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回憶録 世の常人の常「微意<中編>」#創作大賞2023#ミステリー小説部門

<中編>

 あれから僕は数日間寝込んですっかりよくなった。零華の差し入れのプロポリスも一役買ってくれた。
「病み上がりなんですから無理しなくてよろしいのですのよ。わたくし一人で来れましたわ」
「いいんだよ。少しものお礼として付き合わせてもらうよ」
 こんなところに何の用があるというのだろう。零華は神宮寺絢が落ちた現場であるコンサートホールの裏に来ていた。ここはまだ立ち入り禁止なのだが安武警部に特別許可をもらっていた。風が吹いて各々の過去を思い出させる処方箋のようだった。零華は地面に座り込んで納得のいかない顔で見入っていた。
「零華さん、なにがあったんだい? 」
「いいえ、その逆です。ないのです、相変わらずに。変だと思いませんか? 事件から数日が過ぎているというのに現場はこの様にきれいなままなんです」
「現場保存のためにきれいなんだろ? なにも変なことなんてないよ」
「柊斗先生、現場といっても外です。数日が過ぎていれば現場とて風に流されて葉っぱなり小石なりあってもよいではないですか。それなのになにもない、綺麗なまでに。おかしいですよ」
「まあそうは言っても。それよりもさ、この先少し行ったところにカフェがあるんだよ。広い道を抜けた向こう側に見つけたんだ。この前のお礼も兼ねて一緒にお茶でもしましょう零華さん」
「これはそれよりも大事なことなのですよ、柊斗先生。少しお待ちになって」
 それよりも、が気にはなったがその時、僕の髪の毛を乱した風は同時に僕の手の甲に白い羽が訪れた。それを零華に見せた。
「零華さん、こういう事? 」
 瞳を輝かせて白い羽を零華は手に取った。
「そう、そういうことですよ、柊斗先生」
 羽を持ったまま歩き出した零華は小言を言いながらその先を歩いていった。僕は後ろをついて行った。ついて行ったけれど、同時に何故か僕は零華に対して距離を感じた。追えども距離が力を持っては抗えないものとはなんだろう。
 その内の影が見えてきてそれが零華とぶつかり互いが尻もちをついた。
「いたた…… 」
「すみません、僕ぼうっとしてて」
「いいえ、わたくしも考え事をしながら歩いていて不注意でしたわ。申し訳ありません。お怪我はありませんか? あら、貴方はたしかチェロ奏者の永瀬さん…… でしたわよね? ごきげんよう」
「ええ、あなた達は確かオケの練習をよく観に来られている方たちですよね。今日も見学に来られたのですか? 残念ながらもう練習は終わりましたよ」
「永瀬さんはもうお帰りですか? よろしければ一緒にお茶でもしませんこと? 少し行ったところのカフェにわたくし達これから行くところでしたのよ。ねえ柊斗先生? 」
「…… ええ、良かったらご一緒にいかがですか? 」
 零華のいわば強引さに断れない空気感に負けたように永瀬さんは首を縦に振った。
「それじゃあ、少しだけなら」
 ということで僕らは共にそのカフェで一緒に時間を過ごす為にそこへ向かった。
 道中はやけに緑が多かった。燈が点き始める時間を夕日が徐々に知らせてくれる。湖の水面は冷えを帯び始めそれが背中に伝い始める。
「ここら一帯が樺の木々で覆われていることを可能にしているのは都心の中でも高い立地にあることと湖の水温が常に低く保たれていることが大きな要素を含んでいるのですよ」
「都心の中にこんなに心洗われる場所があるなんて風情がありますわね。わたくし永瀬さんたちオーケストラの楽曲聴いてからすっかり心奪われましたのよ。特に “追憶” というタイトルの短編小説がモデルとなった抑揚の大胆な協奏曲。凄く素晴らしいですわ。小説内容は一人の女性への愛が兄弟間で重なってしまったのですわよね。きっと互いに大きな愛故、葛藤が強かったのでしょう」
「人間は誰しもが葛藤を抱えていますよ。もしかしたらその葛藤が自身の中に強くあればあるほど惹かれるのかもしれませんね。実は僕もその内のひとりなんですよ」
「あら素敵ですわね。葛藤を乗り越えれば乗り越える度に人間とは大きな存在になれましょう」
 歩を進めるとアスファルトが広がった。車の往来も頻繁でガソリン音に合わせて鴉が唄っている。聳え立つ緑に燈が夕日に応えては眩しさを僕らに提供し始めようとしていた。カツン、と鳴った音は車のタイヤに踏まれた石がアスファルトの上で跳ねたからだろう。
 僕の腹の虫が悲鳴をあげた。
「あら、柊斗先生ったら。もうすぐでカフェに着きますよ。辛抱なさいな」
「良かったらキャラメル食べます? 気休めにしかなりませんが」
 僕は丁重に頂いた。零華も一緒に貰っていた。
「美味しいです。ありがとうございます」
「どういたしまして。あの、先生って? 」
「ああ、僕一応医師していまして。都心の方でクリニックを営んでおります。申し遅れました。藤井と申します」
「お医者さんでしたか。それはそれは」
「わたくしは詩家を生業としております北大路零華と申します。わたくしも申し遅れましてなんと言ったらよいか。ついつい、永瀬さんたちオーケストラのメンバーさん達のことはすっかり知っておりましたので既にご挨拶をしているような気で致しましたわ。いけませんわね。あら、このキャラメル前に頂いたものと違いますわね。メーカー変えたのですか? 」
「ええ、僕最近からなんですけどヴィーガンなんですよ。なのでヴィーガン仕様のキャラメルのメーカーにしたんです。あれ? どこかで前のキャラメルお渡ししましたっけ? 」
「他の団員さんからご厚意で分けていただいたんです。わたくしもその時お腹が空いてまして沢山貰ったから、と。前のキャラメルもとても美味しかったですわ。改めましてごちそうさまでした」
「そうでしたか。いやいや、おせっかいが過ぎましたかな」
「とんでもありません。お陰でわたくしたちこの様な美味しいキャラメルを食すことが出来ましたのよ。感謝しなくては」
「それはそれは、どうも」
 僕の腹の虫が機嫌を良くしてくれた。車の往来は相変わらずだった。もうすぐラッシュアワーとなるからその序章のようなものだろう。
「零華さん、危ないからこっち歩いてください」
「まあ柊斗先生、お気遣いありがとうございます」
 僕の左側に誘導すると辺りはもう日が落ちていた。
「この季節になるともう日が暮れるのも早いですね。もう過ぎてしまった水湖も今頃水温の冷えを高めている事でしょうな。この辺りは人工の燈が散見している。緑が生い茂る中の燈はなんとも映える」
 永瀬さんの言葉に鴉が去った後の電線は揺れがその形跡を残していた。血を飲んだアメジスト、いつかの麗華の言葉が空を物語っている。
 カツン、と音が鳴った。車が過ぎ去っては次々に過ぎ去る。
 僕が音の先をみるとアスファルトの真ん中に永瀬さんが立ってい
た。
 車がクラクションを鳴らしながらその事態に対応出来ずに永瀬
さんへと吸い込まれていく。
 車のハンドルを切る音。
その瞬間ひとつひとつがスロー性とスピード性の非対称だった。
僕は目を閉じる。
その時、僕の左側から速い影となって動いた。
「零華! 」
 零華は永瀬さんの身体を押しどけ同時に自らもそのまま衝いた。車の急ブレーキが効く頃、ふたりはアスファルトに転がっていた。
「大丈夫ですか⁉ 」
 運転手が慌てて車内から出て来た。僕も我を取り戻し零華の元へと駆け寄った。
「零華‼ 無事か‼ 」
「ええ、わたくしは大丈夫ですわ。それより永瀬さんを診てあげてください柊斗先生」
 零華は起き上がり永瀬さんの元へと駆け寄った。零華の脚が擦りむけて血が出ている。
「柊斗先生、永瀬さん気を失っているみたいですわ。息はしているから大丈夫だとは思うのですが…… 」
「ああ、ただ頭を打ったかもしれないから病院で詳しく検査しないといけないよ。もちろん零華さん、きみもね」
 零華は永瀬さんがなにかを握りしめているのに気が付いた。手の中を探るとなにかが出て来た。零華が僕にそれを見せてくれた。
「石? なんだってそんなものを握っているんだい? ああそうか! 車が迫ってくる怖さで近くにあった石を思わず掴んだのだね」
「…… 石、ですね」
「それよりも零華さん、きみも治療が必要だ。今救急車を呼ぶから向こう側で待機していよう。全く無茶をする。きみ自身も危なかったのだよ。反対側の車の往来が無かったのは運が良かったとしか言いようがない。それにしても何だって永瀬さんは急に道路へ出たんだ? 車に気が付かない筈がないだろうに」
 ひとが集まり辺りの殺伐とした空気が流れる。
時間が経つに連れて救急車のサイレンがエンドロールを彩った。日はすっかり暮れている。
地面には弾みでポケットから飛び出たキャラメルの包み紙が3つ、
風に揺られてさらわれていく。
 鴉は高らかに声をあげ、去って行った。
 
