購入する方法を聞かれました。アメリカではeBay、中国ではアリババなどを通して、世界に販路を築いています。
しかし日本の越境Eコマースは、日本人の私でもピンと来ませんでした。外国人なら、なおさら探すのに苦労するはずです。私は、「日本の越境Eコマースプラットフォームを作り、世界に広められたら面白いのではないか」と考えるようになりました。これまでヤフオクやeBayで大量に販売してきた知見も、生かすことができると考えました。

東京で新会社 Ichi を設立

2020年4月、長野県の「廃車のアクセル」の事業は、すべて後任に託すことにしました。
私は「Ichi株式会社」を東京に設立するため、家族ごと引っ越すことにしました。東京に新会社を設立した理由は、いくつかあります。地元では、必要なエンジニアの確保が難しかったこと。それから、付き合いのある地銀に融資を相談したところ、「過去にスタートアップの事例が少なく、創業融資で大金は出せない」と断られてしまったことなどです。これまでとはまったく異なる分野業種での、新事業となります。周りからの心配の声も、少なくありません。しかし、自分としてはこれまでの経験すべてが紆余曲折しながらも1本の道で繋がったと感じています。すべてが、Ichiを始めるのに必要な経験であったと確信しています。起業家としての第二章が始まったばかりですが、仲間とともに、これからも突き進んで行きたいと思います。 

代表取締役 市村幸士

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Ichi 株式会社
東京都江戸川区平井3-16-22R-rooms4F
https://ichi.world/company/

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