 
 
 
 

 
  追憶
 
 
 我がアルフレッド家に代々継承される水晶はこの辺り一帯の守り神であるリオン山岳の形をモチーフに模(かたど)られている。屋敷の広場である権威足る一脚に腰を据え何年過ぎたことだろう。なにやら屋敷の外で群衆が騒いでいる。
「アーク様、お水をお持ち致しました」
「ショーンよ、外が騒がしいようだが? 」
 振動が水に伝わり水晶が光を放つ。
 そうだ、確か…
「水晶は、反射する程に…… 」
 
 
 
 反射する程、美しかった。惹かれるように足が止まる。
「アーク様、どうなさいましたか? 」
「…… ああ、少し見て行こう」
 道端に薄く汚れた布を敷き数種の絵画を並べていた。
「しかしこのような街中に沢山の商人と行き交う市民たち。この辺りの発展も近年凄まじい程の成果でございますね、アーク様。これも一重にこの地方一帯を治めるアルフレッド家の御子息・アーク様のお陰でございますよ。先代がお亡くなりになって早三年。私は代々アルフレッド家の仕える身としてこんなにも誇らしいことはないと存じております。あのように小さかったアーク様がいまでは市民の生活の為に先導を切って国に働きかけているのですから。このように御立派になられたことを先代はきっと喜んでおります」
「褒め過ぎだ、ショーン。わたしはきっかけを作っただけだ。そこからは市民が辛くとも頑張って田畑を耕し水を潤してくれた。市民が頑張ったからこそいまがあるのだ。…… しかし、これは」
 目に留まったその絵画には羽根が描かれてあった。白く、美しい。まるで天使の羽根のようだった。
 数種が置かれた絵画の中央に座っている、華奢な体型をしているその女性は私を見ない。大きな布で身体を隠し頭はフードで包み隠している。
「きみが描いたのかい? この天使の羽根、とても美しい」
「…… 天使の羽根、に、みえるのですか? 」
「ああ、こんなに美しい羽根は初めてみるよ。とても純白だ」
「…… 純白に映るのですね。それでしたら、この絵、貴方に差し上げます」
「あ、ああ。代金を支払うよ。いくらだい? 」
 女性は並べてあった絵画を片付けわたしの前から去ろうとした。
「ちょっと待って、お金を…… 」
「いらない」
 振り向いてその言葉だけを残して女性は歩き出した。
「え、あの、ちょっと…… 」
 引き留めようとわたしは女性の肩に手を伸ばした。その弾みで覆っていたフードがはだけ、みるも豊かな純白の髪が長くなびき顕わになった。周囲の人々もあまりの美しさに驚き、街中はその女性に注目した。
 女性は慌ててフードで髪を覆い、その場から去って行った。
「アーク様、あの女性はなんだったのでしょう。若くして白髪ではない純白の髪色をしていました。私は年の功でしょうか。珍しいものをみてしまうと何故か不吉な予感がしてしまうのですよ」
「そうか、美しいのにショーンには不吉なものを予感させてしまうのか。わたしには美しい、は、美しい。そのものしか映らないのだよ。まだまだわたしも世間を知らない、ということかな」
 
 
 
「アルフレッド・アーク卿、こちらをお納めください。私たちが丹精込めて作った、金の紬糸でございます」
「ありがとう、ハリー。心を込めて受け取るとしよう。また君たちの商売から品物を購入させてもらおう」
「ありがとうございます、アーク卿。アーク卿が薦めてくださった糸業が繁盛しておりますのも一重にアーク卿のお陰でございます。国にも私たちの商売が周るように宣伝してくださって感謝しております。小麦作りのジョージも羊飼いのイシェルもほかの商売人も皆アーク卿に感謝していると申しております」
「いや、皆がそれぞれ頑張ったからこその成果だ。わたしの力など到底及ぶまい」
「恐れ入ります。では、私はこれにて失礼させていただきます」
 屋敷の広間の扉をくぐり、ハリーは一礼をし、行く。わたしが座る右隣には執事のショーンが立っていた。
「市民皆がアーク様に感謝しておりますね」
「そんなことにうつつを抜かすわけにはいかないさ。ショーン、それよりもこの本を読んでくれ。この前の女性のことがどうしても気になってな。たまたまこの本をみつけたんだ」
「これは私達の住むここ一帯を守っているリオン山岳に伝わる古い言い伝えの書物ではありませんか。こんなもの、どこから? 」
「父上の書斎からみつけた。それよりも、ここのページだ」
「…… リオン山岳にはもとより神が鎮座する神聖なる地。その神に仕える人種部族が存在したといわれる。名はコーリ族。そのコーリ族は現在では滅び去ったといわれている。純白琥珀色した髪と透明を纏うそのコーリ族を神は天へと召喚し人間の動向をいまでも見守っている……。 まさか、あの女性がこのコーリ族だというのですか? 」
「可能性の段階だよ。ただ、あの美しすぎる純白の髪は紛れもない事実だ」
「左様でございますか。ただ、本当にそのコーリ族の末裔だとしたらあんなところで売れもしない絵画を並べてなにをしようとしていたのでしょう。理解が出来ませぬ」
「ああ、そうだな。今度会ったら是非その理由を聞きたいものだ。ところでメハドの詩は売れているか? 」
「それが一向に売れる気配がないようでございます。アーク様、私がこの様なことを申すのは無躾で失礼極まりないと思ったのですが……、 メハド様にはもうお近づきにならぬ方が良いのではと日頃から深く心に留めております。あの方は生まれも育ちもアーク様とは違います。先代のマーチ妃の産み堕とした父の違う兄弟といえど、やはり私には受け入れがたいお方でございます」
「母君も打たれ弱いひとだった。父上を先に亡くして途方に暮れてしまったのだろう。或る男と一夜を共にし身ごもってしまった。わたしも当時は幼かった。母君にとっては頼りなかったのだろう。わたしにも責任の一端はあるさ」
「そんなことはございません。私共がしっかりマーチ妃をサポートしていたらこんなことにはならなかったのでございます。私共のせいでございます。なんといったら良いか…… 」
「気を楽にしてくれ、ショーン。過ぎたことだ。君たちのせいではないよ。だからわたしはこうしてメハドの夢を応援しているのだ。十分な教育を受けられなかったメハドに読み書きを教えたらぐんぐんと成長していったんだ。その内メハドは詩を書き始めた。それを応援したいと思うのは兄として当然のことだろう」
「しかしメハド様の存在は決して知られてはいけない存在です」
「メハドに悪い心はないよ。なんていったってあの母上の子だ」
「それはそうでしょうが…… 」
「メハドに会いに行こう。ショーン、君はここで待っていたまえ。なあに、ちょっと詩の進行具合を覗きに行ってくるだけさ」
「私もついていきます。すぐに用意いたしますので少々お待ちください。出掛けの準備を致して参りますので」
 奥の部屋へと準備をしに下がったショーンは忙しくしていた。そのショーンを残して、わたしはメハドのもとへと向かった。
 
 
「やあメハド、邪魔するよ。詩の進行状況はどうだい? 」 
「アーク、何しに来た? 」 
「随分だな。言ったろ? 詩の進行具合を覗きに来ただけさ」
メハドの眉間に皺が寄った。
「ここは住みにくいだろう? ここらへんはスラム街寄りの治安の悪さだ。家を準備することはいつでも出来るんだ。いつでも兄を頼ってくれ」
 メハドの家、といってもセキュリティなんてものは存在しない。大きな破れ布で造られた薄暗いテントに住んでいる。メハドの苛々している空気を感じながら準備していた次の会話の内容を話そうとしたその時だった。薄暗さの中でなにかが動いた。
「セーラ、邪魔するな」
 その動いた何か、メハドは話し掛けた。セーラ、と呼ばれたその娘をみたときにわたしは驚いた。
「きみは、この前の天使の羽根の絵画の娘ではないか。こんなところでなにをしているんだ? 」
 わたしは娘に近寄り確かめようと髪を撫でようとした。
「…… メハドの元に居る」
 わたしの手が止まる。
「アーク、セーラのこと知っているのか? 」
「あ、ああ。街中で絵を売っているところを偶然みつけてな。メハド、このセーラという娘とはどういう…… 」
「数週間前にいきなり俺の前にふらっと現れてな。俺の詩を読んだ、と言って一枚の絵を見せてきた。鴉の羽根が描かれた絵だったな。それから何故かここに住みついているんだ。行くあても無さそうだったからここに置いてる」
「…… こんな危ないところに女性が住んでいるのか? 危険だ。もっと安全なところに…… 」
「女のひとりくらい守れる」
「そうか、要らぬことを言った。ではわたしはこれで失礼するよ」
 マントに付いているフードを深く被りアークの家を出た。ここは治安が悪い。わたしのような者が出入りをしていることが明るみになってはいけない、とショーンから何度も釘を刺されている。
 10ヤードほど歩いてわたしは振り向いた。メハドの貧しい家を見る。するとそこからセーラが出て来た。わたしの元へとやってきたセーラの華奢な身体は息が上がっていた。
「わたしに何か用かい? 」
「メハドの詩、読んだ? 」
「ああ、読んだよ。素晴らしい詩だ。ところできみはどこでメハドの詩を見つけたんだい? 」
「…… 街の外れで見つけた。メハドの詩は、メハドの闇がふんだんに込められているのにあれが貴方にとって素晴らしい、と映るの? 」
「…… ああ、そうだよ」
「貴方、悲しそうな顔してる」
「貴方じゃない。アーク、だ」
「アーク」
「そう」
「綺麗な名前ね」
「きみにはそう、映るのかい? わたしの名前が綺麗だと」
「きみじゃない。セーラ、よ」
「セーラ」
「そう」
「綺麗な名前だ。とっても」
 わたしはセーラの髪を撫でようと手を伸ばした。セーラの髪はマ
ントのフードで覆われている。
「セーラ! 来い! 」
 向こうでメハドが叫んでいた。
「行きなさい。いいかい? フードは人前では決してとってはいけ
ないよ」
 セーラのフードを深くしてわたしは彼女を送り出した。メハドは
なにやら怒鳴っている。セーラはわたしに一度向き直し、そしてテ
ントへと入っていった。
 
 
 詩を捲って小さく溜息をつく。
「珍しいことでございましょう。アーク様が溜息をつくなんて」
 紅茶の香ばしい香りが辺りに舞う。ショーンがわたしの為に用意
してくれた。それを口へ運び、ショーンをみた。
「珍しい事でもなんでもないさ。わたしだって人間だ。溜息の一つ
くらいつく時もあるさ」
「メハド様の新作の詩でございますか? 」
「…… ああ、今回も素晴らしい出来だ」
 鉄格子で囲まれた窓から僅かな青空をみる。
「部屋に籠る。用があったら呼んでくれ」
 一礼するショーンを残し広間の扉をくぐった。
部屋の扉を開けると真ん中にあるベッドに本棚と本たち。砂時計
を返すとそれ、が始まる。書きかけの原稿用紙とインクペン。椅子
に座るとわたしは原稿用紙を破り床へとぶつけた。グラスに入った飲みかけの水。衝動と共に円が拡がる。時間と消失感が覆ってはやり場がない。わたしは机へともたれかかった。
— 時間が幾分か過ぎたようだった。机にうつ伏せしていた顔をあげると日が落ちる寸前だった。わたしは立ち上がり部屋をあとにした。途中でショーンがわたしに気付いた様だった。
「アーク様、どちらにお出掛けでございましょう」
「少し出てくる。すぐ戻る」
「お待ちください! 私も一緒に……。 アーク様! 」
 ショーンを振り切って屋敷を出た。行先はわたし一人で行かなければならない。
 愛馬に跨り道を過ぎる。日がもう数分で落ちる頃だろう。そこに着くと、馬を人目に付かないところへとめた。
「すぐ戻るよ。いい子で待っていなさい」
 馬の頬を撫で後にした。わたしが歩く頃にはもう日が落ちていた。影はもう溶けた。
 一軒のみすぼらしい小さな館の門をくぐる。
「邪魔する。頼みたい案件があるのだが」
「これは、アーク卿。またいつもの件ですかい? 」
「ああ。これをニ冊分製本してくれ」
「へい、お安い御用で。また、と言っちゃあ何ですがね……。 また礼の方を頼んでもよろしいですかい? 」
「ああ、礼ならニ倍にして渡そう。その代わりこの事の口外は…… 」
「わかってますよぉ、誰にも言ったりしてません。しかし、あんさんも御人が悪い。沢山刷ってあるように嘘ついてるんでしょう? しかもその内の一冊は闇市に置いてぞんざいに扱われているところをみて楽しんでいるなんて悪趣味でございますよぉ」
「おい」
「おっと、いけません。あっしときたら、つい口が過ぎました。早速取り掛かります。この枚数でしたら数十分で出来ますよ」
「ここで待たせてもらう」
 ここの館の主は人相からして悪い。頬のこけた顔に髪の毛なんて数本しかない更地が見るからに貧しさを物語っているようだった。
「こちらどうぞ」
 主はわたしに水を出してくれた。いや、水とは程遠い。泥が入り混じっているような濁った水だった。飲み物、とは言えない。ここら辺のライフラインはまだ行き届いていないのだ。
「これはなんだ? 」
 紙に包まれた小さな固形状の物が机の上に無造作に幾つか置かれてあった。
「それはいけませんぜ。毒薬です。なあに、こういうのを何故か好む人間というのがいましてね。高額で売れるんですよ。ちょっとした小遣い稼ぎですよ」
「…… そうか」
「では、あっしは隣の部屋に居ますんで。待っていてください」
 椅子に座ると初めは早い足の揺すりも時間の経過と共にゆっくりとなっていった。わたしの目には濁り水の濁りが増しているように感じた。
「お待たせしやした。こちら、注文の通り二冊分の製本で間違いないですね? 」
「ああ、中を確認させてもらうよ」
「あっしも確認しましたが、落丁は無いですぜ」
「…… ああ、確かに。礼を渡そう」
 わたしは衣服のポッケに手を忍ばせ金貨を出した。
「こっちも確かに頂きやした。またの利用お待ちしてますぜ」
「…… 世話になったな」
 マントのフードを深く被り館をあとにした。わたしの後ろにはリオン山岳が闇夜を型取って聳え立っていた。愛馬の所へ戻ると馬は辛そうにしていた。正しくは辛そうにしているようにわたしにはみえた、ということだ。とめていた縄をほどく。
「行こう」
 吸い込まれるように、わたしは馬を走らせた。後ろには、リオン山岳が聳えていた。
 
 わたしはあれから頻繁にメハドの元へ訪れた。目当てはセーラだった。メハドの留守する時間に合わせて訪れた。
「わたしだ。失礼するよ」
薄暗いテントの門を開き、中に居たのはセーラ一人だった。セーラは暗がりの中で絵を描いていた。
「こんな暗い所で描いて不便だろう。外で描かないかい? 絶好の場所を見つけたんだ」
 セーラはわたしをみつめてから、一度頷いた。
 少し歩いたところに緑が敷き詰められた丘があった。そこへ誘って行くと、セーラは丘の上から空を見ていた。視線の先にはリオン山岳があった。
 わたしはセーラのフードをとった。純白の髪の毛が、顕わになる。
「セーラ、きみのことを訊いてもいいかい? 」
 きみは、コクン、と頷く。
「セーラはコーリ族の末裔なのかい? 」
 目を見開いてわたしをみたセーラは身振いしていた。
「悪い。訊かれたくないこともあるさ」
 セーラの頭を、純白琥珀色した髪の毛を、撫でた。
「…… 私の一族は天へと神に誘われた、と下界では伝わっています。しかしそれは偽りです。真実は絶滅に近い」
「絶滅? でもきみはいま此処に居るじゃないか」
「私は別なのです。 神より使命を全うするよう遣わされているのです」
「…… 使命? 」
「先程、私は〝絶滅に近い〟と申しました。と、いうことは少なからず一族が下界に生き残りがいるのです。私はその唯一の生き残りの心の修復に努めるよう、使命を言い渡されているのです」
「それじゃあ、どうしてメハドの元にいるんだい? 」
「…… 」
 口を紡ぐセーラに嫌な予感がした。
「言いたくなかったらいいんだ」
「アークとメハドは、兄弟なのですよね? 」
「あ、ああ。そうだよ、父親は違うけどね。同じ母上から産まれた兄弟だ」
「…… メハドの父親の事、知ってますか? 」
「いや、そういえばよくは訊いたことないな。行きずりの男性の子を身籠ったとは訊いてはいたんだが…… 」
「…… メハドの父親は、コーリ族のひとりです」
「そうだったのか。だからセーラはメハドの傍にいるの? 」
 頷いたセーラは持ってきたスケッチブックを開いた。そこにはわたしがセーラに初めて会ったときにみた天使の羽根が描かれてあった。
「アークはこれを天使の羽根、と言いましたね。メハドは鴉の羽根と言った。実はこれは同じ絵なのです。見た人の心情が顕れる絵なのです」
「…… それが本当なら、天使の羽根とわたしは確かに言った。しかし、わたしは…… 」
 それ以上はセーラに話せなかった。
 それから時間が幾分か経ち、風が吹いた。風にセーラの髪の毛が沿っている。
「知っている。アークがこれを天使の羽根、と言ったときのアークの黒い瞳が大きく拡がったのを覚えている。とても人間らしい。それにアーク、という名前の響き。心地が良い響きです」
「いや、わたしの名前は…… 」
 わたしの手の平は拳を作り、汗が滲んでいる。
「わたしの名前は母上がつけたんだ。しかし母上は心の弱い女性でね。わたしが産まれた頃父上が忙しくしていて母上についていてあげられなかったんだ。恨みを持った母上はそれを母上の産まれ故郷の言葉で悪魔、という意味を持つこの名をわたしにつけたんだ。笑ってしまうだろう? 実の子に悪魔の意味を込めるなんて」
「私は響きが良い、と言いました。言葉の意味には歴史が付き物です。しかし響きというのはその人の今までの生き方が変えるのです。幾つもの苦しみの土台にアーク、という心地の良い響きが形を変えたのです。それはアーク、貴方の心の芯の強さが反映されているのですよ」
 また、風が吹いた。柔らかく、やさしい、風。
 わたしはセーラの頬に手を伸ばした。
「アーク? 」
「セーラ、わたしは…… 」
 言葉を続けようとした、その時だった。
「セーラ‼ 」
 メハドが丘の下方で怒りを携えてわたしたちに近付いてきた。セーラの腕を掴みメハドはセーラを自分の距離へと近づけた。
「アーク、セーラになんの用だ? 」
「…… いや、用というか…… 」
「用がないなら来るのやめてくれないか? 」
 メハドがわたしを睨みつける。セーラは不安な色を顔に浮かべていた。
「行くぞ、セーラ」
 セーラの腕を強く引っ張ってメハドは丘を下りて行った。途中でセーラはわたしの方を一度だけ振り向いて、そのままメハドと共に去って行ってしまった。
 風には角が出来てわたしに突き刺さる。わたしは息を吐いた。やはり、メハドにとってもセーラは特別な存在なのだと痛感させられる。風にさらわれてページが開いた。セーラのスケッチブックだった。突然のメハドの気迫に包まれたから、セーラが大切なスケッチブックを忘れてしまったのだ。風に誘われて開かれたそのページには、やはり天使、の羽根だった。
 
―「見た人の心情が顕れる絵なのです」
 
 スケッチブックを持ってわたしはメハドたちを追った。足早に追うわたしに風は刺さっても、そんなことはもうどうでもいい。痛みや負い目よりもそれよりも大切な、こと。
 息を弾ませメハドのテントに着いた。中からは声は聞こえない。居ないのだろうか。わたしはそっとテントの中を覗いた。
 メハドがセーラを抱きしめていた。
 涙を流しながら、大切なものを決して離しはしないという想いが伝わって来る。
 セーラはメハドの涙を受け止めていた。
 するとメハドの頭髪の根本が数センチ純白に、琥珀に染まっていった。わたしは目を疑った。
 
―「見た人の心情が顕れる絵なのです」
 
 いまわたしがあの絵をみたらきっと鴉の羽根に映るのだろう。そしてメハドの目にはもしかしたら、天使の羽根に映るのかもしれない。
 怖かった。
 メハドにセーラを奪われるのも、メハドの目に天使の羽根に映るかもしれないという現実も、なにもかもが、怖かった。
 わたしはスケッチブックをテントの外に立てかけ、その場を去った。 
 去るしか、出来なかった。
 
「アーク様、… アーク様‼ 」
「…… 」
 誰かがわたしの肩を叩いているのに、気が付いた。
「アーク様‼ 」
「…… あ、ああ。すまない、ショーン」
「アーク様がぼんやりとするなんて珍しいことでございます。しかしそれがここ最近続いております。なにか気になることでも? 」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
「アーク様、実は電報が届いておりまして。どうやら我が国の保健機関からのようでございます」
 ショーンから受け取ると、わたしはその電報を開いた。
 
 〝隣国ニテ伝染病ガ流行シテイル模様。各市街地ニテ対策ヲ講ゼヨ〟
 
「伝染病でございますか。恐ろしいでございますね」
「しかし、伝染病の詳細がわからないことには、どうにもこうにも
やりようがないではないか。情報が不足し過ぎている」
「対策を講ぜよ、とありますが。アーク様、如何にお考えでござい
ますか? 」
「時間をとって考えよう。少しひとりにしてくれ」
「かしこまりました。そういえば、小説の執筆の方はどうでござい
ましょうか? 数か月前にアーク様が執筆業を始められる、と訊い
てその出来上がりを楽しみにしている次第でございます」
「あ、ああ。それは、いいんだ。気にしないでくれ。すまないが、
ひとりにしてくれないか」
「これはこれは、失礼いたしました」
 広間の扉をくぐり、ショーンは部屋をあとにした。
 
 伝染病、伝染病、伝染病……
 伝染病、伝染病、執筆……
 伝染病、執筆、セーラ、羽根……
 天使、鴉、執筆、メハド……。
 
 メハドの詩……
 
 わたしの手の平はいつしか拳をつくり、気が付くと唇を噛んだ強い痛みが神経を伝ってきた。
 
 
「アーク様‼ 」
 出て行った筈のショーンが血相を変えて扉を開けた。
「何事だ、ショーン。ノックもせずに」
「それが、いましがた遣いの者が戻りまして街で数人の市民がいきなり倒れて町はずれの病院へ搬送された、と知らせが入りました。もしや、国からの伝染病となにか関係があるのでは…… 」
「否定は出来ぬな。その病院との情報共有を頼む。わたしは保健機関に連絡を入れる」
 わたしは急を要す、と電報に知らせを打ち相手方の連絡を待った。その間にも次々と市民が倒れて救急搬送された、との知らせを受けた。嫌な予感がしてならない。口の中に血液の美味が拡がる。いつの間にか、唇を切っていた。
 それから保健機関から連絡が入ったのは一時間後だった。隣国での伝染病が我が国、我が市街地で報告された。
 わたしは直ちに市民に外出禁止令を通達をした。しかし混乱は収まらなかった。家に籠った筈の人々が倒れ、そして倒れ、搬送されては病院は伝染病に罹患した患者で溢れ……、 その知らせを受けたときにはわたしはもう成す術を失っていた。この市街地を守り人々に仕事と循環を与えた。この光景は…… わたしが築いてきたものはこんなにも脆いものだったのか? ひとは幸せになるためにこの世に堕ちた。悲惨な歴史もこれからを担う人々が歴史を繋ぐ、幸せな歴史を、ツナグはずだ。何故いま人々はこんなにも嘆き苦しみ絶望しているのだ? わたしには理解が出来ない。
 ああ、そうか。わたしに似ている。わたしの由来だ。〟悪魔〟の意を持つ、このわたしの名に似ているのだ。
 
 
 水晶はこんなにも美しいというのに。
 何故か、このリオン山岳を模ったこの水晶の形は攻撃性を帯びているようにしてならない。わたしがこのように想うようになったのは久しくはない。ここ最近はこの思考が巡り巡って頭から離れない。
「アーク様、せめて水だけでもよろしいのでお飲みください。アーク様が飲食をしなくなってから数日が経過しております。このままではアーク様のお身体が持ちません」
「…… 心配は無用さ、ショーン。市民が苦しんでいるというのにわたしだけがのうのうとしている訳にもいかんだろう。…… ショーンよ、なにやら外が騒がしいようだが……? 」
「…… はあ、アーク様…… その…… 」
『アルフレッド・アーク卿の怠慢を許すな‼ 奴こそ大罪たる病の元凶だ‼ 』
「アーク様、外の声は人々の誤りです。人は不足の事態に陥るとそれを誰かのせいにしなければ生きていけないのです。誰かのせいにすることで自分の心に平安をもたらす、それこそが人の弱さというものです。アーク様、貴方様は決して矛先を誤ってはならない御人です。どうか、自身をしっかりとお持ちください」
「ああ、そうだ。それこそが人間、というものだ。ショーン……、そうだ、そうだったな…… 」
 わたしは瞬時にショーンが用意してくれたグラスに入った水を壁へぶつけた。そう、わたしの感情をぶつけるように。激しい衝撃音と共にグラスは割れ、わたしの心に屈折していった。
「アーク様…… 」
「ショーンよ、人間の心理とはそういうものだ。ただ、わたしはそんなにお前が思うような男ではない。わたしの心の中はそれだけではないんだ」
「…… アーク様? 」
 
〈人は不足の事態に陥るとそれを誰かのせいにしなければ生きていけないのです。誰かのせいにすることで自分の心に平安をもたらす、それこそが人の弱さというものです〉
 
知っている、知っているさ、そんなことくらい。
わたしは机の引き出しからメハドの詩集を取り出した。章を開いてはわたしの顔は相変わらず眉間に縦の皺が入り、口で笑ってしまうのだ。
「はは、はははは…… 」
 わたしは詩集を壁へぶつけた。二度、わたしの感情をぶつけた。わたしにはこんな才能は無い。こんな詩も文章も到底わたしの力
では成し得ることなどないのだ。わたしにメハドほどの文章力が
あったら、母上になにか心打つ言葉を贈れたかもしれない。母上が
心に背負った痛みもわたしが癒してあげられたかもしれない。
 
何故、メハドなんだ……? 
 何故、わたしではないんだ……?
 
 手を忍ばせわたしは屋敷を出た。愛馬にまたがり向かう先はショーンの言葉の通りだった。遠くでショーンがわたしの名を叫ぶ声がした。その声を置き去りにした。屋敷を出る際に民衆がわたしの名を呼んだ。わたしは気にしなかった。その声にうつる矛先の感情が、わたしの心と同化していたからだった。
 
 
 薄暗いテントの門は不用心で誰でも入れる。ここら辺一帯も伝染病にむしばまれた一角だ。メハドは居なかった。セーラも、居ない。狭く、湿気に満ちたこの環境で、メハドの詩は生まれる。
グラスに入ったよどんだ飲みかけの水がある。わたしは間の空気を遮って忍ばせた包み紙をその中に放った。
地面には数本の髪の毛が落ちていた。純白の、琥珀色した髪の毛だった。書きかけの詩と、書きかけの絵画。藍色の夜空の絵だった。
 テントの門から僅かな光が入った。
「アーク? 」
「やあメハド。無事だったんだね。伝染病はここら辺にも蔓延しているだろうに」
「ああ、なんとか。でも俺達もいつどうなるかわからないからな。一応の覚悟はしている」
「そうか。セーラも無事なのか? 」
「セーラは相変わらずだ。いつなん時も絵ばっかり描いてるよ。それよりもアーク、お前はどうなんだ? 民衆はお前を標的にしているだろう。大丈夫なのか? 」
「メハドらしくないな。いつもわたしを邪険にしているじゃないか」
「場合が場合だろう。いつもは憎まれ口を言ってもこんなときこそ頼りにしてくれ。血を分けた兄弟だろう? 」
 メハドからの予想外の言葉にわたしの思考は停止した。
「…… ははは。何を言ってるんだ。今更なにを…… 」
「俺は確かにアークと違って正統な血は入っていないが、それでもお前のことは大事に想っているんだ。おふくろが大変なときにお前はおふくろのそばに居てくれたんだ。それは俺が想像する以上に大変なことだっただろう。感謝している」
「そんなこと言うな‼ そんなこと言われる筋合いはない‼ 」
「アーク? 」
「わたしはメハドの詩集を多く刷って街にも郊外にもあらゆるところで販売している、そうみせかけておいて…… そんなこと、していなかったんだ。それどころかわたしは刷った一冊の詩集を闇市に置いてそのさまを…… 楽しんでいた。わたしはそういう人間だ。弟にそんな風に想ってもらう資格などないんだ」
「…… 」
 メハドはなにも言わなかった。どれだけわたしの真の姿に絶望したことだろう。わたしは目を開けられず、地面に顔を向けることしか出来なかった。
「…… 知ってたよ」
 メハドの予想外の言葉にわたしは思わず目を見開いてメハドを見た。するとどうだろう。メハドの髪の色が根本から順々に純白に、琥珀色へと染まっていった。
「アークのしていること、知っていたよ。闇市に置いてあるところを偶然みつけてね。その売主の男からアークのこと訊いてた。アークは身分を隠していたつもりだったみたいだけどね。そんなことその男はお見通しだったみたいだ。俺がその詩集の作者だとも知らずにべらべら話してくれたよ」
「…… だったら何故わたしを責めなかった⁉ 何故だ… 何故…… 」
「責めた、というより人間が信じられなかった。だからずっとアークにも冷たく接した。けどな、セーラが現れた。セーラが教えてくれた。アークの本当の心、それから俺の中にある芯の心を…… 。俺は俺だけが辛い、と思っていた。何故俺はこのような生まれなのか、何故兄にこのような仕打ちを受けるのか、と。…… アークも辛かったんだよな。俺は大馬鹿野郎だ。血を分けた兄が真に苦しんでることに真っ先に気付いてやらなければならなかったのに、セーラが現れて…… セーラにやっと教えてもらった」
 わたしは顔を向けれなかった。自身の愚かさが身に染みて、掌は拳を作りその矛先は勿論、わたしだ。
 メハドは軽く息をつき、飲みかけの水を飲んだ。
 わたしは咄嗟にメハドの手にしているグラスを手で弾いた。グラスが地面に割れた。
「メハド‼ 飲むな‼ それはわたしがさっき…… 」
 毒を入れた、水だった。
 メハドは吐血し地面に倒れ込んだ。
「メハド…… すまない。わたしは…… わたしはなんて愚かな人間だ。心を嫉妬で染め、やり場のない心を弟に向けてしまった。メハドのせいにすることで、弟の命を奪う理由を作る…… わたしはなんという人間だ。メハドすまない……、すまない…… 」
 メハドは朦朧とする意識の中でもわたしに瞳を向けていた。
「アーク、いいんだ。なにもかも知っている。毒が入っていたことも、俺にも非があることを。俺はもっとお前と話しがしたかった……。 おふくろにどんな言葉を贈れば喜んでもらえたか、とか……、 アークの父親の事も訊きたかった。お前はどの様な父親の背中をみて育ったのか……。 俺の知らない世界をアークから訊いて…… それを詩にしてみたかった…… 」
「そんな… メハド……、 しっかりしてくれ! メハド‼ 」
 メハドはそれきり目を覚まさなかった。わたしの腕の中で冷たく凍り付くメハドは、わたしの今まで知っていたメハドではなかった。
 わたしは大罪を働いてしまった。腕の中で息絶えるこの男はわたしの弟で、兄のわたしが手に掛けた。
ポケットになにかが引っ掛かった。取り出すと、アルフレッド家に代々継承される水晶だった。リオン山岳の模った、攻撃性のある形をしていた。先が、卑しく光った。
 メハド、すまない。わたしもお前のあとを追う。許してくれとは言わない、いや言えない。どうかわたしの愚かさを呪ってくれ。
わたしは水晶の先を喉元に瞬間、突き刺した。目を閉じ、覚悟を決めた。
しかし、痛みがわたしに届かなかった。
 目を開けるとセーラが水晶の先を手で止めていた。
「セーラ、死なせてくれ。わたしはとんでもないことをしてしまった……。 メハドを、わたしを想うメハドを手に掛けてしまったのだ。ああ、なんということだ、死なせてくれ。死なせてくれ」
 セーラの手から血が流れていた。何故だろう。セーラの血の色は、緑色だった。
「アーク、メハドの想い確と受け取りましたね。アーク、貴方はこの現実にどう立ち向かう? 呪いを呪いと受けとりますか? この苦しみを、現実の道が開かれました。背をそむけるか、歩むか。貴方の名に恥じぬ選択をしなさい。心が導いてくれます。貴方の名の響きを信じなさい」
 セーラの血を水晶が吸って緑色へと変貌していった。まるで水晶が血を……。
「水晶が血を飲みました。この石は翡翠といいます。メハドの死は私にも責任があります。神から受けた使命を全う出来なかった」
「メハドの髪が純白になった……。 これはどうして…… 」
「きっといまのメハドならあの絵をみたら、天使の羽根にみえるでしょう。その一端にはアーク、貴方の存在が在る事を忘れてはならないわ」
 地響きがなった。地震だ。恐ろしくて地面に座り込むことしか出来ない。
「時が来ました。わたしはメハドと共に行かなくてはならない」
「待ってくれ! セーラ、わたしはセーラを愛している。どうかわたしの傍にいてくれ」
「わたしは神から仕置きを受けなければなりません。わたしはアーク、貴方をいつまでも見守っています。メハドと共に…… 」
セーラとメハドの身体が薄れていくのを感じた。
「待ってくれ! セーラ‼ 」
「イロは、孤高です」
 セーラに手を伸ばすと、もう、届かなかった。セーラとメハドの姿はここには、なかった。
 どおおおん‼
 大きな音がした。外をみてみるとリオン山岳が噴火していた。マグマが流れ出し、火山灰が我々を包み込もうとしている。岩石がまるでわたし目掛けて飛んでくるようだった。
 人々は逃げる。目掛けてくるマグマから、火山灰から、岩石から、現実から。
 
〈アーク、貴方はこの現実にどう立ち向かう?〉
 
 現実は、人々を襲い、飲み込み、包んで行った。
 火山岩が幾つも積み重なり、また大きな山をかたちどる。
 火口から現実が流れ出る。
 
 空には虹が架かっていた。
 七色の虹だった。
 七人の人間がいれば七色のイロがあるように
 
 
   〈イロは、孤高です〉



回憶録 世の常人の常「微意<後編>」#創作大賞2023#ミステリー小説部門|板倉 市佳 (note.com)


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